第42話 隣のアイドル
それから、しばらくして。
テレビの音楽番組に、葵ちゃんの姿が、あった。
『続いては、新曲を引っさげての初披露です。どうぞ――!』
ステージに立った葵ちゃんは、もう、誰かの背中を追う顔じゃなかった。
弾けるような笑顔。ぐいぐい引き込む、生意気で、可愛くて、まっすぐな表現。……“華ちゃんっぽさ”なんて、どこにもない。そこにいるのは、正真正銘、「葵」という、一人のアイドルだった。
(……すごい。ほんとに、自分の光で、立ってる)
ソファで一人、俺は、拳を握った。勝ち負けなんて、もう、関係なかった。あの子が、あの子のステージを、やりきった。……それだけで、胸が、いっぱいだった。
---
そして、週末。
俺が、アパートの廊下を歩いていると。
なぜか、階段の下に、見覚えのある、ばかでかいリムジンから運び込まれた、山のような段ボールが、積み上がっていた。
それが、二階の――201号室へと、次々に、運び込まれていく。
「あ、和馬オッパ! おはよう!」
「……葵ちゃん!? なんで、ここに、荷物が」
ジャージ姿の葵ちゃんが、段ボールの陰から、ひょっこり顔を出した。
「ふふん、決まってるでしょ。……今日から、私、ここの住人だから!」
「は――!?」
「201号室、正式に契約したの。あの日の“内見”、無駄じゃなかったでしょ?」
どや、と胸を張る葵ちゃん。……この前の、言い訳だと思っていた「内見」が、まさか、本気だったとは。
「な、なんで、こんなボロ……じゃなくて、このアパートに!? 葵ちゃんなら、もっといい所、いくらでも」
「決まってるじゃない。……和馬オッパの近くで、華ソンベと、切磋琢磨するためよ」
びしっと、俺を指さす。
「隣に最高のライバルがいて、すぐ近くに専属協力者がいる。……こんな最高の環境、他にないでしょ?」
(いや、俺の意見は、一ミリも、聞かれてない……!)
と、その騒ぎを聞きつけて。
ギィ、と、103号室のドアが開いた。
「……朝から、なにを騒いで……って」
寝起きの、ぼさぼさ髪、スウェット姿の華ちゃんが、顔を出す。そして、山積みの段ボールと、葵ちゃんを見て――固まった。
「……は? なんで、アンタが、うちのアパートに!?」
「あら、華ソンベ。奇遇ですね。今日から、ご近所さんです」
「ご、ご近所さんって……嘘でしょ!?」
珍しく、素の顔のまま、絶叫する華ちゃん。……天使の仮面を、かぶり直すのも、忘れている。
さらに、そこへ。
「佐藤くーん、おはようございま……って、ええっ!?」
差し入れの袋を提げた麻衣さんまで、やってきて。積み上がった荷物と、葵ちゃんを見て、目を、まん丸にした。
「あ、麻衣オンニ!」
「あ、葵ちゃんが……ここに、住む……!? お、推しと、同じアパート……!?」
麻衣さんの顔が、みるみる、赤く染まっていく。トキメキと、混乱が、また、頭の中で、大渋滞を起こしているらしい。
(……ああ。俺の平穏な日常が、また一つ、遠のいた)
三人の美少女に囲まれて、俺は、遠い目をした。
---
荷物の運び込みも、一段落した、昼下がり。
「ねえ、オッパ」
ふと、葵ちゃんが、二階の廊下の、奥のほうへ、目をやった。
「そういえば、同じ階の……あの、203号室には、どなたが住んでるの? ご近所さんには、ちゃんと、ご挨拶しないと」
その、無邪気な問いに。
答えたのは、腕を組んで見物していた、華ちゃんだった。にやり、と、意地の悪い笑みを浮かべて。
「ああ、あそこ? ……あそこは、怜子さんの部屋よ」
「……え」
葵ちゃんの、笑顔が。
――ぴきり、と、凍りついた。
「れ……怜子さんって、あの、怜子さん……ですか? 私のマネージャーの……?」
「そうよ。……あら、知らずに、越してきたの?」
その瞬間だった。
どすどすどす、と。廊下の奥から、地響きのような足音が近づいてきて。
203号室のドアが、勢いよく、開いた。
「――葵。あなた、まさか、本当に、ここに越してきたわけ?」
「ひっ……れ、怜子さん!?」
仁王立ちの、怜子さん。……つまり、葵ちゃんの部屋の、目と鼻の先。同じ二階の、住人だったのだ。
「これで、あなたの脱走癖も、二十四時間、監視できるわね。……逃げても、無駄よ。私が、同じ階の、すぐそこにいるんだから」
「そ、そんな……同じ階に、怜子さんが……!?」
がーん、と。葵ちゃんが、この世の終わりみたいな顔で、崩れ落ちる。
「せっかく、オッパの隣で、自由な一人暮らしを満喫しようと思ったのにーーっ!!」
「なにか、言った?」
「い、いえっ、なんでもありませんっ!」
ぴしっ、と背筋を伸ばす葵ちゃん。……令嬢の、優雅な新生活の夢は、初日にして、脆くも崩れ去ったのだった。
---
夕暮れ。
ようやく静かになった廊下で、俺は、ふう、と息をついた。
――と。すぐ隣に、葵ちゃんが、ちょこん、と並んだ。
「……ねえ、オッパ。今日は、ありがと。……その、いろいろ」
「ん? ああ。……これから、よろしくな。ご近所さん」
「……うんっ」
照れくさそうに笑った葵ちゃんの手が、ふと、俺の手の甲に、そっと、重なる。
《……オッパのこと、けっこう……》
【葵:67%】
(――え)
その先が、聞こえそうになった、瞬間。
「――なっ、なんでもないんだからっ!!」
葵ちゃんは、ぶわっと真っ赤になって、ぱっと手を引っ込めると、201号室へと、逃げ込んでいった。
(……今の、なんだったんだ)
ばたん、と閉まったドアを、俺は、ぽかんと見つめる。
夕日に照らされた、賑やかなアパート。
推しが、隣にいて。想ってくれる先輩がいて。生意気な後輩が、越してきて。……そして、その同じ屋根の下には、鬼教官までいる。
(……騒がしくなるなあ、これから)
だけど、その騒がしさが。……なんだか、悪くないと、思い始めている自分がいた。
俺の、隣のアイドルとの日々は、まだまだ、始まったばかりだ。




