第22話 花火の名前
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
夜店の灯りが、川沿いの道に、どこまでも続いていた。
綿あめ、りんご飴、焼きそば、射的。むわっとした夏の夜気に、ソースと火薬の、甘い匂いが混じる。
その人ごみの中を、華ちゃんは、まるで初めて世界に出た子どもみたいに、目を輝かせて歩いていた。
「ねえ、君! あれ、なに!? あの、金魚の!」
「あー、金魚すくい、ですね」
「やる! やりたい!」
俺の返事も待たずに、華ちゃんは屋台へ駆けていく。しゃがみこんで、真剣な顔で、ぽい、と紙のポイを水に沈めて。
「あっ……! やぶれた! もう、なにこれ、むずかしっ!」
「ふふ。……力、入れすぎです」
結局、一匹もすくえなくて。それでも、おじさんが「がんばったから」と、一匹おまけしてくれた小さな赤い金魚を、華ちゃんは、宝物みたいに両手で袋を包んで、大事そうに持ち歩いた。
りんご飴を、二人で半分こして。かりっとした飴に、華ちゃんが「あまっ」と顔をしかめて、それから、へへ、と笑う。
(……なんか、こういうの、いいな)
テレビの向こうの、きらきらした華ちゃんじゃない。俺のすぐ隣で、笑って、はしゃいで、飴を食べている。……ただの女の子の、夏だった。
と――祭りの、いちばんの人混みに、さしかかったときだった。
どっと、人の波が押し寄せて。俺と華ちゃんの間が、ぐん、と開きそうになる。
「あっ……」
華ちゃんの、心細そうな声。
俺は、とっさに手を伸ばして――その手を、ぎゅっと握っていた。
「はぐれますよ。……ちゃんと、掴まっててください」
「……っ。う、うん」
繋いだ手の、ひらから。
《……あ。……この手、あったかい。……ずっと、こうしてても、いいのに》
――聞こえた。
いつもの途切れ途切れじゃない。はっきりと、まっすぐな、感情が。同時に、手の甲の数字が、ふっと跳ね上がる。
【華:70%】
(――な、七十……!? ……初めてだ、こんな数字)
どく、どく、と。繋いだ手の向こうから、華ちゃんの鼓動みたいなものまで、伝わってくる気がして。
その本音の、いちばん奥で。
《……君のこと、ほんとは、ずっと――》
「――っ」
その続きを。
どぉん、と。
夜空で、大輪の花火が、開いた。
地面まで震わせる爆発音に、いちばん聞きたかった、その一語だけが、跡形もなく、かき消された。
(……い、今、なんて……!? ……あと、少しで……!)
だが、もう遅い。花火の音は、鳴りやまない。華ちゃんの声も、もう途切れて、聞こえなかった。
(……くそっ。……あと、ほんの一言、だったのに)
もどかしさに歯噛みする俺の隣で。
華ちゃんは、繋いだ手はそのままに、夜空を見上げていた。
どぉん、どぉん、と。次々と、大輪が、咲いては散っていく。その光が、華ちゃんの白い横顔を、赤く、青く、金色に、染めていく。汗ばんだ、うなじ。少しだけ着崩れた、浴衣の衿。花火を映した瞳が、きらきらと潤んでいた。
しばらく、二人で黙って、それを見上げていた。
やがて。花火の合間の、静けさに。華ちゃんが、ぽつり、と口を開いた。
「……ねえ、君。私の、本当の名前。……教えてなかった、よね」
「え」
「“華”は、アイドルの名前。……本当はね、私」
花火の光を瞳に映したまま、華ちゃんは、そっと言った。
「――“一ノ瀬花火”、っていうの」
はなび。
その名前が、頭の中で、今、見上げている夜空の花火と、重なる。
そして――同時に、思い出した。
いつか麻衣さんに名前を訊かれて、この人がほんの一瞬だけ言いよどんでから口にした、あの名前だ。あのとき俺は、なんの気なしに「まあ、偽名だろう」と決めつけていた。素顔で暮らすトップアイドルが、本名なんて名乗るはずがない、と。
……ちがった。あれは、偽名なんかじゃ、なかったんだ。この人が、いちばん大事にしている、本当の名前。それを、あの日の俺は、聞き流していた。
(……そういえば、あのとき。怜子さんだけが、はっとした顔を、してたっけ)
あの人は、知っていたんだ。これが、偽名なんかじゃないってことを。
「小さいころね。お父さんと、この祭りに来たんだ。ちょうど、今日みたいに。……そのとき、教えてくれたの。“お前の名前は、花火。夜空に上がる花火みたいに、いろんな人を、ぱっと明るく照らして、笑顔にする。……そんな人に、なってほしい”って」
華ちゃんの声が、少しだけ震えた。でも、それは悲しみじゃなくて。……たぶん、誇りの、震えだった。
「私が、アイドルになりたいって思ったの。……たぶん、あのときの、この花火が、原点なんだ」
――ああ。
俺は、その瞬間、理解した。
十年、追いかけてきた。テレビの中の、まぶしい笑顔。ステージの上の、輝き。その、いちばん奥の、いちばん深いところに。この小さな女の子と、父親と、夜空の花火が、ずっとあったんだ。
俺が心を掴まれた、あの光は。……この人が、誰かを笑顔にしたいと願った、その原点そのものだったんだ。
(……そうか。……俺は、この人の、この“花火”に、照らされてきたんだ)
繋いだ手に、無意識に、力がこもる。
華ちゃんは、そんな俺を見て、ふっと、いつものいたずらな笑みを浮かべた。
「……なに、その顔。泣いてんの?」
「な、泣いてません」
「うそだ。ちょっと、泣いてる」
けらけらと、華ちゃんが笑う。……まったく、こういうところは、いつもの華ちゃんだ。
そうして、ひとしきり笑ったあとで。
華ちゃんが、ふと、笑みを消した。
打ち上がる花火を、じっと見上げたまま。その横顔が、急に、迷子の子どもみたいに、心もとなくなる。
「……ねえ、君」
「はい?」
「私……」
花火の光が、その瞳に、ゆらゆらと揺れて。
「……どうしたら、いいんだろう」
それが、なんのことなのか。俺には、まだ、わからなかった。
ただ、繋いだ手だけが、さっきより少しだけ強く、俺を握り返していた。
夜空では、まだ、花火が、咲き続けている。
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