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推し活のために退寮したら、隣の部屋(103号室)に「推し(本人)」が住んでいた。 ~推しすぎたせいか、心の声まで聞こえます~  作者: しまじろう
第5章|能力編 ――一途がすぎると、女の子になるらしい――

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第54話 居心地のいい人

※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。

「オッパー! 遊びにきたよぉ!」


 その日の午後、玄関の扉が勢いよく開いて、葵ちゃんが飛び込んできた。相変わらずのアポなし訪問だ。


「……なんだ、葵ちゃんか」


「なんだとはなによ!」


 葵ちゃんが、ぷく、と頬を膨らませる。


「超人気アイドルの葵ちゃんが来て、喜ばないのはオッパくらいなんだからね?」


「はいはい、光栄です」


 いつもなら、これで軽い口喧嘩が始まるところだ。けれど今日の俺には、その元気がなかった。


 ソファに腰を下ろした葵ちゃんが、ふと、俺の顔を覗き込む。


「……ねえ、オッパ。どうしたの、そんな暗い顔して」


「いや、なんでもない」


「嘘。ぜんぜん、なんでもなくない顔してる」


 むむ、と眉を寄せた葵ちゃんが、ずい、と身を乗り出してきた。


「熱でもあるんじゃないの? ほら、じっとしてて」


「え、ちょ――」


 止める間もなかった。葵ちゃんが、こつん、と自分のおでこを、俺のおでこに押し当ててくる。


 やわらかい前髪が、さらりと頬をくすぐった。すぐ目の前に、葵ちゃんの大きな瞳がある。息がかかりそうなほどの、至近距離。


(……近いって)


 ――そして、そこで俺は、また思い知らされる。


 これだけ肌が触れ合っているのに、葵ちゃんの心の声は、なにひとつ聞こえてこない。以前なら、こんなに密着すれば、彼女の本音が奔流のように流れ込んできたはずだ。好感度の数字だって、頭の隅にくっきりと浮かんだだろう。


 なのに、今は――しん、と、無音だった。


「んー……熱はないみたい。平熱、平熱」


 ぱっと離れた葵ちゃんが、けろりとした顔で言う。


(……本当に、なにも聞こえない)


 相手の気持ちが、まるでわからない。ただ、それだけのことが、どうしてこんなにも不安なんだろう。ずっと当たり前に聞こえていた声が消えた今、俺は、目の前の葵ちゃんが、本当はなにを考えているのか、まるで見当がつかなくなっていた。


 ◇


「ねえ、葵ちゃん」


「んー?」


「……変なこと、聞いてもいいか」


「なになに、あらたまって」


「……葵ちゃんは、俺といて、楽しい?」


 我ながら、情けない質問だった。


 以前の俺なら、そんなこと、聞くまでもなくわかった。触れれば、相手の気持ちが、数字になって見えたから。けれど今の俺には、確かめる術が、言葉しかない。


 葵ちゃんは、きょとん、と目を丸くした。


「なんで、そんなこと聞くの?」


「いや……なんとなく」


「ふうん」


 葵ちゃんは少し首をかしげて、それから、んー、と考える仕草をした。


「……楽しい、っていうよりは」


「うん」


「居心地がいい、かな。オッパといると」


 思いがけない答えだった。


「安心する感じ、っていうか」


 葵ちゃんは、膝を抱えて、ぽつり、ぽつりと言葉を選ぶ。


「私さ、いつもは“葵ちゃん”を、やってるでしょ。人気アイドルの、完璧な葵ちゃん。……可愛くいなきゃ、しっかりしなきゃ、失敗しちゃだめだって、ずっと気を張ってて」


 いつもの、明るくて勝ち気な彼女からは、想像もつかない横顔だった。


「でも、オッパの前だと、それ、しなくていいんだよね。だらしなくても、わがまま言っても、怒られても……なんか、それでいいやって、思える」


 葵ちゃんが、ふっと笑う。


「私を、私のままで、いいって言ってくれたの。……オッパ、だもん」


 ――どく、と胸が鳴った。


「だから」


 葵ちゃんは、まっすぐに俺を見て、続けた。


挿絵(By みてみん)


「なんか辛いこととか、あったんなら。……ちゃんと、言ってよ? いつも私のこと、受け止めてくれてるんだから。たまには、私にも、頼ってよね」


 ◇


 その言葉に、俺は、しばらく声が出せなかった。


 相手の心の声が、聞こえなくても。好感度の数字が、見えなくても。


 ――葵ちゃんの想いは、ちゃんと、伝わってきた。


 声じゃない。数字でもない。まっすぐに向けられた瞳と、選びながら紡がれた言葉と、そばにいるときの、あの、あたたかい空気で。


(……そうか)


 俺はこれまで、《推し聞き》で相手の本音を“聞く”ことに、頼りすぎていたのかもしれない。数字が高ければ安心して、低ければ不安になって。まるで、点数表を眺めるみたいに、人の気持ちを、確かめていた。


 でも、本当は。


(……聞こえなくても。……伝わる、のか)


 目の前で、無邪気に笑っている葵ちゃんが、俺のことを大切に思ってくれている。その事実は、どんな数字よりも、確かに、胸に届いていた。


「……ありがとう、葵ちゃん」


「え、なになに、急に。……きもち悪いなあ、オッパ」


 そう言って笑いながらも、葵ちゃんの頬は、ほんのり赤い。


「あ、そうだ! ねえオッパ、お腹すいたー! なんか作ってよぉ」


「はいはい。……まったく、しょうがないな」


 結局、こうして世話を焼かされるのだ。けれど不思議と、その面倒くささが、今日はやけに、心地よかった。


 台所に立ちながら、俺はそっと考える。


 声が聞こえなくなったのは、たしかに、不安だ。けれど――失って初めて気づいたものも、あるのかもしれない。


(……この、あたたかい感じは。……ちゃんと、俺の中にも、あるんだ)


 背中で、葵ちゃんが、鼻歌を歌っている。その、なんてことのない音が、やけに優しく、部屋に響いていた。



お読みいただきありがとうございました!

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