第6話 置き忘れた下着と、赤面の攻防
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
翌朝。
固い床の上で、俺は目を覚ました。体の節々が、みしみしと痛い。ゆうべは結局、酔い潰れた麻衣さんにベッドを譲り、俺は床で丸くなって眠ったのだった。
(あれ……麻衣さんは?)
ベッドの上を見ると、そこはもう、もぬけの殻だった。きちんと整えられた、掛け布団。どうやら俺より先に目を覚まして、そっと帰ったらしい。
(よかった……。何事もなく、済んで……)
ほっと胸をなでおろす。ゆうべの麻衣さんは、それはもう大変な絡み酒だったが、俺は紳士として、指一本触れていない。天地神明に誓って、健全な一夜だった。
俺は伸びをして立ち上がると、麻衣さんが使った布団を、たたもうとした。
――そのときだった。
くしゃ、と。掛け布団の裾に、何か小さな布が、引っかかっているのに気づいた。
純白の、頼りないほど薄い布。ふちには、繊細なレースがあしらわれていて、真ん中には、小さなリボンが、ちょこんと結ばれている。手のひらにのせると、驚くほど軽く、頼りなくて、うっすらと透けそうなほど、生地が薄い。ふだん、あの隙のない鉄仮面の上司が、スーツの下に、こんなに可愛らしいものを――。
「……………………」
俺の思考が、完全に、停止した。
それは、どこからどう見ても。
女性の、下着だった。
(…………は? え? なんで? なんで、こんなものが、俺の部屋に!?)
パニックだった。頭が、真っ白になる。
(お、落ち着け! 昨日は、何もなかった。何もなかったはずだ! でも、じゃあ、なんでこれが……!)
必死に、ゆうべの記憶をたぐる。そういえば麻衣さんは、「暑いよぉ」とか言って、しきりに服を引っぱっていた気がする。まさか、酔った勢いで、半分眠りながら脱いで……そのまま、忘れて帰った、とか?
(いやいやいや! だとしても、俺は、どうすればいいんだ……!)
推しの華ちゃん以外の女性の下着を、生まれて初めて、手にしてしまった。しかも、相手はよりにもよって、直属の上司である。俺の煩悩が、今にも爆発しそうになる。
(ぼ、煩悩退散! 煩悩退散! 俺は、華ちゃん一筋の、清いファンなんだ……!)
だが、いくら念じても、手の中の桜色は、消えてはくれない。それどころか、レースの繊細な手ざわりと、かすかに残る、甘い柔軟剤の香りが、俺の理性を、じわじわと侵食してくる。あわてて机の上に置いてみるが、桜色のそれは、そこにあるだけで、部屋じゅうの空気を、やけに艶っぽく染めているように見えた。捨てるわけにもいかず、かといって持っておくのも、あまりに不健全だ。俺は、それを両手で捧げ持ったまま、部屋の真ん中で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
と、そのときだった。
コンコン、と。玄関のドアが、遠慮がちにノックされた。
俺は、びくりと飛び上がる。おそるおそるドアを開けると――そこには。
昨日とは打って変わって、きっちりとスーツを着込んだ、素面の麻衣さんが立っていた。
だが、その顔は、耳まで真っ赤だった。
「……お、おはよう、佐藤くん」
「お、おはようございます、麻衣さん……」
「あの、ね。……昨日は、その、迷惑、かけたみたいで……ごめん」
いつもの、凛とした上司の姿は、どこにもない。麻衣さんは、もじもじと指をいじりながら、俺と目も合わせられずにいる。
(う、うわあ……素の麻衣さん、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋だ……!)
職場での鉄仮面。酔ったときの甘えん坊。そして今、目の前にいる、恥ずかしがり屋の彼女。いったい、どれが本当の麻衣さんなんだ。
「その、それでね。……ひとつ、探し物が、あって」
「さ、探し物、ですか」
「……うん。ゆうべ、その、ここに……忘れ物、しちゃったみたいで……」
麻衣さんの視線が、ちらり、と俺の背後――部屋の中へ、泳ぐ。
俺は、悟ってしまった。
彼女が探しているものが、何なのかを。そして、それが今、俺の手の中に、しっかりと握られていることを。
(ど、どうすればいいんだ、これ!? 「これですか?」って、渡すのか!? いや、でも、それはあまりに、直接的すぎる……!)
背中に隠した手の中で、桜色のそれが、やけに存在感を放っている。
「あ、あの、麻衣さん。これは、その、俺は本当に、何も……」
「い、言わなくていい! わかってるから! 佐藤くんが、そんな人じゃないってこと……!」
真っ赤な顔で、麻衣さんが叫ぶ。俺たちは、しばらく、玄関先で、気まずく見つめ合った。
結局、俺は、覚悟を決めた。無言で、背中に隠していたそれを、彼女へ差し出す。麻衣さんは「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げると、ひったくるようにそれを受け取り、ぎゅっと胸に抱えた。
「……このこと。ぜっっったいに、誰にも言わないで。あと、今日のことも、ゆうべのことも、ぜんぶ、忘れて。いい?」
「は、はい。忘れます。きれいさっぱり、忘れます」
「ほんとに、ほんとに、忘れてよ。……もし、誰かにしゃべったら、承知しないから」
最後に、赤い顔のまま、ぴしゃりと釘を刺す。そのあたりは、さすが職場のリーダーというべきか。麻衣さんは、下着を抱えたまま、くるりと背を向けた。
そして、隣の101号室へ、それこそ脱兎のごとく、逃げ帰っていく。
バタン、と、勢いよくドアが閉まる音。
あとには、俺だけが、朝の廊下に、ぽつんと取り残された。
(……これから毎日、あの人と、隣同士で顔を合わせるのか)
職場では、直属の上司。そして家では、すぐ隣の住人。しかも、こんな珍事件のあとで。気まずい、なんてものじゃない。
――右隣の103号室には、正体を隠した、推しのアイドル。
――左隣の101号室には、素顔を知られた、鉄壁の上司。
(俺のアパートは、どっちを向いても、地雷原だ……)
俺は、深い、深いため息をついた。
こうして、俺の騒がしすぎる新生活は、いよいよ本格的に、幕を開けたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
この状況でも我慢できる和馬はすごいですね。




