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夫に捨てられた専業主婦ですが、異世界騎士団の寮母になったらイケメン達が全員ダメ男でした  作者: 他力本願寺


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第7話 美少年回復術師はお菓子だけで生きていました

「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」


共有の談話室のソファから半分ずり落ちるようにして倒れていたのは、絵画から抜け出してきたような美少年だった。


私は手に持っていたお皿をテーブルに放り出し、慌てて彼に駆け寄った。

急いで肩を揺さぶるが、彼の目は固く閉じられたままだ。


「しっかりしてください! 誰か……誰か来てください!」


大声で叫んでみたものの、誰も応えてはくれなかった。

考えてみれば、ルーカスさんは自分の部屋で縮んだ服と格好闘っているし、セオドアさんは執務室に戻ってしまった。カイルさんは二階で暴発した魔力の後始末をしているはずだ。

このだだっ広い魔境のような寮の1階には、今、私と彼しかいない。


「どうしよう……息がすごく弱い……」


彼の頬にそっと触れてみると、氷のように冷たかった。

透き通るような真っ白な肌に、長いまつ毛が影を落としている。

サラサラとした銀色の髪が、彼の顔にかかっていた。

年齢は二十歳そこそこだろうか。中性的な顔立ちは、息を呑むほど美しいけれど、今はその青白さがひどく痛々しく見えた。


私は彼の体をなんとかソファの上に引き上げ、横に寝かせようとした。

その時だった。


コロン、ポロポロ……。


彼の着ている、ゆったりとした白い上着のポケットから、何かがこぼれ落ちて床に転がった。


「え?」


それは、色とりどりの包み紙に包まれた、小さな丸いものだった。

拾い上げてみると、甘い匂いがする。

おそらく、キャンディのような糖菓だ。


彼の服のあちこちのポケットが不自然に膨らんでいることに気づき、そっと触れてみると、中にはぎっしりとお菓子の包みが詰まっていた。


「……ん……」


不意に、微かな声が聞こえた。

見ると、少年の長いまつ毛が震え、ゆっくりと瞼が開いていく。


「あ、気がつきましたか!? 大丈夫ですか、今、お医者様を……」


「……ううん」


少年は、焦点の合わない紫色の瞳で私を見つめ、ふるふると弱々しく首を振った。


「……お姉ちゃん、だぁれ……?」


「えっ」


初対面の私に向かって、彼はふわりと甘く微笑み、唐突にそう呼んだのだ。

しかも、その細く冷たい手が、スッと伸びてきて、私のエプロンの裾をぎゅっと握りしめた。


「あの、私は今日からここでお世話になる、寮母の香澄です。お姉ちゃんじゃありません。それより、ひどい顔色ですよ。どこか痛むんですか?」


「痛くないよぉ……。ただ、ちょっと目が回るだけ……」


少年は、ソファに横たわったまま、にへらっと笑った。


「僕、第七分隊で回復術師をしてる、ノエルっていうの。よろしくね、香澄お姉ちゃん」


「だから、お姉ちゃんじゃ……っ、って、回復術師さん!?」


私は驚いて声を上げた。

回復術師といえば、怪我や病気を治す神聖な魔法の使い手だと聞いている。

そんなすごい力を持っている本人が、こんなにボロボロになって倒れているなんて、一体どういうことだろう。


「自分で自分を回復できないんですか?」


「んー……魔力が足りなくて。……ここ数日、任務がいっぱいで、血もたくさん見ちゃって。なんか、疲れちゃった」


ノエルくんは、目を細めて力なく笑った。

その顔は、本当に今にも消えてしまいそうなほど儚かった。


「魔力って、どうやったら回復するんですか? 薬とかあるんですか?」


「休んで、いっぱいご飯を食べれば治るんだけどね……。でも、ご飯って固いし、味も濃くて、食べるの面倒くさくなっちゃったんだぁ」


「面倒くさいって……」


私は絶句した。

確かにこの寮の台所は、黒焦げの鍋や悪臭を放つ生ゴミが散乱していて、とてもまともな食事が作れる環境ではなかった。

だからといって、食事を摂らないわけにはいかないはずだ。


「じゃあ、もしかして……」


私は、床に転がった飴玉の包み紙を指差した。


「ここ数日、そのお菓子しか食べていないんですか?」


「うん。これなら甘くて美味しいし、ポケットに入れておけばいつでも舐められるでしょ? でも、やっぱりこれだけだと、倒れちゃうみたい。えへへ……」


えへへ、じゃない!!


