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推し活のために退寮したら、隣の部屋(103号室)に「推し(本人)」が住んでいた。 ~推しすぎたせいか、心の声まで聞こえます~  作者: しまじろう
第3章|麻衣編 ――素直になれない、頼れる先輩――

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第31話 着信相手は「H」

※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。

 101号室の、ドアの前。


 俺は、深呼吸を、ひとつした。……ただの、お礼だ。落ち着け、俺。


 インターホンを押すと、すぐに、ドアが開いた。


「……いらっしゃい。どうぞ、上がって」


 部屋着姿の、麻衣さん。……会社での、きっちりしたスーツ姿とは、まるで違う。やわらかい素材の、ゆったりした服。下ろした髪。……なんだか、直視できなくて、俺は目をそらした。


 そして――部屋に一歩、足を踏み入れて。俺は、思わず、固まった。


(……え?)


 きちんと、片付いている。それは、予想どおりだった。……問題は、その、センスだ。


 淡いピンクの、ファブリック。小さな、ぬいぐるみが、ちょこんと並んだ棚。かわいらしい、花柄のクッション。……仕事の鬼みたいな、あの頼れる先輩の部屋とは、とても、思えない。驚くほど、乙女な、趣味の部屋だった。


「……あの、麻衣さん。……意外と、その」


「……言わないで」


 麻衣さんが、ほんのり、頬を赤くして、俺を、じろっと、にらんだ。


「……これでも、気にしてるの。……仕事のイメージと、違うって」


「い、いえ! ……その、いい、と思います。……すごく」


(……かわいい。……いや、部屋が。部屋が、かわいい)


 自分でも、何を言ってるのか、わからなくなる。


 ---


 ローテーブルを挟んで、向かい合って座る。麻衣さんが淹れてくれた、あたたかいお茶。……なんだか、いつもの、頼れる先輩じゃない。少し、緊張した空気が、二人のあいだに、漂っていた。


「……あのね、佐藤くん」


 麻衣さんが、湯呑みを、そっと置いた。


「今日、来てもらったの。……ちゃんと、お礼が、言いたくて」


「お礼、って……」


「……とぼけないで」


 麻衣さんは、まっすぐ、俺を見た。


「私、ばかじゃないよ。……あの部長の件。海外の話が、消えたこと。……あなたが、裏で、動いてくれたんでしょう」


 どきり、とした。


「……全部は、わからない。あなたも、教えてくれないし。……でも、なんとなく、わかるの。……あなたが、私のために、走り回ってくれたこと」


「……」


「ありがとう。……ほんとに」


 その声は、いつもの、姉御肌の麻衣さんじゃなかった。……少しだけ、かすれて、震えていた。


「……いつも、私、頼られてばっかりで。……誰かに、こんなふうに、守ってもらったの。……初めて、かも」


(……麻衣さん)


 なんて、返せばいいか、わからなくて。俺は、ただ、お茶を、見つめていた。


 ――と。


 麻衣さんが、少しだけ、身を乗り出した。距離が、近づく。上目づかいで、俺を、のぞきこむ。


「ねえ、佐藤くん……」


「は、はい」


「……佐藤くんって。……お付き合いしてる人とか、いるの?」


 ――ぶっ。


 俺は、危うく、お茶を吹き出しかけた。


「い、いませんっ。……そ、そんな人、いませんっ」


(……推し、一筋、なので……!)


 俺が、必死に、そう答えると。麻衣さんの表情が、わかりやすく、ぱあっと、明るくなった。


「……そっか。……いないんだ」


 ほっ、と。……その、安心しきった顔。


「……じゃあ、さ」


 麻衣さんが、そっと、手を伸ばしてくる。……その指が、俺の手に、ふれそうに――。


 《……ねえ、佐藤くん。……私、あなたのこと、……》


 ――聞こえた。手の甲に、浮かぶ、数字。


【麻衣:68%】


 あと、少しで。……はっきりと、聞こえて、しまう。麻衣さんの、本当の、気持ちが。


(――ま、まずい。まずいまずいまずい……!)


 その、瞬間だった。


 ヴ――ッ、ヴ――ッ。


 ポケットの中で、俺のスマホが、けたたましく、震えた。


「――ひゃっ」


 麻衣さんが、びくっと、手を引っ込める。……助かった、と思うべきか、どうか。俺は、反射的に、スマホを取り出した。


 着信の、画面表示。……そこには、たった一文字。


『H』


(……H? ……誰だ、これ)


 こんな連絡先、登録した覚えは、ない。……けど、いまは、この気まずい空気を、ごまかせるなら、なんでもいい。俺は、通話ボタンを、押した。


「……もしもし」


『――君っ! 電話とるの、遅いよっ!』


 ――その声に。俺の、心臓が、跳ねた。


 聞き間違える、はずが、ない。十年、聞いてきた、声。……華ちゃん、だ。


「……え? は、華ちゃん!?」


 しまった、と思った時には、遅かった。……その名前を、口にして、しまった。


(……なんで!? なんで、俺の携帯に、“H”で、華ちゃんの番号が――!?)


