第13話 噂と、卒業式のない春
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
ごはん会の翌々日の夜だった。
世話係だなんだと言われて、俺は今夜も隣の103号室に呼び出されていた。
いつもなら開口一番、辛口の指示が飛んでくる。皿を洗え、とか。ゴミを出しといて、とか。
だが、今夜の華ちゃんはどこか様子が違った。
眼鏡の奥の目を、めずらしく伏せている。膝を抱えて、部屋の隅で小さくなっていた。
「……あのさ、君。この間、言ったでしょ」
「え、えっと。……なんでしたっけ」
「“やり残した青春に、付き合って”って」
俺の心臓が、とん、と跳ねた。あれは本気だったのか。
「本気じゃなきゃ、こんなこと言わないよ」
俺の内心を読んだみたいに、華ちゃんはぼそりと言った。そして、ぽつり、ぽつりと話し始める。
「私さ。十三のとき、この世界に入ったの」
それは、俺が十年間追いかけてきた「アイドルの華」の、いちばん最初の話だった。
「デビューしてしばらくしてね。学校に行くと、みんなの空気が変わってたんだ」
彼女は、まるで他人の話でもするみたいに淡々と続ける。
「教室に入ると、こそこそ聞こえてくるの。『……へえ。あれが、アイドルの華』『テレビにも引っ張りだこの』『……なんか、私たちとは住む世界が違うよね』……って」
クラスメイトに悪気はなかったのだろう。ただ、遠かっただけだ。
「気づいたら、誰も話しかけてこなくなってた。私も、レッスンやら収録やらで、ほとんど学校に行けなくなって。……でも、行かなくても単位はもらえたんだよね。事務所と学校で、ちゃんと話がついてたから」
「……それ、って」
「うん。だから私、一度もないの。文化祭も、修学旅行も、放課後にどこか寄り道することも。ぜんぶ、やらないまま。……気づいたら、卒業証書だけが手元にあった」
淡々としているのに、その声のいちばん奥のところが、かすかに震えていた。
「みんなが“当たり前”に持ってるものを、私はぜんぶ持ってないの。……アイドルとしては、たぶん成功したんだと思う。でも、ふつうの女の子としては、まっしろなんだ。私の、十代」
いつもの辛口の華ちゃんじゃなかった。
テレビの、天使みたいな笑顔とも違う。
俺が十年追いかけてきた、どの華ちゃんとも違う、無防備な横顔だった。
(……この人にも、こんな顔があるのか)
「……なんてね」
華ちゃんが、ふっと顔を上げた。ごまかすように笑おうとして――でも、うまく笑えていなかった。
気づいたら、俺は手を伸ばしていた。
うつむいた、その手の上に。ぽん、と自分の手を重ねていた。
(あ。……し、しまった。つい)
推しに許可もなく触れるなんて、ファンにあるまじき暴挙だ。あわてて引っ込めようとした、その瞬間。
《……なんで、こんなこと、君に話してるんだろう》
「……え?」
声が、聞こえた。
まぎれもなく、華ちゃんの声で。
なのに、彼女の唇は――一ミリも動いていなかった。
(な……なんだ、今の。……華ちゃんの声が。……頭の中に、直接……?)
混乱しながら、俺はそっと手を離してみる。
――すると、声はぷつりと消えた。
もう一度、恐る恐る、指先で触れてみる。
《……この手、あったかい。……って、私、なに考えてんの》
……聞こえる。触れている間だけ、はっきりと。
しかも――華ちゃんの、その手の甲のあたりに。半透明の小さな文字が、ぼんやりと浮かんで見えた。
【華:40%】
(こう、かんど……? ……四十パーセント、って。なんだ、これ)
あとでじわじわわかってくることだが、この“数字”が低いうちは、聞こえるのは切れ切れの単語くらいだ。さっき、あんなにはっきり聞こえたのは、たぶん華ちゃんがよほど気持ちを揺らしていたからなのだろう。
(……そうか。あの、“空耳”)
思い返せば、俺は何度も聞いていたのだ。
この部屋で、手を胸に押し当てさせられたとき。酔った麻衣さんを腕に抱きとめたとき。唯が飛びついてきたとき。……ぜんぶ、相手に触れていた。
空耳なんかじゃなかった。
俺は――触れている相手の、心の声が聞こえる。
(な、なんだそれ……! そんな、漫画みたいなこと、あってたまるか……!)
と、そのときだった。
ぴこん、と。
視界のすみっこに、見たこともない文字の羅列が、ふっと浮かび上がった。
【ミッション:華の“やり残した青春”に付き合い、好感度を上げよ】
「……は?」
(え。え。なんだ、これ。ゲームか? 誰が出してるんだ、これ……!?)
誰に問うても、答えなんて返ってこない。ただ、その一文だけが、しばらく俺の目の前に居座っていた。
(……推しの神様の、いたずらか何か、なのか……?)
「ちょっと。君、さっきから百面相して、どうしたの」
いつのまにか、いつもの辛口の華ちゃんが戻っていた。じとっと、こちらを見ている。
「い、いえ! なんでもないです!」
あわてて手を離す。頭の中の声が、すっと途切れた。
「ふうん。……まあ、いいや。それより、君」
華ちゃんは、すっと立ち上がると、俺をまっすぐ指さした。
「決めた。君を、私の“青春やり直し係”に任命します」
「や、やり直し、係……?」
「そう。私がやり残したこと、ぜんぶ君と一緒にやり直すの。……言っとくけど、拒否権はないからね」
にやり、と意地悪く口の端を上げる。
(うわ。……なんか、とんでもないことになってきたぞ)
でも、不思議と。
その顔のほうが、さっきの泣きそうな横顔よりはずっといい、と俺はそう思ってしまった。
「じゃあ、まずは。手始めに――簡単なことから、いこっか」
華ちゃんが、ふふ、と不敵に笑う。
(……い、いやな予感しかしない)
その予感は翌朝、さっそく最悪の形で的中することになる。
しかも、俺の頭の中には。
【ミッション:華の“やり残した青春”に付き合い、好感度を上げよ】
という、意味不明な文字が。
どうやら、まだしばらくは消えてくれそうにないのだった。
お読みいただきありがとうございました!
青春を取り戻す華回がスタートします




