第48話 ノエルくんが、神殿に『いいえ』と言いました
王宮の中心に位置する、荘厳な大広間。
国王アルベルト陛下が直接臨席される『公開裁定』の場は、水を打ったような静けさと、張り詰めた緊張感に包まれていました。
周囲には、多くの貴族や高官たちが集まっています。
その中には、先日のお茶会で私を助けてくださったアルメリック公爵夫人の姿もあり、彼女は私に向かって小さく、力強く頷いてくれました。
議場の中央に立つのは、私たち第七分隊。
そして、対面に立つのは、真っ白な法衣に身を包んだ神殿の使者たちと、ヴァルトハイム侯爵でした。
「──以上の理由により、第七分隊による不当な囲い込みから、我々の『資産』を保護する必要があります」
神殿の使者が、傲慢に満ちた声で国王陛下へと訴えかけました。
「特級回復術師ノエルは、幼少期より神殿が多大な費用と時間をかけて育て上げた、神殿本院の正当なる財産です。彼を直ちに本院へ帰還させることを、王家にもご承認いただきたい」
その冷酷な言葉に、私の横に立っていたノエルくんの肩が、ビクッと大きく跳ねました。
彼らは、どこまでいってもノエルくんを『物』としてしか見ていない。
彼がどれほど傷つき、どれほど一人で泣いてきたかなど、これっぽっちも考えていないのです。
(これ以上、ノエルくんを傷つけさせない……!)
私は、彼らに対して強く反論するため、一歩前に出ようとしました。
しかし。
私のエプロンの裾を、小さな手が、ぎゅっと強く掴みました。
「……ノエル、くん?」
振り返ると、ノエルくんはガタガタと震えていました。
顔は真っ青で、今にも倒れてしまいそうなほど怯えています。
それでも、彼は私の前に進み出るのを止め、首を横に振ったのです。
彼は、震える小さな手を、強く、強く握りしめました。
そして、私を庇うように一歩前に出ると、神殿の使者たちを真っ直ぐに見据えたのです。
「……僕は」
静まり返った大広間に、震えながらも、透き通った声が響きました。
「僕は、ノエル・シルヴァーレインです」
神殿の使者たちが、信じられないものを見るような顔でノエルくんを見下ろしました。
これまで、彼らの命令に一度も逆らったことのない、従順な『道具』だったはずの少年が、自分自身の意思で声を上げたからです。
「神殿の財産でも、誰かの道具でもありません。……僕は、第七分隊の回復術師で──」
ノエルくんは、一度だけ私を振り返り、涙を堪えた、とても綺麗で大人びた笑顔を見せました。
「香澄さんの、家族です」
ドクン、と。
私の心臓が、大きく跳ねました。
『お姉ちゃん』ではなく、『香澄さん』。
あんなに甘えん坊で、私の後ろに隠れてばかりだったあの子が。
自分自身の足で立ち、自分の言葉で、自分の居場所と名前を証明したのです。
(……あぁ、なんて)
目頭が熱くなり、涙が溢れそうになるのを、私は必死に堪えました。
ここで私が泣いてしまっては、彼が勇気を振り絞って大人になった瞬間に、泥を塗ってしまうから。
「なっ……! たかが道具の分際で、神殿に逆らう気か!」
使者が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げました。
「──そこまでだ、白服ども」
低く、地を這うような声とともに。
ルーカスさんが、セオドアさんが、カイルくんが、ノエルくんの背後に立ち並びました。
「我が第七分隊の誇り高き術師に、これ以上気安く話しかけるな。……お前たちの相手は、俺たちだ」
ルーカスさんの殺気を帯びた言葉を合図に、第七分隊の怒涛の反撃が始まりました。
「国王陛下。彼らが提出したノエルの帰還命令書ですが……論理的に考えて、これ以上の茶番はありません」
セオドアさんが、手元の資料を高く掲げました。
「この命令書に押されている王印。魔力解析の結果、ヴァルトハイム侯爵家と癒着して作られた『偽造印』であるという動かぬ証拠がここにあります」
「な……っ!?」
ヴァルトハイム侯爵が、椅子から弾かれたように立ち上がりました。
「それだけじゃねぇぞ。お前らが裏でどんな汚い金のやり取りをしてたか、暗号通信の解読記録も全部ここにある。言い逃れできると思うなよ」
カイルくんが、空中に紫色の魔法陣を展開し、膨大な通信記録の文字を大広間の全員に見えるように投影しました。
そして。
いつの間にか玉座のすぐそばまで音もなく移動していたジンさんが、一冊の古びた本を、国王陛下の御前にそっと差し出しました。
「……神殿本院の、裏帳簿」
ジンさんの短い一言に、国王陛下は鋭い目でその帳簿を開き、やがて静かに、しかし凄まじい怒りを込めて、バタン!と本を閉じました。
「……神殿の使者よ。そして、ヴァルトハイム侯爵よ。これは、どういうことだ」
国王陛下の低く威厳のある声が、議場を震わせました。
「あ、あ、あ……っ」
神殿の使者の額から、滝のような冷や汗が噴き出しました。
彼らの手はワナワナと無様に震え、血の気を失った顔で、後ずさりすることしかできません。
私たちの大切な家族を傷つけ、見下してきた者たち。
彼らが自分たちの罪の重さに気づき、完璧に追い詰められた、完全なる逆転の瞬間でした。




