第43話 風邪と、はじめての和葉
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
ずるり、と。
鼻の奥が、おかしい。頭も、やけに、熱っぽい。
葵の別荘での強化合宿から、帰ってきた翌日。俺は、見事に、風邪をひいていた。
(……油断した。プールで、はしゃぎすぎたか……)
いや、はしゃいだのは、俺じゃなくて葵ちゃんなんだが。とにかく、俺は、朝から布団の中で、ぐったりと、のびていた。
「……水、飲まないと」
起き上がろうとして、くらり、とめまいがする。……これは、けっこう、ひどいやつだ。
――と、その時。
こんこん、と。玄関のドアが、ノックされた。
「和馬? ……いる?」
華ちゃんの、声だ。素顔の、ため口。……こんな時に。俺は、のろのろと、ドアの鍵を開けた。
「……華ちゃん。どうし――」
「うわ。……ひどい顔」
ドアを開けた俺を見るなり、華ちゃんが、眉をひそめた。
「昨日から、姿見ないと思ったら。……あんた、風邪?」
「あ、はは……。お恥ずかしい、ところを」
「隠さなくて、いい」
華ちゃんは、ずかずかと、部屋に上がり込んでくる。そして、俺の額に、ひんやりとした手を、ぴた、と当てた。
「……熱い。だいぶ、あるじゃない。……ばか。もっと早く、言いなさいよ」
(う……。心配、してくれてるのか)
「わざわざ、すみません。……でも、大丈夫ですよ。寝てれば、そのうち」
「よくない。……ちょっと待ってて。おかゆ、作ってあげるから」
華ちゃんが、腕まくりをした、その時だった。
――ばたばた、と。今度は、廊下から、別の足音。
「佐藤くーん! 大丈夫っ!?」
勢いよく開いた、玄関から。息を切らせて、飛び込んできたのは。
「……ま、麻衣さん?」
麻衣さんだった。手には、大きなレジ袋。中には、ゼリーやら、スポーツドリンクやら、冷却シートやらが、ぱんぱんに詰まっている。
「唯ちゃんから、連絡もらって……。佐藤くんが、寝込んでるって。……もう、心配で、会社、早退してきちゃった」
「そ、そんな、大げさな……」
(……妹め。どこまで、面倒見がいいんだ)
と――そこで。麻衣さんの視線が、先客の華ちゃんに、ぶつかった。
「……あら。花火さんも、いらしてたんですね」
「ええ。……お隣ですから」
にこ、と微笑み合う、二人。……なのに、なぜだろう。二人のあいだに、ぱち、と、見えない火花が、散った気がした。
「じゃあ、私は、おかゆを」
「では、私は、冷却シートを、貼りますね」
「「……」」
――そして。
二人は、同時に。俺の、両脇に、座り込んだ。
「はい、和馬。おでこ、失礼」
「佐藤くん、腕、ちょっと貸してくださいね。汗、拭きますから」
(え。ちょ、両方から――)
右から、華ちゃんの手が、俺の額に。
左から、麻衣さんの手が、俺の腕に。
二人の、あたたかい手のひらが。……同時に、俺の肌に、触れた。
その、瞬間だった。
《……もう。無理して。……ばか。ちゃんと、私を頼りなさいよ》
《……佐藤くん、こんなに、熱くなって……。心配だよぉ。……早く、元気になってね》
――二つの、心の声が。
いつもは、一人ずつ。触れた相手の本音が、一つだけ、聞こえる。それが。
今は。左右から、同時に。二人分の想いが、どっと、頭の中に、なだれ込んできた。
【華:70%】【麻衣:72%】
(――ぐっ……!? な、なんだ、これ……! あ、頭が、割れそうに……!)
