第26話 人事部の、同期のよしみ
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
人事部に、一人、頼れる同期がいる。
本間咲。俺と同じ年に入社した、腐れ縁の同期だ。人事部の中でもやたらと顔が広くて、社内の噂話なら、たいてい、この女が握っている。さばさばした性格で、昔から、俺が何か困ったときに、真っ先に相談する相手だった。
その日の夜、俺は、会社近くの静かなカフェに、咲を呼び出した。込み入った話には、酒より、コーヒーのほうがいい。
「で? わざわざ呼び出して、話って?」
向かいの席で、咲がアイスコーヒーのグラスを、指先でくるりと回しながら、にやりと笑う。
「……お前さ、人事にいるだろ。麻衣さんの、海外の話。……どこまで、知ってる」
その名前を出した瞬間、咲の眉が、ぴくりと上がった。
「へえ? 和馬が、麻衣さんの話ねえ」
咲は、グラスをことりと置くと、頬杖をついて、じいっと俺を見た。
「……あの、筋金入りの“華ちゃんマニア”が。よりによって、生身の、しかも上司の女の人の心配とはねぇ」
「そ、それは、関係ないだろ」
「あんた、上司思いだねぇ。……それとも、なに? 麻衣さんに、なーんか、あるわけ?」
「なっ……。ち、ちがう。そういうんじゃ、ない。ただ、その、上司として——」
「ふうん」
完全に、面白がっている目だ。……こいつは、昔から、こうだ。人の気持ちを勝手に見抜いては、からかってくる。
「まあ、いいや。……で、麻衣さんの件、ね」
咲は、少し声を落として、周りを気にするように、身を乗り出した。
「知ってると思うけど。今度、うちの会社、新しく“海外事業部”ってのを立ち上げるの。で、その部長になる人が——麻衣さんを、名指しで、引っ張ろうとしてる」
「名指しで?」
「そう。“あの子が欲しい”って、上のほうに直接、掛け合ってるらしくてね。まあ、麻衣さん、優秀だから。……表向きは、栄転。エリートコースよ」
「表向きは、って」
咲は、おしぼりの袋を、指先でくるくると丸めながら。
「第一営業部——麻衣さんの、いまの部署ね。あそこは、猛反対してるの。“うちの要を持っていかれちゃ困る”って。……でも、その部長、社内の政治力が、えげつなくてさ。このままだと、たぶん、押し切られる」
押し切られる。……つまり、麻衣さんの意思とは、関係なく。
(……本人が、あんなに、行きたくなさそうにしてるのに)
「あのさ、咲。……その部長って、どういう人なんだ」
俺が聞くと、咲は、一瞬、口ごもった。それから、さらに声をひそめて言った。
「……これ、私が言ったって、絶対、言わないでよ」
「ああ」
「あの部長さ。……仕事は、できる。できるんだけど。……飲みの席での、“手ぐせの悪さ”が、有名なの」
「……手ぐせ」
「わかるでしょ。若い女の子を隣に座らせて、やたらベタベタする、っていう。……過去にも、それで何人か、泣いてる子がいる、って噂」
……その言葉が、俺の頭の中で、さっきの“栄転”という単語と、いやな形で結びついた。
麻衣さんは、極度の下戸だ。ひと口で、記憶をなくす。そんな人が、そんな部長と、飲みの席で。
(……まずいだろ、それは)
「……和馬? なに、こわい顔してんの」
咲が、心配そうに、俺の顔をのぞきこむ。それから、テーブル越しに、ぽん、と、俺の手の甲に、自分の手を重ねた。
「なんかあったら、いつでも言いな。人事の情報なら、私が、拾えるだけ拾ってあげるから」
その手のひらから。
《……ほんと、変わんないなあ、こいつ……》
――ぼそっと、一言だけ。手の甲には、うっすらと。
【咲:35%】
(……三十五パーセント、か。こいつには、こいつなりに、心配されてるらしい)
例の能力だが、こいつの本音は、まあ、聞くまでもない。昔から、口は悪いが、面倒見のいい女だ。
「……ありがとな、咲。助かる」
「うわ、素直。きもちわる」
「うるさい」
軽口を叩き合ったあとで。咲は、ふっと、真顔になった。
「……和馬。ひとつだけ、言っとくね」
「ん?」
「麻衣さんって、ああ見えて、人に弱み見せない人でしょ。ぜんぶ自分で抱えて、平気な顔しちゃう。……ああいう人ほど、危ないところで、無理する。だから、あんたが気づいてあげたの、たぶん、正解だよ」
いつもの、からかう調子じゃなかった。
「……お前、たまに、いいこと言うな」
「“たまに”は、余計」
咲は、ふん、と鼻を鳴らして、また、アイスコーヒーを一口、飲んだ。
そこで、咲が、思い出したように付け足した。
「あ、そうそう。……その“顔合わせ”の飲み、来週、あるらしいよ。部長と、麻衣さんの。二人で」
「……二人で?」
俺の背筋が、冷たくなった。
あの部長と、下戸の麻衣さんが。二人きりで、飲む。……冗談じゃない。
「……その飲み、俺も、行く」
「は?」
「なんとかして、同席する。……麻衣さんを、あんな奴と二人きりになんて、させられるか」
咲が、きょとん、とした。それから、にやーっと、いつもの意地の悪い笑みを浮かべる。
「……ふうん。“上司として”、ねえ?」
「……っ、う、うるさい!」
真っ赤になる俺を見て、咲は、けらけらと笑った。
(……笑うなよ。……でも)
笑われようが、なんだろうが。
あの人を守れ——例のミッションは、たぶん、こういうことだ。
俺は、来週の飲み会に、なんとしても、もぐりこむと、心に決めた。
お読みいただきありがとうございました!
会社に自由に話せる同期がいると心強いですよね




