第20話 原付試験、いってらっしゃい
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
六月なかばの、水曜日。
ついに、原付試験の当日がやってきた。
(朝から、そわそわして落ち着かない。……試験を受けるのは、俺じゃないってのに)
この一ヶ月。水曜の夜ごとの“居残り勉強”に、俺はとことん付き合ってきた。標識、法規、ひっかけ問題。あの辛口の華ちゃんが、ときどき舌を出しながらも、こつこつペンを走らせる姿を、俺はずっと隣で見てきたのだ。
(なのに、なんで俺のほうが緊張してるんだよ……)
試験会場までは、当然、付き添えない。トップアイドルの華ちゃんと、俺が並んで歩くわけにはいかない。今日の華ちゃんは、ただの受験者のひとりとして、ひとりで会場へ向かうことになっている。
朝、玄関のドアを開けると。
ちょうど、隣の103号室から、華ちゃんが出てくるところだった。
大きめのキャップに、伊達眼鏡。いつもの変装だ。けれど、その横顔は、めずらしく硬い。
「……おはよ」
「おはようございます。……なんか、緊張してます?」
「し、してないし」
嘘だ。声が、わずかに上ずっている。手にしたバッグの持ち手を、ぎゅっと握りしめているのが、見なくてもわかった。
俺は、ポケットから、それを取り出した。
昨夜、柄にもなく夜なべして折った、小さな紙のお守り。中には、華ちゃんが最後まで苦手だった標識の覚え書きを一枚。それと――ひとことだけ。
『だいじょうぶ。ぜんぶ、やってきた』
「……なに、これ」
「お守り、です。中を見るのは、試験のあとで。……まあ、気休めですけど」
華ちゃんは、それをしばらくじっと見つめて。それから、ふい、と顔をそむけた。
「……ばか。こんなの、荷物になるだけでしょ」
そう言いながら、バッグのいちばん大事そうなポケットに、そっとしまうのを、俺は見逃さなかった。
(……素直じゃないんだよな。ほんと)
「じゃあ。……いってらっしゃい、華ちゃん」
俺がそう言うと、華ちゃんは、一瞬きょとんとして。それから、ふっと力が抜けたみたいに笑った。
「……うん。いってきます」
その背中を見送りながら、俺は気づいた。「いってらっしゃい」も「いってきます」も、この人にはきっと、当たり前じゃなかったんだ。誰かに送り出されて、どこかへ向かう。そんなありふれたやりとりすら。
――だからこそ。今日はちゃんと、いい一日になればいい。
◇
それからの数時間は、やたらと長かった。
部屋の掃除をしても、洗い物をしても、気づけばスマホばかり見ている。試験は午前中のはず。合格発表は、たしかその日のうちに出ると言っていた。
(……受かってるといいけどな。標識、最後まであやしかったし)
落ち着かないまま昼を過ぎ、午後になって。
――ぴこん。
スマホが鳴った。華ちゃんからのメッセージだ。
俺は、飛びつくように画面を開いた。
『いま、帰った。ちょっと、そっち行っていい?』
用件だけの、そっけない一文。……結果が、書いていない。
(う、受かったのか? 落ちたのか? どっちなんだ……!)
気が気じゃないまま、俺は「どうぞ」とだけ返す。
ほどなくして、こんこん、と、控えめなノックの音がした。
ドアを開けると。
そこに立っていた華ちゃんは、キャップも眼鏡も外して、素顔のまま。頬をほんのり上気させて、妙にそわそわしていた。
「……あの、さ」
「は、はい」
「……これ」
華ちゃんがすっと差し出したのは、一枚の、真新しい原付免許証だった。
「……っ! う、受かったんですか!?」
「……まあ、ね」
華ちゃんは、つん、とすまして見せた。……けれど、その口元が、どうしてもゆるむのをこらえきれていない。
「標識のとこ、二問あやうかったけど。……君の、あのお守りの覚え書き。あれ、そのまんま出たんだよね」
「ま、まじですか」
「うん。だから、まあ……」
と、そこで。
華ちゃんが、免許証を渡そうと、俺のほうへ手を伸ばして。その指先が、俺の手に、ふれた。
《……君に、いちばんに、言いたかった》
――聞こえた。
いつもより、ずっとはっきりと。あたたかい、まっすぐな本音が。
同時に、手の甲のあの数字が、ふっと書き換わる。
【華:60%】
(……六十パーセント。……上がってる。それに、今の声……)
と、視界のすみで。
【ミッション達成:華の“原付免許”合格をサポートした。好感度が上がった】
その文字を見るより先に、俺の胸のほうが、じん、と熱くなっていた。
いちばんに、言いたかった。……この俺に。
「……あのさ」
華ちゃんが、あわてたように手を引っこめる。ごまかすみたいに、早口になった。
「べ、別に。君のおかげ、とかじゃ、ないからね。ぜんぶ、私ががんばったんだし」
「はい。知ってます。……華ちゃんが、がんばったんです」
「……っ。な、なんで素直に肯定するの。……調子、狂うでしょ」
ぷい、とそっぽを向く、その耳が、ほんのり赤い。
(……かわいいな、って。……い、いかん。ファンとしての一線を、越えかけてる)
俺は、あわてて煩悩を頭の隅に追いやる。
そのときだった。
華ちゃんが、ふと、窓の外に目をやった。夕暮れの、赤い空を。
その横顔が、急に、少しだけ遠くなる。
「……ねえ、君」
「はい?」
「夏に、さ。……私の地元で、“花火まつり”ってのが、あるんだけど」
その声は、いつもの辛口とも、表の笑顔とも違う。どこか、幼い日を思い出すみたいな声だった。
「……行ってみたいな。誰にもバレずに。……ふつうの、女の子として」
――また、ひとつ。
この人の“やり残した青春”が、口からこぼれた。
そして、俺の視界の、すみっこに。
【新ミッション:華を“地元の夏祭り”へ連れていけ】
(……はいはい。もちろん、お供しますよ。……どこまでも)
夕焼けに染まった横顔を見ながら、俺は心の中で、そっとそう答えていた。
お読みいただきありがとうございました。
合格とか嬉しいことを誰かと共有すると、その嬉しさは何倍にも膨れ上がりますよね。




