第56話 隊長は、生涯の伴侶になってほしいそうです
過去の呪縛から完全に解き放たれた私を祝福するかのように、王都には穏やかで温かい春の風が吹き始めていました。
よく晴れた朝。
私は第七分隊の寮の裏庭に出て、洗い立ての真っ白なシーツや皆のシャツを、パンッ、パンッと小気味良い音を立てて干していました。
お日様の匂いと、爽やかな石鹸の香り。
大きく息を吸い込むと、胸の奥まで透き通った空気が満たされていくのが分かります。
(今日も、いいお天気……)
「かすみさん、おはようございます!」
ふいに、背後から元気な声が掛かりました。
振り返ると、朝の自主訓練を終えたばかりのルーカスさんが、少し汗ばんだ爽やかな笑顔で立っていました。
手には木剣を持ち、白いシャツの胸元が少し開いて、彼がどれほど真剣に剣を振ってきたかを物語っています。
「ルーカスさん、おはようございます。今朝も訓練ですか? お疲れ様です」
「はい。……かすみさんの作った朝ごはんを世界で一番美味しく食べるために、しっかりお腹を空かせてきました!」
ルーカスさんは太陽のように笑いながら、私が干そうとしていた重いシーツの端を、ひょいと持ち上げて手伝ってくれました。
二人で向かい合い、シーツの端と端を持ってピンと張ります。
その時、シーツ越しに見えたルーカスさんの表情が、いつもの無邪気な笑顔から、ふっと真剣な大人の男の顔へと変わったのに気がつきました。
「……ルーカス、さん?」
「かすみさん」
ルーカスさんはシーツを物干し綱に掛けると、私に向かって一歩、歩み寄りました。
そして、私から数歩離れた場所で、静かに、騎士の最敬礼をとるように片膝をついたのです。
「えっ……あの、ルーカスさん? 地面、汚れてしまいますよ?」
私が慌てて声をかけようとすると、ルーカスさんは静かに首を横に振りました。
そして、制服のポケットから、小さなビロードの箱を取り出したのです。
パカッ、と。
彼の手の中で開かれた箱の中には、朝日に照らされてキラキラと輝く、シンプルな、けれどとても美しい意匠の指輪が収められていました。
「……っ」
私は息を呑み、言葉を失いました。
「俺は……あなたを、生涯の伴侶として迎えたいです」
ルーカスさんの青い瞳が、私を真っ直ぐに射抜きました。
いつもはどんな強敵を前にしても決して震えない彼の手が、今は箱を持ったまま、微かに、けれどはっきりと震えていました。
顔も、耳の先まで真っ赤に染まっています。
「俺は、王国最強の騎士団長かもしれません。でも……あなたの前では、自分の服のボタン付けすらまともにできなかった、不器用で、どうしようもない一人の男です。あなたがいてくれなければ、俺は日々の生活すら成り立たない、ただの剣を振るうだけの機械だった」
彼の言葉一つ一つに、彼が私に向けてくれている深く、重い愛情が込められていました。
「俺は、あなたに生かされています。俺に『帰る場所』を教えてくれたあなたを、今度は俺が、一生をかけて守り抜きたい」
ルーカスさんは、震える手で指輪の箱を私へと差し出しました。
「かすみさん。……俺の隣で、ずっと笑っていてください」
それは、絵本に出てくる王子様のような、どこまでも真っ直ぐで、純粋で、王道な告白でした。
前世で、誰からも求められず、愛されなかった私。
そんな私が、こんなにも素敵で立派な人から、生涯の愛を誓われている。
胸が締め付けられるほど嬉しくて、目頭がツンと熱くなりました。
(……でも)
私は、ギュッとエプロンの端を握りしめました。
私の心の中には、ルーカスさんと同じくらい、私を大切にしてくれる他の四人の顔が、ハッキリと浮かんでいました。
全員が、私の愛する、かけがえのない『家族』なのです。
だからこそ、私は、中途半端な気持ちでこの手を取ることはできませんでした。
「ルーカスさん……。ありがとうございます。お気持ちは、本当に、言葉にできないくらい嬉しいです」
私は、彼の真っ直ぐな瞳から逃げずに、しっかりと見つめ返しました。
「でも……答えは、もう少しだけ待ってください。私は、あなただけじゃない。他の四人にも、ちゃんと向き合いたいんです」
せっかくの告白を保留にするなんて、なんて最低な女だろうと自分でも思います。
彼を傷つけてしまったかもしれないと、心臓が痛いほど早鐘を打ちました。
しかし。
ルーカスさんは、傷つくどころか、最初から私のその答えを予想し、覚悟していたように、フッと優しく微笑んだのです。
「……やっぱり、かすみさんはそう言いますよね」
彼は、指輪の箱をパタンと閉じ、立ち上がりました。
そして、ポンポンと膝の土を払うと、いつもの太陽のような、けれどどこか挑戦的な笑顔を私に向けました。
「分かりました。俺は待ちます。……それに、あいつらを出し抜いて俺だけがかすみさんを独り占めするより、フェアな戦いで勝ち取った方が、かすみさんも納得してくれるでしょうから」
「ルーカスさん……」
彼の大らかで、すべてを包み込んでくれるような優しさに、私は胸を撫で下ろしました。
本当に、この人はどこまでも真っ直ぐで、眩しい人です。
「さて、そうと決まれば……っ」
ルーカスさんは、突然クルリと背を向け、寮の食堂の窓に向かって大きく息を吸い込みました。
「おい!! お前ら、全員集合!!」
「えっ!?」
裏庭中に響き渡るようなルーカスさんの大声に、私はビクッと肩を揺らしました。
「今から、かすみさんに告白タイムだ!! 俺はもう済ませたからな!! お前らも正々堂々とかすみさんにぶつかってこい!!」
彼がそう叫び終えた直後。
開け放たれた食堂の窓の奥から、四人の凄まじい怒声と悲鳴が同時に響き渡りました。
『はぁ!? お前、何勝手に抜け駆けしてんだ!!』
『……論理的に考えて、朝の訓練後の不意打ちはルール違反だ!』
『ずるいずるい!! 僕が一番にお姉ちゃんに言うはずだったのに!!』
『……殺す』
バタバタバタッ!と、寮の中から猛烈な足音がこちらに向かって迫ってきます。
「ふふっ……あはははっ!」
私は、慌てふためく彼らの声を聞いて、たまらなくなって吹き出してしまいました。
ルーカスさんも、「さあ、来い!」と腕まくりをして笑っています。
私の愛する、騒がしくて最強のダメ男たち。
私たちの最後にして最大の『恋愛決着』という名の戦いが、今、賑やかに幕を開けたのでした。




