第6話 赤髪魔導師の部屋は入ったら最後でした
ドォォォォォォォォンッ!!
「ひゃああっ!?」
鼓膜を揺らすような凄まじい爆発音に、私は思わずその場にしゃがみ込んだ。
天井からパラパラと細かい埃が落ちてくる。
音の出どころは、間違いなく二階だった。
「け、けほっ……! あー、くそっ! また暴発しやがった!」
階段の上から、ひどく苛立った若い男の人の声が聞こえてくる。
また!?
隊長さんの熱湯洗濯、副隊長さんの台所炎上に続いて、今度は爆発!?
王国最強の騎士団って、一体どうなっているの!?
「け、怪我はないですか!?」
私はエプロンの裾を握りしめ、慌てて階段を駆け上がった。
二階の廊下には、ツンとした焦げたような匂いと、少し甘ったるいような不思議な匂い――おそらく魔法の力が燃えた匂い――が立ち込めている。
一番奥の部屋の扉が半開きになっていて、そこからモクモクと薄黒い煙が漏れ出していた。
「大丈夫ですか! 今、開けます……っ!」
私が勢いよく扉を押し開けた瞬間。
「勝手に入ってくんな!!」
怒鳴り声と共に、鋭い視線が私を射抜いた。
煙の中で咳き込みながら立っていたのは、燃えるような赤い髪をした青年だった。
年齢は二十代の半ばくらいだろうか。
少しつり上がった黄金色の瞳は、野生の肉食獣のように鋭く、整った顔立ちには生意気なほどの気が強さが表れている。
彼が身に纏っているのは、騎士の鎧ではなく、上質な生地で作られたゆったりとしたローブのようなものだった。
「アンタ、誰だ!? ここは俺の部屋だぞ!」
赤い髪の青年――おそらく彼がこの部屋の主だ――は、私をギロリと睨みつけた。
「あ、今日から寮母として配属された香澄と申します。ものすごい音がしたので、怪我がないかと……」
「寮母ぉ? あー、マチルダのおばさんが言ってたやつか。……チッ、余計なお世話だ。怪我なんかしてねぇから、さっさと出てけ!」
彼は忌々しそうに舌打ちをすると、私を追い払うように手でシッシッと払う仕草をした。
その乱暴な口調と、明確な拒絶の態度。
前世の私なら、間違いなくここで「すみません」と怯えて逃げ出していただろう。
『おい、俺の書斎に勝手に入るなと言っただろ!』
ふいに、元夫である健一の冷たい怒鳴り声が脳裏をよぎった。
私が掃除のために健一の机の上の書類を少しだけ端に寄せた日、彼は烈火のごとく怒った。
『お前みたいに暇じゃないんだ! 物の配置が変わったら集中力が途切れるだろうが! 使えない女だな!』
そう吐き捨てられ、私は何度も何度も頭を下げた。
自分の領域に踏み込まれることを極端に嫌う健一の怒りは、いつも私を萎縮させ、思考を停止させた。
――けれど。
「……出てけって言ってるのが聞こえねぇのかよ!」
目の前で怒鳴っている赤い髪の青年を見て、私は不思議と恐怖を感じなかった。
彼の声は大きいけれど、健一のように『私という人間を底辺まで見下して、支配しようとする』冷たい刃のようなものは混ざっていなかった。
ただ、自分のテリトリーに他人が入ってくることを警戒して、精一杯に威嚇している子どものように見えたのだ。
何より。
私は、彼の背後に広がる『それ』から、どうしても目を逸らすことができなかった。
「……あなた、この部屋で生活しているんですか?」
「はぁ!? 当たり前だろ! ここは第七分隊魔導師、俺様カイル・ブラックウッドの部屋……」
「カイルさん」
私は、彼の言葉を遮って、低く静かな声で言った。
「その足元の、食べかけのパンが乗ったお皿は、いつからそこにあるんですか?」
「え?」
「それに、あの壁際に積み上がっている服の山。湿ったまま放置されているから、カビの匂いがしています。……一番危ないのは、あそこです」
私が指差したのは、部屋の隅にある机のような場所だった。
机の上には、分厚い本が崩れる寸前のジェンガのように積み上げられている。
その本の山のすぐ横には、青白く発光するソフトボール大の石――おそらく魔導具のようなもの――が転がっていた。
そして最悪なことに、その発光する石の上に、脱ぎ捨てられた生乾きのシャツがファサッと被さっていたのだ。
バチッ、バチチッ!