私の胸の奥で、カッと何かが燃え上がった。

ただでさえ激務で他人の傷を癒しているというのに、お菓子だけで命を繋いでいるなんて、あまりにも自分の体を粗末にしすぎている。


『おい! ちょっと熱っぽいぞ! 俺が死んだらどうする気だ!』


ふいに、前世の夫である健一の怒鳴り声が脳裏をよぎった。


健一は、少しでも自分が体調を崩すと、この世の終わりのように大騒ぎをした。

私が高熱を出して寝込んでいる時でさえ、自分の微熱を理由に私を叩き起こし、『消化にいい雑炊を作れ』『スポーツドリンクを買ってこい』と命令し続けた。

彼は、自分の命と健康を何よりも最優先にし、私の体調など一切気にも留めなかった。


それに比べて。


目の前にいるこの美しい少年は、誰かのために自分の魔力をすり減らし、限界を超えて倒れてしまったというのに。

自分の命に関わる状況になっても、ただ「面倒くさくなっちゃった」と笑っているのだ。


「……ダメです」


気がつけば、私は低く静かな声で口を開いていた。


「え?」


「そんなの、絶対にダメです。人間は、お菓子だけじゃ生きていけません。血を作るためのタンパク質も、体を動かすための栄養も、飴玉なんかじゃ補えませんよ!」


私が強い口調で叱りつけると、ノエルくんは紫色の目を丸くして、驚いたように私を見上げた。

きっと、彼をこんな風に真正面から叱る人間は、今までいなかったのだろう。


「だって……寮のご飯、誰も作ってくれないし……」


「私が作ります!」


私は、彼が握りしめていたエプロンの裾をそっと解き、彼の冷たい手を両手で包み込んだ。


「ここには、私が来ました。これからは、私が一日三食、ちゃんとご飯を作ります」


「……お姉ちゃん」


「固いものが食べられないなら、柔らかく煮込みます。味が濃いのが嫌なら、優しい味付けにします。だから……自分の体を、そんな風に粗末にしないでください」


私の手から伝わる温度に驚いたのか、ノエルくんはわずかに肩を震わせた。

そして、じわっと紫の瞳を潤ませると、擦り寄る子猫のように私の手に頬を擦り寄せてきた。


「……うん。お姉ちゃんのご飯なら、食べたいかも」


「はい。少し待っていてくださいね」


私はソファに置いてあった汚れていない毛布をノエルくんの体にかけてから、足早に厨房へと向かった。


セオドアさんが小火騒ぎを起こしたばかりの厨房は、相変わらず酷い有様だったけれど、焦げ付いていない小さな手鍋を一つ見つけ出し、急いで水洗いした。

戸棚の中を探ると、月麦(つきむぎ)で作られたらしき、少し硬くなったパンと、保存用のミルク、そして小さな壺に入った蜂蜜の匂いがする琥珀色のシロップを見つけた。


私は手鍋にミルクとシロップを少し入れ、魔力炉の火を一番弱くして温め始めた。(さっきセオドアさんが火力を最大にしたせいで、設定を弱火に戻すのには少し手間取ったけれど)

ミルクが温まってきたところで、小さくちぎった月麦のパンを入れ、柔らかくなるまでゆっくりと煮込んでいく。


コトコトと鳴る小さな音と共に、甘くて優しい香りが厨房に広がっていく。

疲れた胃腸にも負担をかけず、糖分と栄養を同時に補給できる簡単なパン粥だ。


「お待たせしました」


湯気の立つ木のお椀を持って談話室に戻ると、ノエルくんは毛布に包まりながら、鼻をひくひくとさせていた。


「わぁ……すっごくいい匂い……」


「熱いから、気をつけてくださいね」


私はソファの端に座り、スプーンでパン粥をすくって、少しだけふーふーと息を吹きかけて冷ました。

そして、それをノエルくんの口元へ運ぶ。

彼は何の抵抗もなく、雛鳥のように口を開けて、それをぱくりと食べた。


「……っ」


ノエルくんの顔が、ぱぁっと明るくなった。


「おいしい……。甘くて、柔らかくて、すっごく温かい……」


「よかったです。ゆっくりでいいから、全部食べてくださいね」


「うん。……あーん」


ノエルくんは、自分でお椀を持とうとはせず、当然のように私に次のひとさじを要求してきた。

見事なまでの甘えっぷりだ。

こんな大きな男の子に食べさせてあげるなんて、なんだかくすぐったい気持ちになったけれど、彼が美味しそうに食べてくれることが純粋に嬉しくて、私は「はいはい」と笑ってスプーンを運び続けた。


「ふう……ごちそうさまでした」


お椀が空になる頃には、ノエルくんの青白かった頬にも、ほんのりと赤みが戻っていた。


「少しは落ち着きましたか?」


「うん。すっごく元気出たよ。お姉ちゃんのご飯、魔法みたい」


ノエルくんは満足そうに微笑むと、ごろんと寝返りを打ち、私の膝の上に頭を乗せてきた。


「ちょ、ノエルくん!?」


「あったかい……。お姉ちゃん、すごくいい匂いがする……このまま寝ちゃってもいい……?」


「ダメですよ! ちゃんとベッドで寝ないと風邪を引きます!」


私が慌てて引き剥がそうとするが、彼の細い腕が私の腰にしっかりと回されていて、びくともしない。

見た目は儚げなのに、やっぱり騎士団の一員だけあって、力は強いらしい。


「んー……あと五分だけ……」


すやすやと規則正しい寝息を立て始めたノエルくんの頭を撫でながら、私は深い、深いため息をついた。


洗濯物を煮込む隊長。

台所を燃やす副隊長。

ゴミ屋敷で爆発する魔導師。

そして、お菓子しか食べないで倒れる回復術師。


たった一日で、四人もの問題児たちの世話を焼いてしまった。

怒涛の展開すぎて、もう何がなんだか分からない。


結局、マチルダさんが手配してくれた一階の一番奥にある私室――日当たりが良く、シンプルだけれど清潔なベッドが置かれた部屋――に辿り着いたのは、夜もすっかり更けた頃だった。


「はあ……疲れた……」


私は着の身着のままベッドに倒れ込みそうになった。

けれど、ふと違和感を覚えて足を止める。


ドアのすぐ外。

廊下の暗がりから、微かに、けれどはっきりと、誰かがそこにいる気配がしたのだ。


足音もしない。息遣いも聞こえない。

ただ、まるで影がそこに張り付いているかのように、静かで重い気配。


――まだ、五人目が残っていたんだった。


私はドアノブに手をかけ、ごくりと唾を飲み込んだ。

この扉の向こうには、一体どんなトラブルが待っているのだろうか。


(続く)

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