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推し活のために退寮したら、隣の部屋(103号室)に「推し(本人)」が住んでいた。 ~推しすぎたせいか、心の声まで聞こえます~  作者: しまじろう
第3章|麻衣編 ――素直になれない、頼れる先輩――

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第30話 カラオケの、決定打(後編)

※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。

 その動画は、咲が、三年前に会社を辞めた元社員から、預かってきたものだった。


「……本人、ずっと、消せずに、持ってたんだって。……いつか、誰かの役に立つかもしれないって」


「……勝手に、使って、いいのか。……その人の、つらい記憶、だろ」


「本人が、“使ってほしい”って、言ってきたの。……やっと、誰かが動いてくれるって。……電話の向こうで、泣いてた」


 ……そうか。ずっと、たった一人で、抱えてきたんだな。この、一本を。


 咲の声が、いつもより硬い。俺たちは、人気のない会議室で、一台のスマホを、二人でのぞきこんだ。


 ――再生する。


 画面に映ったのは、薄暗い、カラオケの個室だった。二次会だろう。マイクを握って、上機嫌で歌う、若い社員たち。その、いちばん端のソファ。


 そこに、あの部長が、いた。


 女性社員を一人、隅に追い込むように座らせて。……その手が、テーブルの下で。周りに気づかれないと思っているのだろう。彼女の腰から、下へ。……はっきりと、尻のあたりを、何度も、何度も、撫で回していた。


 女性は、笑顔のまま、固まっている。……身をよじって逃れようとしても、部長の手は離れない。……あの飲みの夜、俺の目の前で、麻衣さんがされていたことと。……まったく、同じだった。


(……これは)


 言葉が、出なかった。怒りで、指先が、冷たくなる。


 ……三年前も。この人は、こうやって、誰かをいいようにもてあそんでいたんだ。そして、その誰かは、声も上げられずに、会社を去った。


「……ひどい、よね」


 咲が、ぽつりと言った。いつもの軽口は、なかった。


「……こんなの、ずっと、なかったことにされてきたんだ。……“飲みの席のこと”って、一言で」


 俺は、拳を握った。


「……もう、終わりにしよう。……今度こそ」


 俺が撮った、あの夜の動画。三年前の、このカラオケの動画。そして、集まった、何人もの証言。……ばらばらだった点が、いま、一本の線になった。


 言い逃れは、できない。「酔って距離が近かっただけ」なんて、通用しない。……これだけの積み重ねが、あれば。


 ――もちろん、こわくないと言えば、嘘になる。相手は、上とのパイプを持つ、部長だ。……下手を打てば、潰されるのは、こっちのほうかもしれない。


(……それでも)


 俺は、あの寝顔を、思い出した。よく頑張ってきたんだな、と、思わず口にしてしまった、あの夜の顔を。


(……ここで、目をつぶったら。俺は、一生、あの寝顔に、顔向けできない)



「……で? これ、どこに持ってくわけ」


 咲が、腕を組んで、俺を見た。


「コンプライアンスの窓口。それと、人事。……ちゃんと、正式に、届け出る」


「役員にも、ね。……あの部長、上とのパイプで、揉み消そうとするだろうから。……先に、逃げ道を塞いどかないと」


 さすが、人事。……こういう根回しは、こいつのほうが、何枚も上手だ。


 咲は、集めた証言を、日付順に、きれいにまとめ直していた。誰が、いつ、どんな被害に遭ったか。……感情じゃなく、事実で殴る。そのための、分厚い束だった。


(……こいつが、味方で、よかった)


「……お前、ほんと、頼りになるな」


「うわ、また、素直。……気持ちわる」



挿絵(By みてみん)



