第25話 推し違いの、隣人
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
翌日。俺は、決めていた。
あの人の“行きたくない”の、いちばん奥。あそこだけ蓋をされて聞こえなかった、本当の理由。それを、なんとか探ってみよう、と。
……とはいえ。上司の本音を探るなんて、探偵でもあるまいし。どこから手をつければいいのか、正直、見当もつかない。
きっかけは、思いがけない形でやってきた。
昼休み。俺が資料を取りに戻ると、フロアの隅の休憩スペースに、麻衣さんがいた。
一人で、壁のほうを向いて、スマホを見ている。イヤホンをして。……その横顔が、いつもと、まるで違った。
仕事中の、あの隙のない顔じゃない。眉間のしわも、きゅっと結んだ口元も、ぜんぶほどけて。まるで、ひなたで丸くなる猫みたいに、無防備にゆるんでいる。
(……なんだ、あの顔。あんな顔、するのか、あの人)
思わず見とれていると、麻衣さんが、ふと顔を上げた。目が、合う。
「……っ、さ、佐藤くん!?」
麻衣さんが、慌ててスマホを伏せる。……が、遅かった。イヤホンから漏れた音と、一瞬見えた画面。あれは、どう見ても——アイドルの、ライブ映像だ。
「い、いまの……アイドル、ですか?」
「ち、ちがっ……。いや、その、これは……」
顔を赤くして、しどろもどろになる麻衣さん。……こんな麻衣さん、初めて見た。あの、何があっても動じない先輩が。
俺は、なんだか嬉しくなって、つい身を乗り出した。
「もしかして麻衣さん、アイドル、好きなんですか? ……奇遇ですね。実は俺も——」
言いかけて、画面の“推し”が誰なのか、確かめて。俺は、固まった。
――葵。
新進気鋭の、若手アイドル。二十歳。最近、メディアで急に見るようになった、勢いのある子だ。そして——よりによって、俺の華ちゃんに、ことあるごとに噛みついている、あの、葵だった。
「……えっ。麻衣さん、葵、推しなんですか」
「な、なによ。悪い?」
「悪くは、ないですけど……。よりによって、“アンチ華ちゃん”の、葵……」
俺の中で、十年来の忠誠心が、むくりと頭をもたげる。
「言っときますけど、麻衣さん。表現力なら、華ちゃんが断然——」
「もう、なに言ってるの。伸びしろで言ったら、葵ちゃんのほうが断然、上でしょ。あの子、まだ二十歳だよ? これからなんだから」
「華ちゃんの、あのステージの完成度を見てから言ってくださいよ。十年、積み上げてきた——」
「完成しちゃってるってことは、伸びしろ、ないってことじゃない」
「なっ……」
……気づけば、俺たちは、休憩スペースの真ん中で、本気で、推しの優劣を言い争っていた。上司と部下で。昼休みに。
……はっと、我に返る。
麻衣さんも、同じタイミングで、口をつぐんだ。それから、二人して、なんとも言えない顔で、目をそらす。
「……ぷっ」
先に噴き出したのは、麻衣さんだった。
「なにやってんだろ、私たち」
ひとしきり笑って。それから麻衣さんは、スマホの画面を、そっと、こちらに見せてくれた。
映っていたのは、バラエティ番組の切り抜きだった。司会者に「目標は、やっぱり華さんですか?」と聞かれた葵が、ぷいっとそっぽを向いて、言い放つ。
『……べ、別に。あの人は、関係ないし。わたしは、わたしの道を、行くだけ、です』
……絵に描いたような、生意気な態度。だけど。
その一瞬、そっぽを向いた葵の目が、ほんの少しだけ泳いで。うつむいた横顔に、隠しきれない、なにかが、にじんでいた。
「……この子ね」
麻衣さんが、画面を見つめたまま、ぽつりと言った。
「ほんとは、華ちゃんのこと、大好きなの。憧れて憧れて、しょうがないの。……なのに、素直に言えなくて。ライバルだ、なんて意地を張って、噛みついちゃう。……不器用なのよ、この子」
その声が、やけに優しかった。
「なんか……ほっとけなくて。応援、しちゃうんだよね」
――そのとき、俺は、なんとなく気づいてしまった。
麻衣さんが、この子に重ねているのは。たぶん、麻衣さん自身なんじゃないか、と。
一生懸命なのに、素直になれない。頼ってほしいのに、頼れない。甘えたいのに、甘えられない。……そういう、不器用さを。
俺が、そんなことを考えていると。麻衣さんが、俺にスマホを渡そうと手を伸ばして。その指が、俺の手に、ふれた。
《……この時間だけは、自分のために、使えるから……》
――聞こえた。手の甲には、【麻衣:52%】。
(……そうか。この人にとって、これは)
誰かに頼られて、誰かの世話を焼いて。朝から晩まで、ずっと人のために動いている、この人が。たった一人、イヤホンをして、推しを応援する、この短い時間だけが。……“自分のための時間”なんだ。
なんだか、胸の奥が、しん、となった。
と、そこへ。
通りかかった別の部署の課長が、麻衣さんに声をかけた。
「あ、麻衣さん。海外の件、来週、部長と面談だってさ。……ほぼ、決まりみたいだね。おめでとう」
その一言で。ほどけていた麻衣さんの顔が、また、きゅっと、いつもの“先輩の顔”に戻っていく。
「……はい。ありがとうございます」
完璧な、余所行きの笑顔で、麻衣さんはそう答えた。
その笑顔の下で、さっき聞こえた《行きたくない》が、まだ消えていないことを。……俺だけが、知っていた。
(……ほぼ、決まり、か)
のんびり探偵ごっこをしている場合じゃ、なくなった。
俺は、こっそり拳を握る。
(……守れ、って言うんだろ。だったら——動くしか、ないよな)
視界のすみで、あのミッションの文字が、ぴこん、と、少しだけ明るくなった気がした。
お読みいただきありがとうございました。
イヤホンがうまくイラストにできなかったのですがご容赦ください。




