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推し活のために退寮したら、隣の部屋(103号室)に「推し(本人)」が住んでいた。 ~推しすぎたせいか、心の声まで聞こえます~  作者: しまじろう
第2章|華編Ⅱ ――ふたりだけの、やり残した青春 ――

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第15話 壁一枚の距離

※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。

 四月。


 暦の上では春だが、この安アパートの朝晩は、まだぞくりと肌寒い。


 世話係、初日。俺は華ちゃんの部屋で、黙々と床を拭いていた。当の華ちゃんは、すぐそばの座卓で頬杖をつきながら、台本らしき冊子をぱらぱらとめくっている。


 と――掃除の手が、部屋の隅で止まった。


 壁に、可愛らしい花柄の小さな紙が、ぺたりと貼られている。……なんだか、そこだけ妙に不自然だ。


(……なんだ、これ)


 掃除のついでだ、と自分に言い訳して、俺はその紙の端をそっとつまんだ。


 ――ぺり。


 その裏側にあったのは。


 直径五センチほどの、穴。


「……あな?」


 壁をまっすぐぶち抜いて、向こう側へと通っている。ちょうど、小さな手ならかろうじて通るか通らないか。俺のような男の手なら、指がやっと入る程度の大きさだ。


(……向こう側って。この壁の向こう、といえば)


 恐る恐る、その穴に片目を近づけて覗いてみる。


 ――見えた。


 見慣れた、俺の部屋の壁際。ただ、いつもは大きな棚の裏側になっていて、だから俺は今まで一度も気づかなかったのだ。


 俺の部屋と華ちゃんの部屋は、この小さな穴ひとつで、ずっと繋がっていた。


(……ってことは。……ってことは、だ)


 さあっ、と全身から血の気が引いていく。


 このボロアパートは、ただでさえ壁が薄い。物音なんて、もともと筒抜けだ。そこにこの穴まであるとなれば。


 ――音は。声は。ぜんぶ。


 思い返せば――夜。俺の部屋でうとうとしていると、壁の向こうからかすかに聞こえてきたことがあった。しゅる、と衣擦れの音。ぱたん、と何かを置く音。小さな鼻歌。ときには、ふう、と湯上がりみたいなあまい吐息まで。……あれは、ぜんぶ。


 ――そして、いちばんまずいのは。その音が、いやでも頭の中に映像を描き出させてしまう、ということだ。


 夜。風呂上がりの華ちゃんが、しゅる、とTシャツを頭から脱いでいく。しっとりと汗ばんだ白い背中。肩からするりとずり落ちる、細い肩ひも。湯気でほんのり上気したうなじ。まとめていた髪を、ぱさり、とほどく、その仕草。ほっそりとした肩の、その先で、ふるり、と揺れる――。


(――い、いかん! 想像するな、俺っ……! 華ちゃんの着替えを、勝手に頭の中で再生するなあっ……! 煩悩退散っ、煩悩退散っ……!)


 真っ赤になって固まっていると。


「……なに、そんな真剣な顔で覗いてんの。君」


 すぐ後ろから、声がした。


 振り向くと、いつのまにか華ちゃんが、俺のすぐ背後にしゃがみこんで、同じ穴をひょいとのぞきこんでいる。……顔が、近い。


「うわっ!? か、華ちゃん、これ、この穴っ……!」


「ああ、それ。知ってるよ。前からあったもん、それ。だから、紙で隠してたんでしょ」


「そ、そんな、のんきな! 声とか音とか、筒抜けなんですよ!? あなたの、その、着替えとか、いろいろ……!」


「……へえ」


 華ちゃんの目が、すう、と細くなった。


「じゃあ君、私の生活音。……しっかり堪能してたんだ?」


挿絵(By みてみん)


「ち、違います! 断じて! 不可抗力です!」


 必死に首を振る俺を、華ちゃんは面白そうにのぞきこんでくる。すっぴんの頬が、吐息がかかりそうなほど近い。


(……なんだ、この、へんな距離感は……!)


 ◇


 その夜。


 自分の部屋――102号室で、俺は布団の上にひっくり返っていた。


(……まさか、あの穴がずっとあったとはな)


 と、そのときだ。


 壁の向こう。紙で塞がれた、あの穴のあたりから。


「ねえ、君。起きてる?」


 華ちゃんの声が、かすかに届いた。……本当に、筒抜けだ。


「……起きてます、けど」


「ちょっと聞きたいんだけど。春って……学生は、なにをしてるものなの?」


「……は?」


 あまりに唐突な質問だった。


「ほら。四月でしょ、今。学校が始まる季節。……私、そういうの、ぜんぜん知らないから」


 ――ああ、そうか。


 これも、あの“やり残した青春”の一環なんだろう。


「そう、ですね。……えっと。入学式、とか。クラス替えでドキドキするとか。健康診断とか……」


「けんこう、しんだん」


「あ、大学だとその辺はゆるいですけど。かわりに……そう、サークル勧誘、とか。新入生をみんなで取り合うんです。ビラを配って、声をかけて」


「サークル勧誘!」


 その、瞬間だった。


 壁の向こうの声が、ぱっ、と跳ねた。


「それ! いい! やりたい!」


「え?」


「――ねえ、君。私を、サークルに勧誘しなさい」


「…………は?」


 俺の思考が、停止した。


 と、同時に。視界のすみで、ぴこん、と。


【新ミッション:華を“サークル”に勧誘し、青春を体験させよ】


(……ま、また、無茶を……!)


「はい、決まり。……期待してるからね、君」


 壁の向こうで、華ちゃんが満足げに笑う気配がした。それきり、声は聞こえなくなった。


 あとには、壁一枚と、頭を抱える俺だけが残された。


(……サークル勧誘、とは。……いったいぜんたい、どうすれば……!)


 新入生を勧誘する側なら、まだわかる。だが、たった一人を、しかも正体を隠したアイドルを、“サークルに入れる”なんて。そんな行事、この世に存在するのか。


 ひとしきりうなった末に、俺はあきらめてスマホを握りしめた。


 こういうしょうもない相談を、真剣に聞いてくれるやつは。……俺の知る限り、この世に一人しかいない。



お読みいただきありがとうございました!

いつでも通じ合える穴は結構ドキドキしますよね。

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