 咲が、にっと笑った。……その軽口に。張り詰めていた俺の肩から、少しだけ、力が抜けた。


「……ま、乗りかかった船だしね。最後まで、付き合ってあげる。……“向いてない”名探偵くんの、助手として」


「助手、って……。……まあ、いいや。……ありがとな、咲」


「……にしても」


 と、咲が、資料を束ねる手を止めて。にやり、と、いつもの意地の悪い顔に、戻った。


「一人の女の人のために、ここまでするかね、ふつう。……ねえ、和馬。あんた、麻衣さんのこと——」


「ち、ちがう。……上司として、当然のことを、してるだけだ」


「はいはい。“上司として”、ね。……その割に、耳、真っ赤だけど?」


「……っ、う、うるさい!」


 あわてて耳を押さえる俺を見て、咲は、けらけらと笑った。……こういうときだけ、こいつは、やたらと鋭い。



 告発の日。



 俺一人じゃ、なかった。


 三年前に辞めた、元社員。ずっと黙ってきた、他部署の女性。……声を上げられずにいた人たちが。今日は、俺の隣に、いてくれた。


「……行きましょう」


 誰かが、そう言った。その声は、もう、震えていなかった。


 俺たちは、証拠一式を手に、コンプライアンスの窓口の、ドアを叩いた。……長いあいだ、誰も叩けなかった、そのドアを。


 その帰り。廊下で、麻衣さんと、すれ違った。


「お疲れさま、佐藤くん」


 いつもの、隙のない笑顔。……この人は、まだ、何も知らない。それでいい。全部、片付いてから。……何食わぬ顔で、いつもの日常を、返してやるんだ。



 ---


 告発から、二週間ほどが過ぎた。


 社内の空気は、日に日に、変わっていった。


 あの事業部長が、写った動画。積み上がった、被害の証言。……それらは、コンプライアンス委員会の調査によって、ひとつずつ、事実として、裏づけられていったらしい。


 結果は、俺たちが望んだ形で、出た。


 新設される予定だった、海外事業部。その部長就任は――白紙になった。当の本人は、責任を問われ、地方の子会社へ、異動。……体のいい、左遷だ。


 ――そして。


 彼が、強引に進めていた、麻衣さんの海外赴任も。……その“根拠”を、失った。


 推していた張本人が、いなくなったのだ。もともと、第一営業部が猛反対していた話。後ろ盾を失った内示は、あっけないほど、静かに、立ち消えになった。


(……消えた)


 朝、社内の掲示を見て。俺は、こっそり、拳を握った。


 麻衣さんは、第一営業部に、残る。……あの、頼れる先輩の居場所は、守られたんだ。




 ---


 当の麻衣さんは。……少し、戸惑っているようだった。


「……なんか、へんなの」


 給湯室で、コーヒーを淹れながら、麻衣さんが、ぽつりと言った。


「あんなに、話が進んでたのに。……急に、ぜんぶ、なかったことになって。……上の人たちも、なんだか、口が重くて」


 ……そうだろうな。表向き、部長の“不祥事”の詳細は、伏せられている。麻衣さんには、自分がどんな渦の中にいたのか、その全体像は、知らされていない。


「でも……」


 麻衣さんが、湯気の立つカップを、両手で包んだ。……その横顔が、ふっと、ゆるむ。


「……ちょっと、ほっとしてる。……行かなくて、いいんだ、って」


 肩の力が、抜けたみたいだった。ずっと張り詰めていた糸が、やっと、ゆるんだ、みたいに。


(……よかった)


 その、安心しきった笑顔を見られただけで。……走り回った甲斐が、あった気がした。


「よかったですね、麻衣さん」


 俺が、なにげなく、そう言うと。麻衣さんは、こくん、とうなずいて。それから、ふと、俺の顔を、見た。


「……ねえ、佐藤くん」


「はい?」


「……なんか、知ってる?」


 どきり、とした。


「え?」


「ううん……。なんとなく。……最近、あなた、やたら忙しそうだったし。……人事の子と、こそこそ、してたって、噂も」


「い、いや、それは……っ」


 しどろもどろになる俺を、麻衣さんは、じっと、見ていた。……見透かすような目じゃない。ただ、静かに、何かを、確かめるような。


「……ま、いっか」


 やがて、麻衣さんは、ふっと笑って、目をそらした。


「……余計なこと、聞くの、やめとく。……でも」


 カップを片手に、給湯室を出ていきぎわ。麻衣さんは、俺に背を向けたまま、小さく、言った。


「……ありがとね。……なんか、いろいろ」


 ――その一言で。俺の心臓は、ばくばくと、鳴った。


(……気づいてる。……絶対、気づいてる、この人)


 黙って、やり過ごすつもりだった。恩を、着せるつもりなんて、なかった。……なのに。この人は、勘だけで、そこに、たどり着いてしまう。


 ……さすがだ。……本当に、敵わない。


 その、去り際。書類の束を渡そうと、麻衣さんの手に、俺の指が、ふれた。


 《……もしかして、佐藤くん……》


 ――聞こえた。手の甲に、浮かぶ数字。


【麻衣:65%】


(……六十五、パーセント)


 その本音は、まだ、途中で、途切れていた。……“もしかして”の、その先を。麻衣さん自身も、まだ、うまく、言葉にできずにいるみたいに。


 ---


 昼休み。廊下で、すれ違いざま、咲が、俺の脇腹を、つついてきた。


「……ねえ。麻衣さん、なんか、勘づいてない?」


「……たぶん、な」


「あんたが黙ってても、ああいう人は、わかっちゃうのよ。……ま、いいんじゃない。恩着せがましくないの、あんたらしくて」


「……お前が言うと、褒められてる気が、しないな」


「あはは。……ちゃんと、褒めてるっての」


 咲は、にっと笑って、去っていった。……相変わらず、こいつには、頭が上がらない。


 だが。……“漏れている”のは、咲からじゃない気がした。麻衣さんの、あの勘の良さは。……もっと、別のところから、来ている気が。


(……まさか、な)


 ---


 その日の、夜だった。


 部屋で、ぼんやりしていると。スマホが、ぴこん、と鳴った。


 麻衣さんから、LINE。……珍しい。仕事以外で、麻衣さんが、連絡してくるなんて。


『佐藤くん。今夜、うちに来られる?』


『……お礼が、したいの』


 俺は、その二行を、何度も、読み返した。


(……お、お礼? ……うちって、101号室、だよな……)


 心臓が、うるさい。……ただの、お礼だ。きっと、そうだ。深い意味なんて、ない。……ないはず、なんだけど。


 どうしよう、と、スマホを握りしめた、その時だった。


 ――こんこん、と。壁が、鳴った。


 隣の、103号室から。……いつもの、華ちゃんの、合図みたいに。


(……麻衣、さん?)


 なぜか、その音は。……いつもより、少しだけ、強く、聞こえた気がした。



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