第12話 五部屋のにぎやかな夜
※本作はフィクションです。挿絵はすべて自作(AIで生成)です。
「というわけで! 今日は、ご近所お披露目の、ごはん会でーす!」
その週末。俺の部屋には、うちの妹の号令のもと。このアパートの、住人たちが、勢ぞろいしていた。
唯が、半ば強引に、企画したのだ。「せっかく、みんな、ご近所なんだから」と。俺の意見は、いっさい、聞き入れられなかった。
このアパートは、全部で六部屋。そのうち、埋まっているのは、五部屋だけだ。一階は、手前から、麻衣さん、俺、そして華ちゃん。二階には、俺の妹の唯と、いちばん奥に、怜子さん。残る一部屋――二階の空き室だけが、ひっそりと、静まり返っている。
つまり、今この六畳間には、この建物の“ほぼ全員”が、詰め込まれているわけで。
(な、なんて、恐ろしい面子だ……!)
狭い部屋を囲むのは――秘密の推し、華ちゃん。秘密を共有した上司、麻衣さん。そして、それを見張る、マネージャーの怜子さん。俺の抱える秘密が、五部屋ぶん、まるごと、勢ぞろいしている。一つでも、口を滑らせたら、即、社会的に、終わりだ。
「はい、お兄ちゃん。まずはビール、注いで回るの。ホストでしょ?」
「へいへい……」
唯にこき使われながら、俺は、缶ビールを片手に、部屋の中を、そろそろと歩く。……なにせ、この距離感だ。うっかり誰かに触れれば、例の“声”が、聞こえてしまうかもしれない。俺は、抜き足差し足で、慎重に、コップへとビールを注いでいった。
「あの、佐藤くん。……こちらの、お隣さんとは、その、どういう、ご関係、なの?」
最初に、そう尋ねてきたのは、麻衣さんだった。俺と目を合わせるなり、ぼっ、と顔を赤くして、うつむく。あの下着事件以来、素面の麻衣さんは、俺にすっかり、挙動不審だ。座り直すたびに、スカートから伸びた膝を、しきりに気にして、指先で裾を引いている。その仕草が、いちいち色っぽくて、俺はあわてて目をそらした。
「あ、それはですねー」
答えたのは、唯だった。
「この部屋、見てもらえば、わかると思うんですけど。うちのお兄ちゃん、アイドルの華ちゃんの、大ファンで」
唯が、ずらりと壁を埋め尽くす、華ちゃんのポスターを、びしっと指さす。……やめてくれ。本人が、目の前にいるんだ。
「そのご縁で、お隣さんと、仲良くしてもらってるんですって。ね、お兄ちゃん?」
「お、おう。まあ、そんなところで……」
華ちゃんが、涼しい顔で、お茶をすすっている。……が、俺にだけ見えるように、口の端が、にやりと、吊り上がった。(オタクの巣窟ね)とでも言いたげだ。
「あ。……そういえば、こちらのお隣さん。私、お名前、まだ聞いてなかったですよね。なんて、お呼びすれば、いいんですか?」
麻衣さんが、ふと、そう尋ねた。その瞬間。華ちゃんが、ほんの一瞬だけ、言いよどんだ。
「……一ノ瀬、花火、です」
(一ノ瀬、花火……。ふうん。まあ、偽名、だろうけど)
俺は、なんの気なしに、そう思った。素顔で暮らす彼女が、本名なんて、名乗るはずがない。
――だが。
俺の、斜め向かい。ずっと黙って、お茶をすすっていた、怜子さんが。かすかに、息を、のんだ。目を、わずかに、見開いて。
(……ん? 怜子さん、なんで、そんな顔を……?)
