第29話 新種の化け物。
それから一週間という時間が流れた。
この一週間、俺達はこれから先のことを考えながら準備を整え、必要な物を確認しつつ、いつでも家を離れられる状態を作ってきた。そして今日、ようやく本格的に動き出す日を迎えた。
「じゃあ凪‥‥準備はいいか?」
「はい。私はいつでも大丈夫です。」
凪に確認を取ると、その返事には迷いがなかったので、俺は小さく頷いてから改めて今後について話し始める。
「目標は、父さんと母さんとの合流だ。そのためには父さんと母さんが働いている東京に向かう必要がある。でも、現状ではすぐに向かうことは出来ない。交通手段はまともに機能していないだろうし、道路も車で普通に走れる状態じゃないだろう。」
「そうだね。」
あれだけ世界が滅茶苦茶になったのだから、電車や新幹線が今まで通り動いているとは思えないし、道路だって放置された車や事故車で塞がれている可能性が高い。
大阪から東京まで歩いて向かうという選択肢もなくはないが、今の俺達がそれを実行するにはあまりにも危険が大きすぎる。
「だから一旦、合流じゃなくて安否の確認に集中する。つまり、父さんと母さんに連絡を取る方法を見つける。」
「うん。スマホが繋がる場所とかを探すってことだよね。」
「あぁ。そして、それには人が集まっている場所を見つけるのが手っ取り早い。なので、今日からはレベルアップをしながら、避難場所に指定されている施設を順番に回っていく。」
もし今も行政や警察なんかが機能しているのなら、避難場所には何かしらの情報が集まっている可能性がある。
それに、俺達以外の生存者と接触することが出来れば、今の大阪がどうなっているのかを知る手掛かりにもなるはずだ。
「そうだね。じゃあ‥‥私達の高校に行くってことだよね?」
「そうだ。高校ならそこまで遠くないから、焦らず進んで行こう。化け物と遭遇したら無理に戦う必要もない。危険だと思ったら避けるぞ。」
「うん!!」
これからの目的と段取りについて最後の確認を終えると、俺達は必要な荷物を背負い、いよいよ本格的な探索を始めるために家を出た。
今回の探索は家の周辺を確認して戻ってくるのではなく、生存者を探しながら少しずつ行動範囲を広げていくのが、その最初の目的地が俺達の通っている高校なのであった。
◇
高校までの道のりは自転車なら十五分程度なので、どれだけゆっくり歩いたとしても四十分ぐらいで到着する計算にはなっているが、それはあくまでも何事もなく進めた場合の話だ。
今は道の途中で何が起こるか分からないし、化け物と遭遇して戦闘になれば当然時間は掛かる。
それどころか、相手によっては戦闘そのものを避けて大きく迂回する必要もあるので、普段なら大したことのない高校までの距離でさえ、今の俺達にとっては決して安全な道のりではなかった。
そして、その道中でもっとも危険だと考えている場所が駅だ。
以前、コンビニで遭遇したゴブリンが人間を食べていたことから考えても、この世界に現れた化け物の中には人間を食料として認識している奴がいる。
つまり、人間が多く集まっていた場所ほど、それを餌とする化け物も多く集まっている可能性が高いということだ。駅はその条件に完全に当てはまっている。
世界がこんな状態になる前なら、朝から夜まで電車が行き交い、改札の前には大勢の人が行き来していた場所だ。
周囲にも店や建物が集中しているので、世界が変わった直後にどれだけの人がここにいたのかなんて想像もつかない。
だからこそ、駅へ近づく前から普段以上に周囲を警戒しなくてはならなかった。
逆に言えば、その駅さえ無事に抜けることが出来れば、学校まではほとんどが住宅街なので、少なくとも我が家の周辺と大きく状況は変わらないはずだ。
そう考えながら俺達は住宅街を順番に抜けていく。
当然、以前のように何も考えず道の真ん中を歩くようなことはせず、曲がり角では一度足を止めて先を確認し、物音が聞こえればその方向へ注意を向ける。
いつ化け物が飛び出してくるか分からないという緊張感を抱えたまま慎重に歩き続け、やがて俺達は高校までの道のりでもっとも危険だと考えていた駅の近くまでやって来た。
「‥‥そろそろ駅だね。どうやって入る?」
凪もここからが危険だと分かっているのだろう。
先ほどまでより明らかに声を小さくしながら尋ねてきたので、俺はすぐには答えず、建物の陰から駅へと続く道や周囲の様子を確認する。
今のところ、動いているものは見えない。
「そうだな。コンビニで戦ったゴブリンが相手なら、余計な音を出さずに静かに通れば気付かれる可能性は低いと思う。でも‥‥もし別の化け物がいたら話は変わる。だからって、ここで止まっているわけにもいかないし‥‥行くしかないよな?」
「うん!!そうだね。そういう覚悟を持って来たんだから。」
凪は緊張した様子を見せながらも、俺の言葉に力強く頷いた。
俺達は互いに目を合わせてから駅へと向かい、出来る限り足音を立てないように歩幅を小さくしながら進んでいく。
道路には乗り捨てられた車が何台も残され、歩道には持ち主の分からない鞄や靴が転がっているが、その周囲に人間の姿は一つもなかった。
静かすぎる。
風が吹くたびに道路脇のゴミが乾いた音を立て、遠くではどこかの看板が軋んでいる。
それ以外には何も聞こえず、本来なら人の声や車の音が絶えることのなかった駅前が、まるで街そのものが死んでしまったかのような静寂に包まれていた。
そして、駅前の様子がはっきりと確認出来る距離まで近づいたところで、俺はその異様な光景に一つの疑問を抱いた。
‥‥おかしくないか?
俺は足を止めることなく視線だけを周囲へ動かし、道路、歩道、建物の入口と順番に確認していく。
もしこの場所にゴブリンがいるのなら、人間の死体が一つもないのは不自然だ。
コンビニで遭遇したゴブリンは、間違いなく人間を食べていた。ならば、大勢の人間が利用していたはずの駅周辺にゴブリンが集まっているのであれば、食い荒らされた死体の一つや二つが転がっていてもおかしくない。
それなのに、見える範囲には死体どころか血痕すら残っていなかった。
道路には乗り捨てられた車があり、歩道には鞄や靴といった人間がいた痕跡が残っている。
それなのに、肝心の人間だけがどこにもいないという状況はあまりにも不自然で、まるでここにいた人間だけが何かによって綺麗に消されてしまったようだった。
その違和感に気付き、背中に嫌な感覚が走った――その時だった。
「お兄ちゃん!!」
「っ!?」
突然、背後にいた凪が大きな声を上げたので、俺は考えるより先に身体を反転させて後ろを振り向く。
そして――固まった。
そこにいたのは、白い蜘蛛だった。
普通の蜘蛛とは比較にならないほど巨大で、地面から胴体までの高さだけでも人間の膝ほどはあり、真っ白な胴体から伸びた八本の脚が地面を掴むように広がり、その異様な姿は俺が知っている蜘蛛という生き物を、そのまま何十倍にも巨大化させたように見えた。
そいつは俺達から少し離れた場所でピタリと動きを止めていた。
逃げる様子もなければ、すぐに襲い掛かってくる様子もない。ただ身体をこちらへ向けたまま、俺と凪の動きを観察するようにじっと佇んでいる。
だが、その姿を見た瞬間に理解した。
――間違いない。
目の前にいる白い蜘蛛は、これまで俺達が遭遇したことのない新種の化け物だ。




