第34話 華ソンベ超えプロジェクト
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
それから、数日後の朝。
休日の気だるさの中、俺がゴミを出しにアパートの外へ出ると――そこに、場違いなものが停まっていた。
黒塗りの、ばかでかいリムジン。
(……なんだ、これ)
ぽかんと見上げていると、後部座席のドアが、しずしずと開いた。降りてきたのは、燕尾服に白い手袋、見事な白髭の老紳士。
「お嬢様、到着でございます」
「ご苦労さま、じいや」
続いて降り立ったのは――サングラス姿の、あの子だった。
「あれ? ……和馬オッパ!?」
「……葵ちゃん?」
サングラスをずらした葵ちゃんが、俺を見つけて、ぱっと顔を輝かせた。
「奇遇ね! というか、運命かしら。ちょうど、この物件を内見に来たところなの」
「内見って……このボロアパートを?」
「し、失礼ね! ……風情のある、趣のある物件を、よ」
言い訳が下手すぎる。じいやが背後で「左様でございます」と恭しく頷いているのが、余計に怪しい。
――と。
ギィ……、と。
すぐ隣、103号室のドアが、音を立てて開いた。
「ちょっと君、朝から廊下で、なにを騒いで……」
顔を出したのは、ぼさぼさ髪に眼鏡、よれよれのスウェット姿の、寝起きの華ちゃんだった。素顔の、ブラック華モード。
その視線が、葵ちゃんを捉えた瞬間――。
ぴたり、と。空気が凍りついた。
(……あ。まずい)
俺の血の気が引く。だが、さすがはトップアイドル。華ちゃんは、コンマ数秒で、表情を切り替えた。ぼさぼさ髪をさっと撫でつけ、眼鏡の奥の目を、ふわりと細める。
「……あらぁ。葵さんじゃないですかぁ。奇遇ですねぇ」
パチン、と。天使のスイッチが、入った。毒舌ブラック華は、跡形もなく消え去っている。
「は、華ソンベ……っ!?」
葵ちゃんが、感電したみたいに、びくんと震えた。
「ほ、本物の華ソンベ……! こ、こんなボロ……じゃなくて、味わい深い場所に、本当に生息して……!」
「ふふ、生息だなんて。……で? 葵さんが、どうしてこんなところに?」
華ちゃんの声は、あくまで甘い。
葵ちゃんは、華ちゃんの登場に舞い上がって、それどころじゃないらしい。慌てて姿勢を正すと、背伸びしたポーズで、つん、とそっぽを向いた。
「べ、別に、華ソンベを追ってきたわけじゃないんだから! 私はただ、この物件を内見に来ただけ!」
「あら、そうなんですかぁ。……葵さん、大金持ちのお嬢様なのに、こんな格安アパートを?」
華ちゃんが、にこ、と首をかしげる。図星を突かれた葵ちゃんは、うっ、と言葉に詰まり――次の瞬間、なぜか、俺の腕に、ぎゅうっと抱きついてきた。
「……っ!?」
柔らかくて、あたたかい何かが、俺の腕にむにゅっと押し当てられる。心臓が、跳ねた。
「そ、それに! ここには、頼れる私の専属協力者・和馬オッパがいるんだもの! 越してくる理由なんて、これで十分でしょ!」
「せ、専属協力者ぁ……!?」
華ちゃんの、天使スマイルが。
――ぴき、と。音を立てて、固まった。
「……へえぇ。和馬が、専属協力者。……ふぅん」
次の瞬間。華ちゃんが、つかつかと歩み寄り、葵ちゃんとは反対側から、俺の腕を、ぐいっと掴んだ。まるで、俺を葵ちゃんから引き剝がすみたいに。
――と。触れた手のひらから、声が流れ込んできた。
《……ちょっと待って。なんで和馬が、この子の“オッパ”なわけ?》
例の、推し聞きだ。天使みたいな笑顔の、その裏側の本音が、握られた腕から、だだ漏れになっている。
(う、うわ……。目が笑ってないと思ったら、中身はもっと笑ってない……!)
だが、葵ちゃんは止まらない。華ちゃんに、びしっと指を突きつける。
「華ソンベ! いつまでもトップに、あぐらをかいていられると思わないで。私、この和馬オッパの鋭い視点を借りて、必ずソンベを超えてみせる。名付けて――『華ソンベ超えプロジェクト』、始動よ!」
「……超える、ですって?」
華ちゃんの笑顔の温度が、また一段、下がった。
その、一触即発の空気を切り裂いて。
ピリリリッ、と。葵ちゃんのスマホが、けたたましく鳴った。画面に浮かぶのは、『怜子』の二文字。
「ひっ……」
葵ちゃんが、おそるおそる通話ボタンを押すと、廊下中に、怜子さんの声が響き渡った。
『葵! また勝手に抜け出して……! ちょうどいいわ、今すぐスタジオへいらっしゃい。明日の生放送、決まったから』
「な、生放送?」
『『アイドルガチンコ対決SP』。あなたのグループと――華のグループの、完全直接対決よ』
「「……えっ!?」」
葵ちゃんと、華ちゃんの声が、綺麗に重なった。
『葵、日頃から「華先輩を超える」って大口を叩いてるんだから、当然受けるわよね。……負けたら、地獄のスパルタ合宿だから』
「の、望むところですわ! 華ソンベ、明日、逃げないでくださいね!」
葵ちゃんが、ぐっと胸を張る。それを受けて、華ちゃんは――俺の腕を掴んだまま、にっこりと、天使の笑みを浮かべた。
「ええ。……お手柔らかに、ね」
だが、握られた腕からは、しっかりと。
《……返り討ちにしてやる》
(うわぁ……。笑顔と本音の落差が、こわい)
バチバチと、火花を散らす二人。やがて葵ちゃんは、「見てなさいよ、オッパ!」と俺の手をぎゅっと握ると、じいやの開けたリムジンのドアへと駆けていった。
「では、参りましょう、葵お嬢様」
嵐のように走り去るリムジンを、俺はただ見送る。
そして、隣には。
天使の仮面を脱いだ華ちゃんが、じとりと、俺を見上げていた。いつもは「君」と呼ぶくせに、わざとらしく、甘ったるい声で。
「……えーっと。『和馬オッパ』?」
「うぐっ」
「ねえ。なんで君が、あの子に『オッパ』なんて呼ばれてるのか。……お姉さんに、ちゃーんと、聞かせてくれるよね?」
笑顔。だが、有無を言わせない圧が、そこにあった。
(……なんで、俺が)
明日は、生放送の直接対決。俺の穏やかな休日は、リムジンと一緒に、どこかへ消え去っていた。
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