第21話 夏祭りへ、借りものの浴衣
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
七月の、終わり。
じりじりと照りつける夏の日ざしの下で、俺はひとつの難題を抱えて頭を悩ませていた。
華ちゃんの、次の“やり残し”。地元の花火まつりに、誰にもバレずに、ふつうの女の子として行ってみたい――その願いを、なんとか叶えてやりたい。
(会場の下調べも、変装の段取りも、ぜんぶ考えた。……けど、ひとつだけ、どうにもならない問題がある)
浴衣だ。
華ちゃんは、「アイドルの華」としての衣装なら、山ほど持っている。けれど、“ふつうの女の子”が夏祭りに着ていく、なんてことない浴衣は、一枚も持っていないらしい。
(そりゃ、そうか。……ふつうの夏祭りに、行ったことが、ないんだもんな)
まず思いついたのは、妹の唯だった。同じアパートの、202号室。年頃の女の子なら、浴衣のひとつくらい持っているだろう。
俺は、さっそく唯の部屋を訪ねた。
「浴衣? いいよー。お兄ちゃんのお願いなら、なんでも貸しちゃう」
唯は、ぱあっと顔を輝かせて、押し入れから一枚の浴衣を引っぱり出す。それを、俺の胸に、ぐいっと押しつけてきた。
と、その手が、俺の手に、ふれて。
《はわわわっ! お兄ちゃんが、わたしのお部屋にっ……! だだだ大好きっ、世界一っ、宇宙一だいすきっ……!!》
(――う、うわあっ、また、この声!)
外面はにこにこと平然としているのに。触れた手から流れ込んでくる心の声は、相変わらず、常軌を逸したブラコンぶりだった。
「……お兄ちゃん? どうかした? 変な顔してるよ」
「い、いや、なんでも……。じ、じゃあ、この浴衣、借りるな」
俺は、あわてて手を離す。頭の中の絶叫が、ぷつりと途切れた。
――が。
その浴衣を、あらためて広げてみて、俺は、うなった。
(……小さい。これは、どう見ても、小さいぞ)
唯は、姉妹の中でも、飛び抜けて小柄だ。背丈も、体つきも。この浴衣を華ちゃんが着たら、あちこち、つんつるてんになるのは、目に見えていた。
「……悪い、唯。やっぱり、サイズが……」
「えー。……お兄ちゃん、貸す相手、けっこう大きい人なんだ? ふぅん……」
唯が、じとっと、意味ありげに俺を見る。……なんだか、薮蛇だった。
◇
消去法で、残った選択肢は、ひとつしかなかった。
1階の、いちばん手前。101号室の、麻衣さんだ。
「……ってわけで。浴衣、貸してもらえませんか。その、お隣さんに」
俺が事情をかいつまんで説明すると、麻衣さんは少しだけ、目を伏せた。
「……お隣の、あの子とね」
その声が、いつもより、ほんの少しだけ、静かだった気がした。けれど、それも一瞬のことで。
「うん、いいよ。ちょうど、去年新しいの買ったから、前のが一枚あるし。……佐藤くんのお願いだもんね」
麻衣さんは、ふわりといつもの笑顔に戻って、上等な浴衣を、貸してくれた。
(……なんだ、今の間。気のせい、か?)
そのときの俺には、麻衣さんの胸の内なんて、知る由もなかった。
◇
そして、当日の、夕方。
着替えを終えた華ちゃんが、103号室から出てくるのを見て――俺は、思わず、息をのんだ。
紺地に、白い朝顔の、浴衣。きゅっと結ばれた帯が、細い腰の位置を、くっきりと際立たせている。うなじには、ふだんおろしている髪を、ゆるくまとめて。そのうしろ姿の、白い首すじが、夕暮れの光に、やわらかく照らされていた。袖からのぞく、二の腕。裾から、ちらりと見える、細い足首。
いつもの、辛口の華ちゃんでも、テレビの中の華でもない。夏の夕方に、どこにでもいそうな――でも、どうしようもなく、可懐な、女の子が、そこにいた。
(……や、やばい。……なんだ、これ。……反則、だろ)
「……ちょっと。そんな、じろじろ見ないでよ」
華ちゃんが、ばつが悪そうに、目をそらす。その頬が、ほんのり赤い。
「あ、す、すみません……。えっと、その、衣、ちょっと、ずれてます」
俺は、動揺をごまかすように、手を伸ばして、ゆるんだ衣元を、そっと直そうとする。
――と。その、指先が、鎖骨のあたりに、ふれて。
《……なんで、こんなに、ドキ……》
途切れ途切れの、断片。手の甲では、あの数字が、ちらついている。
【華:63%】
(……六十パーセント台。……着実に、上がっては、いるんだよな)
あわてて手を引くと、華ちゃんは、ふと、自分の胸元を見下ろして、首をかしげた。
「……ねえ、君。なんか、これ、ちょっと、ぶかぶかなんだけど。……特に、この、胸のあたり」
華ちゃんが、衣元をつまんで、ひっぱる。たしかに、そこだけ生地に余りがあって。かがめば危うく、内側がのぞいてしまいそうな――。
(――み、見るな、俺! 煩悩退散っ……!)
「あー、それは。……その浴衣、麻衣さんの、なんで……」
しまった、と思ったときには、もう、遅かった。
華ちゃんの動きが、ぴたり、と止まる。
「……麻衣さんの」
「あ、いや、その。唯のは、小さすぎて。だから、麻衣さんに、頭を下げて、借りて……」
「……ふうん」
華ちゃんは、もう一度、自分の余った胸元を、じっと見下ろした。それから、なぜだか、ちょっとだけ、唇をとがらせて。
「……むむむ」
「え?」
「……なんでもない」
そう言いながら、華ちゃんは、余った衣元を、ぎゅっと、かき合わせる。……なんだか、機嫌が、微妙だ。
《……なんで、モヤモヤ……》
ふれてもいないのに、なぜか、その断片だけが、ノイズ混じりに、耳の奥をかすめた気がした。けれど、それが、なんの“もやっと”なのかは、俺には、まるで、わからなかった。
(……女心って、難しいな……)
しばらく、むうっと、押し黙っていた華ちゃんだったが。
やがて、ふう、と息をついて、ぱっと顔を上げた。もやもやを、無理やり振り払うみたいに。
「……よし。行こ」
「え」
「今日は、ぜんぶ忘れて、楽しむって、決めたの。……ほら、君も。ぼーっとしてないで」
そう言うが早いか、華ちゃんは、俺の手を、ぐいっと引いた。
遠くのほうから、もう、太鼓の音が、聞こえ始めている。
夏祭りの、灯りに向かって。俺たちは、歩き出した。
お読みいただきありがとうございました。
小さい頃の夏祭りは凄いドキドキした記憶があるのですが私だけでしょうか?