シャツが被さった石の表面から、小さな火花が散っているのが見えた。
「ちょっと! あれ、熱を持っていませんか!? 濡れた布を被せたら、魔力の流れがおかしくなってまた爆発しますよ!」
「あ……っ、やべっ」
カイルさんは慌てたように机に駆け寄ろうとしたが、床に散乱した本や謎の部品に足を取られ、「うわっ」と派手に転びそうになった。
「もうっ! しょうがないですね!」
私は靴を脱ぎ捨てて部屋に上がり込むと、床の障害物をヒラリと避け、机の上の発光する石から濡れたシャツをバサァッ!と引っぺがした。
シャツはすでに熱を持っており、焦げ臭い匂いが漂っている。
「あっ、おい! 俺の物に勝手に触るな!」
「触るなじゃありません! 火事になったらどうするんですか!」
私が振り返ってピシャリと叱りつけると、カイルさんはビクッと肩を震わせ、黄金色の目を丸くした。
「な、なんだよ……。ちょっと魔力経路がショートしただけだろ。俺の魔法の結界があるから、部屋全体が燃えたりしねぇよ……」
「そういう問題じゃありません。いいですか、カイルさん」
私は焦げかけたシャツを握りしめ、彼の目の前までツカツカと歩み寄った。
「部屋が散らかっていると、埃に引火したり、大事な魔導具が壊れたりする原因になります。それに、食べ残しを放置すれば虫が湧きますし、不衛生な環境はあなたの体調や、魔力のコントロールにも絶対に悪影響を及ぼします!」
「う……」
「『勝手に入るな』と怒る前に、まずは人が安全に息をできる環境にしてください。これは、あなたの命に関わることなんですよ」
私が真っ直ぐに彼の目を見据えて言い切ると、カイルさんは口をパクパクとさせ、完全に言葉を失ってしまった。
おそらく彼は、王国でもトップクラスの魔導師なのだろう。
誰もが彼の才能や気性の荒さを恐れ、腫れ物に触るように扱ってきたに違いない。
だから、私のようなただの寮母から、こんな風に『生活の基本』について真正面からお説教されることなど、一度もなかったのだ。
「……アンタ」
カイルさんは、少しだけ顔を赤くして、そっぽを向いた。
「ただの寮母のくせに、なんでそんな偉そうなんだよ……。普通、俺の魔力暴走を見たら、怖がって逃げるだろ」
「魔力は魔法使いじゃないから分かりません。でも、散らかった部屋の危険性は、主婦を十二年やってきた私には痛いほど分かります」
私はため息をつき、部屋の中を見渡した。
本と服とゴミと魔導具が、地層のように積み重なった魔境。
これを一人で片付けるのは、今の彼には不可能だろう。
「……とりあえず、今日はこの発光する石と、食べ残しのお皿だけ回収します。服の山も、洗濯に回すものとそうでないものを後で分けてくださいね」
「……」
「勝手に捨てたりはしませんから。一緒に、少しずつ安全な部屋にしていきましょう」
私がそう言って微笑むと、カイルさんは「……ふん」と鼻を鳴らし、バツが悪そうに赤い髪をガシガシと掻き毟った。
「……べ、別に頼んでねぇよ。俺が後で自分でやるし」
口では反抗的なことを言っているけれど、彼が私からお皿とシャツを取り返そうとはしない時点で、その言葉が強がりであることは明白だった。
なんだ。
口が悪いだけで、根は全然悪い子じゃないじゃないか。
私は心の中でクスッと笑い、回収したお皿とシャツを抱え直した。
「それじゃあ、また後で来ますね。換気のために、窓は少し開けておいてください」
私が部屋を出ようとすると、背後からボソッと小さな声が聞こえた。
「……カイル」
「え?」
振り返ると、カイルさんはそっぽを向いたまま、耳の先を真っ赤にしていた。
「俺の名前。……アンタ、俺のことカイルさんって呼んでただろ。さん付けなんて気色悪いからやめろ。カイルでいい」
それは、彼なりの不器用な歩み寄りのサインだった。
「……はい。分かりました、カイルくん」
「くんも要らねぇっつってんだろ!」
カイルくんの怒鳴り声を背中で受けながら、私は足取り軽く二階の廊下を歩き出した。
これで、三人。
犬のように人懐っこくて洗濯物を煮込む隊長さん。
理屈っぽくてお湯を沸かすだけで火事を起こす副隊長さん。
そして、口は悪いけれど素直になれない、ゴミ屋敷の魔導師くん。
誰も彼もが、生活能力という点においては本当に壊滅的で、放っておけない人たちばかりだ。
けれど、私が何かを指摘すると、彼らは決して私を見下したりはしなかった。
私の言葉をきちんと聞き、自分のダメなところを(不本意ながらも)受け入れてくれる。
『お前は家事しかできない』
そう言って私を切り捨てた健一の言葉が、少しずつ、少しずつ、遠ざかっていくような気がした。
「さて、一旦一階の共有室に戻って、お掃除の段取りを考え直そうかな」
私は大きく伸びをして、階段を降りた。
一階の奥にある、あの巨大なマントの山が放置されていた共有の談話室へ向かう。
「ふう……」
扉を開け、中に足を踏み入れた私は、ふと視線をソファに向けた。
そして、ギョッとして足を止めた。
「え……っ!?」
散らかっていたはずの広いソファの上に、誰かが倒れていたのだ。
銀色のさらさらとした髪。
雪のように白い肌。
まつ毛が長く、中性的な顔立ちをした、絵画のように美しい少年。
彼は、ソファから半分床にずり落ちるような体勢のまま、ピクリとも動かない。
その細い腕は力なく投げ出され、顔色は透けるように青白かった。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」
私は持っていたお皿をテーブルに放り出し、慌てて彼に駆け寄った。
急いで肩を揺さぶるが、彼の目は固く閉じられたまま、浅い呼吸だけがわずかに聞こえてくる。
「どうしよう、息がすごく弱い……! 誰か、誰か来てください!」
私は青ざめながら、彼を抱き起こそうとした。
第七分隊の寮母としての仕事は、まだまだ息つく暇を与えてはくれないらしい。
(続く)