その、意味は、わからない。だが、なにか、妙な、引っかかりだけが、残った。
「わあ、花火さん! じゃあ、お兄ちゃんの推しと、同じ、はなちゃんじゃないですかー!」
「まあ。漢字は、違うんですけどね」
華ちゃん――いや、花火さん、なのか。俺の頭が、一瞬、混乱する。ずっと、心の中では「華ちゃん」と呼んできた人が、いま、目の前で、まったく別の名前を、名乗っている。どっちが、この人の、本当の呼び名なんだ。
(……いや。どっちにしろ、俺にとっては、華ちゃんは、華ちゃんだ)
俺が、ひとり、名前の座りの悪さに、戸惑っているのをよそに。話題は、そのまま、アイドルの方へと、流れていった。
「麻衣さんは、アイドルとか、詳しいんですか?」
唯が、無邪気に、話を振る。すると、麻衣さんは、はっと肩を跳ねさせて。
「い、いえっ。私は、その……華さん、っていうグループは、ちゃんとは、知らなくて……」
――と、言いかけて。麻衣さんは、なぜか、もじもじと、指を絡ませ始めた。
「……あの。でも、ぜんぜん興味がない、っていうわけじゃ、なくてですね。……その、最近、ちょっとだけ、気になってる、若い子が、いて……」
「えっ、麻衣さん、推し、いるんですか!?」
「お、推しっ……そ、そんな、大層なものじゃ! ただ、仕事の合間に、こっそり、動画を見て……その子、すごく一生懸命なのに、素直じゃなくて。噛みつくみたいに、先輩に食ってかかるんですけど。でも、それが、なんだか、放っておけなくて……」
語るうちに、麻衣さんの声が、だんだん、熱を帯びていく。頬が、ほんのり、赤い。……いつもの、隙のない先輩の顔とは、まるで違う。
「……はっ。す、すみません、私ったら、つい」
我に返った麻衣さんが、真っ赤になって、口を、両手で塞ぐ。
(……麻衣さんにも、そういう、可愛いところが、あるんだな)
なんだか、意外な一面を見てしまって。俺は、少し、どきりとした。
華ちゃんが、その様子を、じっと見ていたが。やがて、ふっと、興味なさそうに、目を伏せた。……アイドルの華のことは、バレずに済んだ。俺は、内心、胸をなでおろす。
――だが、油断は、禁物だった。
「……ねえ、お兄ちゃん」
ふと、唯が、俺を、じっと見た。
「逆に、お兄ちゃんは。花火さんのこと、なんて、お呼びしてるの?」
「え。……あ、えーと、それは、その。……華ちゃ――」
ドンッ。
言い終わるより、先に。テーブルの下で、俺の脇腹に、鋭い、肘鉄が、めり込んだ。
「ぐぇっ」
――その、肘が食い込んだ、一瞬。また、あの声が、頭をかすめた。
《……ばか。油断、しすぎ》
(……いてて。というか、また、聞こえた。触れてる、から……? いや、まさか、な)
「あら、佐藤さん。大丈夫ですか? 急に、変な声を、出して」
にっこりと微笑む華ちゃんの、その目は、まったく、笑っていなかった。そして、他の誰にも聞こえない声で、ぼそりと、耳打ちしてくる。
「……ちょっと、君。バレたら、社会的に、消すからね」
(ひ、ひいい……! わ、わかってます……!)
「うーん、あやしいなあ」
と、唯が、細めた目で、俺と華ちゃんを、交互に、見比べる。
「お兄ちゃんと花火さん、なーんか、距離、近くない? 息、ぴったりっていうか」
「ちっ、近くない近くない!」
「そうですねぇ。ただの、ファンと、ご近所さん、ですよぉ」
俺と華ちゃんの声が、見事に、ハモった。……その、あまりの息の合いっぷりに、唯の目が、すうっと、細くなる。
「……ふうん」
唯は、それ以上は、追及してこなかった。だが、その目の奥だけは、やっぱり、少しも、笑っていなかった。
――この人(華ちゃん)にとって、俺は。惚れた腫れたの相手なんかじゃ、断じて、ない。素顔の秘密を、握られた、監視対象。ただ、それだけの、存在だ。
――だが、不思議と、いやな気は、しなかった。
こんなにも、賑やかな食卓は。一人暮らしを始めてから、いや、生まれて初めて、かもしれない。
(……悪く、ないな。こういうのも)
ふと、俺は、みんなのお茶を淹れ直し、怜子さんの前にも、そっと湯呑みを置いた。その拍子に、指先が、かすかに、触れる。
(――さっきの華ちゃんのときみたいに……また、聞こえるのか?)
