第33話 サングラス美少女の受難
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
その日、俺は仕事帰りに商店街を歩いていた。
と、妙な人影が、目に留まった。
やたらと大きなサングラス。目深にかぶった帽子。おまけにマスクまでして、きょろきょろと落ち着きなく辺りをうかがっている、若い女の子。
(……いや、隠せてないだろ)
変装のつもりなんだろうが、あの華やかなオーラは、まるで隠れていない。すらりとした手足、抜けるような肌、帽子からのぞく艶やかな髪。どう見ても、そのへんの一般人じゃない。
しかも、俺にはその顔に、見覚えがあった。
(あれ……もしかして、葵ちゃん?)
華ちゃんのライバルとして、最近やたらとメディアで名前を見る、人気急上昇中の若手アイドル。妹分グループのセンターだ。
……なんでこんな商店街を、一人でうろうろしているんだ。
そう思った、次の瞬間だった。
「ねえ、あの子……もしかして、葵ちゃんじゃない?」
通りかかった女子高生の二人組が、足を止めた。スマホを構える気配。その声に、また一人、また一人と、道行く人が振り返っていく。
「マジだ」「え、撮っていい?」
ざわつきが、みるみる広がる。葵ちゃんの肩が、びくっと跳ねた。じり、と後ずさるが、もう逃げ場がない。
「お姉さん、もしかして有名人? ねえ、一枚だけ、いいじゃんいいじゃん」
人だかりの中から、酒くさい男が一人、なれなれしく肩に手を伸ばしてきた。
「っ……」
葵ちゃんが、息を呑んで固まる。強気なはずのその顔から、血の気が引いていた。……声も、出ないみたいだ。
(……あれは、本気で怖がってる)
考えるより先に、体が動いていた。
俺は人だかりを掻き分けると、葵ちゃんと男のあいだに、割って入る。
「すみません、連れなんで」
やんわりと、しかしきっぱり、男の手を遮った。そのまま葵ちゃんの手を掴み、彼女を庇うように、すぐ脇の細い路地へ引き込む。
――その瞬間。
《……え、なに、この人》
(……ん?)
触れた手のひらから、ほんの一瞬、彼女の声が“よぎった”。例の、推し聞きだ。まだ好感度が低いのか、聞こえたのは単語だけ。視界の隅に、うっすらと数字が浮かぶ。
【葵:31%】
だが、今はそれどころじゃない。俺は近くの喫茶店の、奥まった個室席へと彼女を押し込んだ。
「……ふう。ここなら、大丈夫だと思う」
息を整えながら、俺は向かいに座る。マスクとサングラスを外した彼女は――やっぱり、葵ちゃんだった。テレビで見るより、ずっと小づくりで、整った顔立ち。ただ、その目には、まだ警戒の色が濃い。
「……あなた、私が誰だか、分かってるの?」
「まあ、なんとなく」
「なのに、騒がないのね」
「騒いでどうするんだ」
俺が肩をすくめると、彼女は、ふうん、と鼻を鳴らした。そして、まじまじと俺の顔を見て。
「……冴えない顔。でも、まあ、いざというとき、それなりに頼りにはなる、みたいね」
(けなされてるのか、褒められてるのか)
「……そういえば、あなた、名前は?」
「佐藤和馬」
「和馬、というのね」
彼女は、なぜか、うんうん、と満足げにうなずいた。それから、びしっと俺を指さして、宣言した。
「決めた。お礼に、あなたを私の専属協力者にしてあげる」
「……は?」
「光栄に思いなさい。この葵の、専属よ。……ふふ、これからよろしくね、和馬オッパ」
「……オッパ?」
聞き慣れない響きに、俺は思わず首をかしげた。
「あら、知らないの? オッパっていうのは、韓国語で、年上の男の人を呼ぶ言葉。……私、お母さんが韓国の人だから」
「へえ……」
(いや、何ひとつ、頼んでない。というか、和馬オッパ、って……なんだか、むずがゆいな)
こうして、俺の意思とは一切関係なく、専属協力者とやらに任命された。そして彼女は、聞いてもいないのに、語り始めた。
「あのね、和馬オッパ。私が今日、なんでこんなところにいたと思う? ……華ソンベの、リサーチよ」
「華……ソンベ? って、なんだ?」
「ソンベは、先輩。これも韓国語よ。……もう、オッパ、ほんとに何も知らないのね」
(韓国語、まったく分からん……)
「華先輩は、私の目標であり、ライバル。ソンベがどんなお店を回るのか、どんな空気で街を歩くのか、この目で確かめに来たの。まあ、追っかけ、とも言うけど」
そこからは、もう、止まらなかった。
「華ソンベはね、本当にすごいの。歌でしょ、ダンスでしょ、トークのキレでしょ、それに、あの誰も真似できない“天使のオーラ”でしょ……」
うんうん、と俺は相槌を打つ。
(……知ってる。それ、全部知ってるよ。なにせ、十年推してるからな)
目の前の子が語る“華ちゃんのすごいところ”は、俺からすれば、初級編もいいところだった。だが、それを言うわけにもいかず、俺はただ、熱心なファンの語りを、生温かく聞き続けた。
――が。
「ずいぶん熱心に聞いてくれるのね。オッパ、意外と見どころが……」
葵ちゃんが、機嫌よくそう言いかけた、その時だった。
すっ、と。テーブルの横に、影が差した。
「――見つけたわよ」
地を這うような、低い声。振り仰ぐと、そこには。
「れ……怜子さん!?」
華ちゃんのマネージャーであり、俺の住むアパートの住人でもある、怜子さんが、氷のような目で立っていた。
「いきなり現場からいなくなって。……あなた、自分の立場、分かってるの」
葵ちゃんの顔が、さあっと青ざめる。……どうやら、脱走してきたらしい。
そして、怜子さんの視線が、俺に移った。
「……佐藤和馬さん。またあなたなの」
「い、いや、これは、その、たまたま」
「これ以上、関わらないでくださいって、言いましたよね」
「不可抗力です! 困ってたから、つい……」
怜子さんが、こめかみを押さえる。その、ほんの一瞬の隙を。
「――今よ! オッパ、あとは任せたわよっ!」
葵ちゃんは、俺の肩をぽん、と叩くと、脱兎のごとく個室を飛び出していった。
「あっ、こら、待ちなさい葵!」
怜子さんが追う。だが。
「……お客様。お会計が、まだなのですが」
店員さんに呼び止められたのは、なぜか、取り残された俺だった。
二人分の伝票を握りしめ、俺はその場に立ち尽くす。
(……なんで、俺が)
やがて、葵ちゃんを取り逃がして戻ってきた怜子さんが、深々と、ため息をついた。そして、恐ろしいほど静かな声で、言った。
「……もう、ここまで来たら。……ダメですね」
「な、何がですか」
「あなたが、あの子に、目をつけられたこと。……ご愁傷様です」
その言葉の意味を、俺はまだ、知らなかった。
お読みいただきありがとうございました!
これから葵編がスタートします!