二重に、重なった、好意の奔流。それが、俺の中の“何か”を、ぐわん、と、大きく、揺さぶった。
視界が、ぐにゃり、と歪む。体の芯が、ふわり、と軽くなって――。
「……あれ? 和馬、あんた……」
「え……? 佐藤くん……? なんか、ちっちゃく……」
二人の、戸惑った声が、やけに、遠くに聞こえる。
……体が。……変だ。手が、足が、どんどん、小さく、細くなっていく。ぶかぶかになった、パジャマの袖から、白くて、細い指が、覗いた。
肩まで届く、さらさらの、黒い髪が、はらり、と頬にかかる。
(――え。え、えぇっ!?)
俺は、慌てて、枕元の、手鏡を、掴んだ。
そこに、映っていたのは。
……俺の、面影を、どこかに残した。ぽかんと、口を開けた、見知らぬ、可憐な、女の子だった。
「……は?」
出てきた声さえ、高くて、澄んでいて、まるで、自分のものじゃ、ない。
「な……な、なんだ、これええええっ!?」
女の子の、悲鳴が。俺の、狭いアパートの部屋に、響き渡った。
---
「…………ふむ」
華ちゃんが、あごに手を当てて、女の子(俺)を、じろじろと、見回している。
「……可愛い。すっごく、可愛いわね、この子」
「感想は、いいですから! 助けてください!」
「わ、わ、わ……。ど、どうしよう、佐藤くん、女の子に……!」
麻衣さんは、麻衣さんで、真っ赤になって、おろおろしている。……頼れる先輩の面影は、どこにもない。
俺は、女の子の姿で、頭を、抱えた。
(な、なんで、だ。……華ちゃんと、麻衣さんに、同時に、触られた瞬間、これに……)
風邪の熱と、混乱で、思考が、まとまらない。だが――ひとつだけ、確かなことがあった。
二人分の、心の声。あの、どっと流れ込んできた、好意の奔流。あれが、引き金だ。……間違い、ない。
「……あの、二人とも。……お願いです。ちょっと、離れて、もらえますか。……これ以上、触られると、まずい気が」
「……む。そう?」
「あ、ご、ごめんね、佐藤くん……!」
二人が、そっと、手を引く。
……好意の奔流が、途切れると。少しだけ、頭の中の、ぐわんぐわんが、収まった。
だが。体は、女の子のまま。……戻る、気配は、ない。
(……ど、どうすれば、戻るんだ、これ……)
俺は、途方に暮れて。それから、ふと、猛烈な、眠気に、襲われた。……そうだ。俺は、風邪をひいて、熱があるんだった。混乱と、熱と、力の暴走で。……もう、限界だった。
「……すみません。俺……もう、ちょっと、寝ます……。……起きたら、戻ってる、こと、祈って……」
「え、ちょ、和馬……!?」
「さ、佐藤くん!?」
二人の、慌てた声を、子守唄みたいに聞きながら。俺は、女の子の体のまま、ぐらり、と、布団に、倒れ込んだ。
---
――翌朝。
じり、と差し込む、朝日で、目が覚める。
俺は、おそるおそる、自分の、手を、見た。
……大きい。ごつごつした、男の、手だ。
「……戻って、る」
鏡を、覗き込む。そこには、いつもの、冴えない、俺の顔が、あった。熱も、ずいぶん、下がっている。
(……よかった。……一晩、寝たら、戻るのか)
ほっ、と、胸をなでおろす。
枕元には、置き手紙が、二枚。
一枚は、几帳面な字で。『おかゆ、鍋に入れてあります。ちゃんと食べて。……昨日のこと、また、ゆっくり話そうね。麻衣』
もう一枚は、素っ気ない字で。『昨日の“あれ”。……逃げないで、ちゃんと説明して。待ってるから。……華』
(……そうだよな。……説明、しないと、だよな)
昨日の、あの、悪夢みたいな出来事は。……夢でも、幻でも、なかった。
俺の“推し聞き”には。……とんでもない、裏の顔が、あったらしい。
窓の外を、見上げる。よく晴れた、空。
……なんだか、俺の、平穏な日常は。また一つ、大きく、遠のいた気が、した。
(……とりあえず。……この体質、いったい、何なんだ)
それを、確かめる“会”が、始まるのは。……もう、すぐ、あとのことだった。
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