俺は、身構えた。だが。
《…………》
何も、聞こえない。ざらついたノイズのようなものが、分厚い壁の向こうから届くみたいに、かすかによぎるだけ。
(……やっぱり、気のせいか。何を期待してるんだ、俺は)
怜子さんは、湯呑みを受け取ると、こちらを一瞥もせず、静かに口をつけた。その横顔は、どこまでも隙がなかった。
俺は、あらためて、心に誓う。この、危なっかしくも、かけがえのない日々を守るためにも。俺は、これからも、清く正しい、華ちゃんのファンで、あり続けよう、と。
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賑やかな夜も、更けて。一人、また一人と、それぞれの部屋へ、帰っていく。
帰り際、麻衣さんが、玄関先で、くるりと振り返った。
「あの、佐藤くん。……きょ、今日は、その。楽しかった、です。……また、誘って、くださいね?」
上目遣いで、そう言って。返事を待たずに、ぱたぱたと、逃げるように、101号室へ帰っていく。……その、真っ赤な耳を見て、俺の心臓も、妙に、跳ねた。
「……ふうん。ずいぶん、慕われてるじゃない」
いつのまにか、隣に立っていた華ちゃんが、じとっと、俺を見上げていた。
「な、なんですか」
「べつに? ……お盛んで、けっこうなことね」
つん、とそっぽを向く。……なぜか、少し、機嫌が悪そうだった。
結局、最後まで残って、後片付けを手伝ってくれたのは、華ちゃんだった。二人きりの、狭い台所。並んで、皿を洗う。
「……あの、華ちゃん。ひとつ、聞いても、いいですか」
「なに」
「こういうの、面倒くさがると思ってたのに。……どうして、参加、したんですか? 正体が、バレる危険だって、あったのに」
俺の問いに、華ちゃんは、ふ、と皮肉げに、口の端を上げた。
「……君の妹さん。あれ、なかなかの、策士ね」
「え?」
「まさか、あんな方法で、参加せざるを得なく、なるなんて。……ほんと、油断も、隙もない」
その横顔は、どこか、面白がっているようで。けれど、その目の奥には、油断ならない相手を見る、鋭さも、宿っていた。
(あんな、方法……? 唯のやつ、いったい、華ちゃんに、何を……?)
「まあ、でも」
華ちゃんは、濡れた手を、タオルで拭きながら、けろっと、こう言った。
「君の前でだけは、こうやって、素でいられるからさ。……それは、ちょっと、楽かもね」
そして、彼女は。ふと、窓の外の、夜空を、見上げた。
「……今日、みんなでわいわい、ごはん食べてさ。ああいうの、いいなって、思っちゃった」
その横顔から、いつもの、辛口な様子が、すうっと、消える。
「私さ。十三で、この世界に入ったから。文化祭とか、放課後の寄り道とか。友達と、くだらないことで笑う、みたいなの。ぜーんぶ、やり残したまま、大人になっちゃったんだよね」
俺の知らない、寂しさのようなものが、その声に、にじんでいた。
そして、彼女は。くるり、と、こちらを振り向いて。いたずらっぽく、けれど、どこか真剣な目で、俺を見た。
「ねえ、君。ひとつ、お願いがあるんだけど。……私の、その“やり残した青春”に。ちょっとだけ、付き合って、くれない?」
「……え」
「あ、勘違いしないでよ? べつに、君じゃなきゃ、だめってわけじゃ、ないんだから。……ただ、正体を隠せる相手なんて、君くらいしか、いないってだけ」
早口で、そう付け足して。華ちゃんは、ぷい、と顔を背けた。……その耳が、ほんのり、赤いことには。たぶん、本人も、気づいていない。
(……なんだ、その、可愛い言い方は)
その一言が、俺の平穏な推し活人生を、また一つ、大きく揺るがす。
新たな物語の、幕開けを告げる、合図になるとは。
妹の企みも。麻衣さんの、意外な“推し”も。怜子さんの、あの奇妙な反応も。そして、この“お願い”が、どこへ転がっていくのかも。
何ひとつ、わからないまま。このときの俺は、ただ、賑やかすぎる夜の余韻の中に、立ち尽くしていたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
一旦こちらで第一章が終わりとなり、次章移行、個々のヒロインを取り上げていきます。
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