 混乱する俺の、目の前で。


 ――麻衣さんの、空気が、変わった。


「……はな、ちゃん?」


 麻衣さんが、そっと、俺の腕に、手を添えた。……電話を、させまいと、するみたいに。その顔が、ゆっくりと、近づいてくる。


「ねえ、佐藤くん。……その電話、切って?」


(――え。え、えぇぇぇ!?)


 なんだ。なんなんだ、この、詰められ方は。……いつもの、頼れる麻衣さんじゃ、ない。


「ねぇ……さとうくーん」


挿絵(By みてみん)


 ――と。


 その、声が。とろん、と、甘く、ほどけた。


(……この、絡み方は)


 いやな、予感がした。俺は、そっと、ローテーブルの上を、見た。


 ――あった。


 小さな、空き箱。……“お酒入り、ボンボンショコラ”。


(……まさか)


 極度の、下戸。……この人は、チョコに入った、ほんの少しの、お酒だけで。……あの、甘えん坊の、「まい」モードに、突入していたのだ。


「さとうくーん……。ねえ、これ、おいしいよ。……たべさせて?」


 とろけた目で、麻衣さんが、チョコの箱を差し出しながら、にじり、にじり、と、にじり寄ってくる。


「い、いや、麻衣さん、それ、お酒! お酒入ってますからっ! もう飲んじゃ、じゃなくて、食べちゃ、だめですっ!」


『――ちょっとぉ! 君ぃ! なに、その女の人の声はっ!』


 スマホの向こうで、華ちゃんが、なにやら、ぎゃあぎゃあ、言っている。


『……もう! なんか、やばそうだから、いま、手ぇ、打ったからねっ!』


「え? ……て、手を、打った、って――」


 その時、だった。


 どんっ、どんっ、どんっ!


 玄関の扉が、けたたましく、叩かれた。


「――はぁい、失礼しまーす!」


 返事も待たずに、ドアが開いて。……ずかずかと、部屋に入ってきたのは。


「……唯!?」


 妹の、唯だった。


「では、夜も遅いので。……お兄ちゃんは、わたしが、連れて帰りますからねー!」


 唯は、にっこり笑うと。ぽかんとする俺の腕を、がしっと掴んで。……ずるずると、玄関のほうへ、引きずっていく。


「な、ちょ、唯、待て、なんで――」


「はい、麻衣さーん、今日は、失礼しまーす。お兄ちゃんが、ご迷惑を、おかけしましたー!」


「……ぶー。……せっかく、いいとこ、だったのに……」


 とろん、とした麻衣さんの、名残惜しそうな声を、背中に聞きながら。……俺は、唯に、部屋の外へ、放り出された。


 ---


 101号室の、ドアが、ぱたん、と閉まる。


 しん、とした、夜のアパートの、廊下。俺は、唯に、こんこん、と、頭を小突かれた。


「……もう、お兄ちゃん。しっかり、してよね」


「い、いや、あれは、その……。……つ、唯こそ、なんで、ここに」


 息を、整えながら。俺は、いちばんの、疑問を、ぶつけた。


 ――そうだ。おかしい。……なんで、唯が、このタイミングで。


「……実はね。……はなちゃんから、連絡が、あったの」


「……は?」


「『お兄ちゃんが、あぶない』って。……だから、飛んできたんだよ」


 ……華ちゃんから。……唯に。


「……ちょっと、待て」


 俺の頭が、混乱する。


「……なんで、お前が。……華ちゃんの、電話番号を、知ってるんだ」


 すると、唯は。……にやっと、いたずらっぽく、笑った。


「……知らないの?」


「なにを」


「実はねー。……わたしと、はなちゃん。……もう、けっこう、仲良しなんだよ?」


 ――ぱちん、と。唯が、ウインクを、ひとつ。


(……な……)


(……仲良し……? ……いつのまに……。……というか、俺の携帯の“H”登録も、まさか――)


 夜風が、廊下を、吹き抜けていく。


 ……俺の知らない、ところで。……華ちゃんが、ずっと、動いていた。


 その事実に、俺は、ただ、立ち尽くすことしか、できなかった。


 ――壁の、向こう。103号室で。


 電話の切れたスマホを、抱きしめて。ひとり、ふうっと、安堵の息をつく、彼女がいたことを。……この時の俺は、まだ、知らない。

こちらで麻衣編が完結となります!

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