第14話 ベランダの向こうの、無防備
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
翌朝。
昨夜の“任命”のことは、ひとまず、頭の隅に押しやって。俺は、いつも通り、休日の洗濯に、精を出していた。
ベランダに出て、シャツを、物干し竿にかけていく。よく晴れた、気持ちのいい朝だ。
(……そういえば、あのミッションとやらは、まだ、消えてないんだよな)
視界のすみには、相変わらず、あの文字が、うっすらと居座っている。
【ミッション:華の“やり残した青春”に付き合い、好感度を上げよ】
(好感度、って言われてもな。どうすれば、上がるんだ、これ……)
と、首をかしげた、そのときだった。
ふと、目に入った、隣のベランダ。103号室の、華ちゃんの部屋の、その物干しに。
――ひらり、と。
あきらかに、女性ものの、下着が。何枚も。何の躊躇もなく、堂々と、干されていた。
(――ぶふぉっ……!?)
俺は、危うく、口から魂が、抜けかけた。
だ、だめだろ、これは。相手は、清純派で売ってる、トップアイドルだぞ。こんなもの、下の道からでも、丸見えじゃないか。もし、ファンの誰かが、通りかかったら。もし、週刊誌にでも、撮られたら。
しかも――だ。
当のベランダには、本人まで、いた。
だぼっとした、大きめのTシャツ。むきだしの、白い二の腕。そして、きわどいほど短い、ホットパンツから、すらりと伸びた、生足。
寝起きなのか、ぼさぼさの髪をかきあげながら、大あくびをしている。ふだんの、アイドルの華からは、想像もつかない、あまりにも無防備な、部屋着姿だった。
伸びをするたび、Tシャツの裾が、ふわりとまくれて、白いおへそが、ちらちら、覗く。ホットパンツから伸びた太ももは、朝の陽射しを浴びて、白く、まぶしい。ぶかっとした襟ぐりは、かがむたびに、危うく、ゆるむ。
清純派アイドルの、まさかの部屋着姿。俺の頭の中で、鳴りやまない警報と、迫り上がる煩悩が、正面から、衝突した。
(――み、見るな、俺! 煩悩退散っ……! ……いや、でも、下着が! 下着が、危ないんだってば……!)
目のやり場に、死ぬほど困りながら。俺は、意を決して、部屋を飛び出した。
華ちゃんの部屋の、ドアを、どんどん、と叩く。
「か、華ちゃん! 華ちゃん、大変です、あの、その、ベランダ!」
「……なに。朝から、うるさいな」
顔を出した華ちゃんに、俺は、しどろもどろの早口で、まくし立てる。
「し、下着です! ベランダに、下着が、その、丸見えで! あなた、清純派、なんですよね!? もし、誰かに、見られたら! それに、その、恰好も! そんな、無防備な、恰好で、表に、出ちゃ……!」
「……はあ」
華ちゃんは、俺の剣幕を、きょとんと聞いていたが。やがて、めんどくさそうに、頭をかいた。
「言われてみれば、そうか。……あーあ。素の生活してると、そういうの、感覚が、にぶっちゃうんだよね」
けろっとしたものだ。さっき、あんなに、大惨事だと思ったのは、俺だけらしい。
「じゃあ、さ」
と、華ちゃんが、にやり、と。いやな予感のする、笑みを浮かべた。
「君が、やってよ」
「……は?」
「私の、身の回りの世話。掃除とか、洗濯とか。……君なら、私の“事情”も、知ってるわけだし。ちょうど、いいでしょ」
「な、なんで、俺が……!」
「あれ? いやなの? 推しの下着を、干す係だよ。ファン冥利に、尽きると思うけど」
「ぐっ……」
なんて、言い草だ。だが――正直に言えば。ぐうの音も、出なかった。
「ねぇ? んー?」
華ちゃんが、んー、と、俺の顔に、ずいっと、自分の顔を、近づけてくる。
(ち、近いっ……!)
俺は、できる限り、顔を真横にそむけて、必死に、その圧に、耐える。眼鏡ごしの、大きな瞳。すっぴんの、白い頬。吐息が、かかりそうな、距離だ。
(ぼ、煩悩退散っ……! た、耐えろ、俺……!)
「……どうなの? やってくれるの、くれないの」
さらに、ぐい、と。顔が、寄ってくる。
……もう、限界だった。
「……はい。わかりました」
「え? なんだって? 聞こえなかったなあ」
華ちゃんが、意地悪く、耳に手を当てる。
こうなったら、やけくそだ。俺は、覚悟を決めて、まっすぐ、彼女を見た。
「はい! この身、全身全霊で、ぜひ、やらせてくださいっ!」
「うん、よろしい」
華ちゃんが、ぱっと、満面の笑みを、浮かべる。
「じゃ、契約成立ね」
そう言うが早いか、彼女は、俺の手を、ぐいっと掴んだ。握手、のつもりらしい。
その、瞬間。
《……まあ、キミがいれば。ちょっとは、ラク、できるかな》
――聞こえた。触れた手から、彼女の、本音が。
と、同時に。手の甲のあたりに、また、あの数字が、浮かぶ。
【華:42%】
(……四十二パーセント、か。ま、まだ、こんなもんか)
昨日から、うすうす、わかってきた。この“好感度”とやらの数字が、聞こえ方の、深さを、決めているらしい。今の華ちゃんは、まだ、単語みたいな断片が、ぽつり、と届く程度。
つまり――俺は、まだ、この人にとって。せいぜい、“便利な道具”くらいの、存在なんだろう。
(……なんか、ちょっと、複雑だな)
と、その内心を、見透かすように。
ぴこん、と。視界のすみで、あの文字が、書き換わった。
【サブミッション発生:世話係として、華の生活に踏み込め】
(……だから、誰なんだよ、お前は!)
こうして、俺は。推しの、住み込みならぬ、通いの世話係、という。世にも奇妙な役職に、就任してしまったのだった。
――そして、その、初日。
華ちゃんの部屋の、掃除をしていた俺の目が。ふと、ある一点で、止まった。
壁の、隅のほう。可愛らしい模様の、小さな紙が、ぺたり、と貼られている。
(……なんだ、これ。……こんなところに、シールでも、貼ってるのか?)
そのときの俺は、まだ、知らなかった。
その紙の、すぐ裏側に。俺の平穏を、根こそぎ揺るがす、とんでもない“秘密”が、隠されていることを。
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