第29話 証拠は、こっそり(前編)
※本作はフィクションです。
翌週から、俺の、秘密の“反撃”が始まった。
あの夜、麻衣さんの寝顔に誓った通り。あの部長の、理不尽な引き抜きを、止める。そのために、まずやるべきことは——決まっていた。
証拠を、集めることだ。
俺が撮った、あの飲みの席の動画。……あれ一本だけでは、正直、弱い。「たまたま、酔って距離が近かっただけ」と言い逃れされたら、それまでだ。政治力のある相手を、本気で止めるには。……もっと決定的なものが、いる。
そして、こういうときに頼れるのは。やっぱり、こいつだった。
「――で? 今度は、なに探ってんの、名探偵くん」
昼休みの、いつものカフェ。向かいで、咲が、あきれ顔で、アイスコーヒーのグラスを、ころころと回している。
「名探偵は、やめろ。……真面目な話なんだ。あの部長の、過去の“手ぐせ”。……被害に遭った人が、他にもいるはずだ。その証言を、集めたい」
咲が、グラスを、ことりと置いた。……いつもの、からかう目じゃなかった。
「……本気なんだ」
「ああ。……泣き寝入りしてきた人が、いるなら。……今度こそ、終わらせたい」
しばらく、俺をじっと見て。咲は、ふう、と息をついた。
「……わかった。私も、手伝う。人事にいると、退職者の連絡先も、異動の履歴も、だいたい追えるからね。……ただし」
「ただし?」
「あんた、絶対、一人で先走らないで。……こういうの、慎重にやらないと、逆に、こっちが訴えられるんだからね」
こつん、と。テーブル越しに、咲が、俺の額を、指で弾いた。
《……ま、悪い子じゃ、ないからね。こいつ》
――聞こえた。相変わらず口の悪い、こいつの、素直じゃない本音が。手の甲には。
【咲:45%】
(……はいはい。信頼、どうも)
そこからの俺は。我ながら、ひどい探偵ぶりだった。
喫煙所の隅で、他部署の先輩に、それとなく、部長の噂を聞き出そうとして。「……お前、なんで、そんなこと聞くの?」と、露骨に怪しまれる。
誰もいない会議室を、予約したふりでのぞき込んでは。コソコソと、退室する。
給湯室で、資料を読むふりをしながら聞き耳を立てていたら。麻衣さん本人に、ばったり出くわして。
「……佐藤くん? なにしてるの、こんなところで」
「なっ、な、なにも! ……あ、あの、お、お茶を、淹れに!」
湯呑みも持たずに給湯室に突っ立っている俺を、麻衣さんは、不思議そうに見ていた。……あ、危なかった。もし勘づかれたら。……この人は、絶対、「私のために、そんなことしないで」と言うに決まっている。
――だから、これは。麻衣さんには内緒の、戦いだった。
その様子を、物陰から見ていた咲が、心底あきれた顔で、ぼそっと言った。
「……あんた、ほんと、こういうの、向いてないわ」
「う、うるさい……」
実際、地道な仕事は、ぜんぶ咲が引き受けてくれた。退職者に、当時の事情を、当たり障りなく聞くメール。異動の時期と、部長の在籍記録の、突き合わせ。……人事にいる咲だからこそ、たどれる線が、たしかにあった。
「言っとくけど、これ、私の業務じゃないからね。……完全に、あんたに、巻き込まれてるんだから」
そう言いながらも、咲の手は、止まらなかった。……口では文句を言いつつ、いちばん本気で動いてくれているのは、たぶん、こいつだった。
だが。……不思議なことが、起き始めた。
最初は口が重かった人たちが。俺と咲が、本気だと知ると。……ぽつり、ぽつりと、話し始めたのだ。
三年前に、あの部長のセクハラが原因で会社を辞めた、元社員。飲み会で同じ目に遭って、ずっと黙ってきた、別の部署の女性。……みんな、心のどこかで、ずっと、この機会を待っていたのかもしれない。
「……あの人のこと、誰かが、ちゃんと告発してくれるなら。私、協力します」
そう言ってくれた人の、声の震え。……俺は、思い知った。これは、麻衣さん一人の問題じゃなかったんだ。ずっと泣き寝入りしてきた、たくさんの人の、声なき声。
一人じゃ、何もできなかった俺の周りに。……少しずつ、味方が、増えていく。
(……いける。……いや、いかせる。絶対に)
その夜。くたくたで部屋に帰ると、ドアノブに、コンビニ袋が、ひとつ、かかっていた。中には、栄養ドリンクと、ぶっきらぼうな付箋が一枚。
『最近、帰り遅いね。倒れないでよ、ばか』
……華ちゃんだ。相変わらず、素っ気ないくせに、よく見ている。
と、付箋を裏返すと。小さな字で、追伸が、あった。
『あと。最近、会社の女の人と、よく一緒にいるみたいだけど。……べつに、どうでも、いいけどね』
(……なんで、それを、知ってるんだ)
思わず、あたりを見回す。まさか、隣人に、通勤まで、見張られているのか。……それとも、これは。
(……いや、まさか。……ヤキモチ、なわけ)
考えかけて、俺は、ぶんぶんと首を振った。相手は、トップアイドルの華ちゃんだ。俺なんかに、そんな。……ないない。あるわけ、ない。
……ないんだけど。なぜだか、ほんの少しだけ、口元がゆるむのを、こらえきれなかった。
この戦いのことは、まだ、誰にも言えないけれど。……俺は、その素っ気ない付箋に、少しだけ、力をもらった気がした。
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証言が集まってきた、ある日。
咲が、めずらしく緊張した顔で、俺を呼び出した。
「……和馬。ちょっと、まずいもの、見つけたかも」
「まずいもの?」
「証言も、大事だけど。……もっと決定的なのが、あるかもしれない。……あの部長が、写ってる、“ある動画”。……三年前の、部署の、二次会の」
咲が、声をひそめる。
「……もし、あれが本物なら。……一発で、終わらせられる」
俺の心臓が、とくん、と鳴った。
――決定打は、もう、すぐそこまで、来ていた。
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