第46話 貴族のお茶会に、平民寮母が招かれました
決戦の裁定会を明日に控えた、その日の昼下がり。
私の手元には、王宮から届いた一通の招待状がありました。
差出人は、クラリッサ・ヴァルトハイム侯爵令嬢。
名目は『王宮主催の貴族夫人茶会へのご招待』となっていましたが、それが私を吊るし上げるための罠であることは、火を見るよりも明らかでした。
「……絶対に行かせねぇ。今すぐ俺が、その茶会の会場ごと燃やしてきてやる」
第七分隊の寮の玄関。
見送りに来てくれたカイルくんが、ギリッと歯を食いしばりながら、指先に物騒な紫色の炎を灯していました。
「カイルくん、ダメですよ。これは王宮主催の正式なお茶会です。ここから逃げたら、明日の裁定会で第七分隊の不利になる口実を与えてしまいます」
私がたしなめると、カイルくんはチッと舌打ちをして炎を消しました。
「……論理的に考えて、香澄一人を敵陣に送り込むのはリスクが高すぎる。私が護衛として同行──」
「セオドアさんも、明日のための法務資料の最終確認があるでしょう? 私なら大丈夫ですから」
私が微笑むと、ずっと黙っていたルーカスさんが、静かに私の前に進み出ました。
そして、床に片膝をつき、私の右手をそっと取って、その手の甲に羽のように軽いキスを落としました。
「ルーカス、さん……?」
「かすみさん。あなたは俺たちの、誇り高き寮母です。……もし向こうで何かあれば、遠慮なく俺の名前を呼んでください。王宮の壁を叩き斬ってでも、必ず迎えに行きます」
その真っ直ぐで熱い青い瞳に、私は胸の奥がキュンと甘く締め付けられるのを感じました。
彼らの不器用で過保護な優しさが、今の私には何よりも心強い鎧です。
「はい。……行ってきます」
私は、愛する家族たちに見送られながら、王宮の美しい庭園へと向かいました。
* * *
王宮の庭園に設けられたサロンは、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族の令嬢や夫人たちで溢れかえっていました。
私が指定された席につくやいなや、冷ややかな視線とヒソヒソ話が、一斉に私へと突き刺さります。
「皆様、ごきげんよう」
サロンの中心から、優雅に扇を揺らしながら現れたのは、クラリッサ様でした。
彼女は私の前に立つと、わざとらしく目を丸くして見せました。
「あら。本当にいらしたのね。……平民風情が、よくもまあそんな安っぽい平服で、この高貴なお茶会に顔を出せたものですわ」
周囲の令嬢たちが、扇で口元を隠しながら一斉にクスクスと嘲笑を漏らしました。
「それに、カトラリーの使い方もご存じないのね。そのお皿には、そのスプーンではありませんわよ? ……ふふっ、やはり家事しかできない底辺の女には、淑女のマナーなど理解できないのかしら」
次々と投げつけられる、あからさまな嫌味のフルコース。
けれど、私の心は不思議なほど凪いでいました。
前世の夫から毎日浴びせられていた、心を抉るような冷たい言葉。
それに比べれば、マナーが違うと笑われることなど、痛くも痒くもありません。
何より、今この瞬間も、寮では彼らがノエルくんを救うために必死に戦ってくれているのです。
(こんなところで、怯むわけにはいかないわ)
私は背筋をピンと伸ばし、静かに紅茶のカップを置きました。
「ご指摘ありがとうございます。ですが、私はただの寮母ですから、王宮の完璧なマナーは存じ上げません。……私が知っているのは、美味しくて体に良いご飯の作り方だけです」
「強がって惨めですわね。侯爵家の名にかけて、あなたがどれほどこの場に相応しくないか、たっぷり教えて差し上げますわ」
クラリッサ様が勝ち誇ったように笑った、その時でした。
「……う、くっ……」
私の斜め向かいの席に座っていた、ふくよかな体型の侯爵夫人が、急に顔を青ざめさせ、お腹を押さえてうずくまりました。
「きゃあっ!?」
「ど、どうされましたの!?」
周囲の令嬢たちが悲鳴を上げ、パニックに陥ります。
クラリッサ様は、汚物をでも見るような目で一歩後ずさりました。
「まあ、せっかくの茶会を台無しにして……! 誰か、その方を早く別室へ運んでちょうだい! ドレスが汚れたらどうするの!」
誰も彼女を助けようとせず、遠巻きに見ているだけの貴族たち。
私は、弾かれたように席を立ち、苦しむ夫人の元へ駆け寄りました。
「大丈夫ですか!? ……手が、ひどく冷たい」
夫人の手に触れた瞬間、私は原因を察しました。
お茶会で振る舞われていたのは、見た目こそ華やかですが、バターや砂糖を大量に使った胃に重いお菓子ばかり。おまけに、出されていた紅茶はカフェインが強く、体を冷やす作用のある冷たいフルーツの乗った冷製スープまで添えられていました。
「妊娠されているお体で、こんなに胃腸に負担をかけて、体を冷やしてしまっては……っ」
私は近くにいた給仕のメイドを捕まえ、鋭い声で指示を出しました。
「すぐに、温かい白湯を持ってきてください! それから、厨房をお借りします!」
「えっ……で、ですが……」
「急いで!!」
私の気迫に押され、メイドは慌てて走り出しました。
私は王宮の厨房に飛び込むと、手早く食材を見繕いました。
胃腸を温め、消化に良く、妊婦さんの体にも優しいもの。
(すりおろした生姜と、卵、それに少しの葛粉でとろみをつけて……)
長年の主婦の勘が、最も最適な『体に優しい軽食』を瞬時に導き出します。
わずか数分後、私は熱々の『生姜と卵のとろみスープ』をトレイに乗せて、サロンへと戻りました。
「夫人、少しずつでいいので、これを飲んでください。体を中から温めますから」
私は夫人の背中を支え、ゆっくりとスープを口に運びました。
とろみのある温かいスープを飲み込むと、夫人の青ざめていた顔に、徐々に血色が戻ってきました。
「……あぁ、なんて優しい味……。お腹の底から、ポカポカと温かくなって……痛みが、引いていきます……」
夫人が深く息を吐き出して微笑むと、サロンに安堵の空気が広がりました。
「……よかった。お腹の赤ちゃんも、これで安心ですね」
私がホッと微笑みかけると、夫人は私の手を両手でしっかりと握りしめました。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、助かりましたわ……。本当に、何とお礼を言えば良いか……」
「とんでもありません。家事と料理くらいしか、私にはできませんから」
周囲の夫人たちも、私の的確な対処と料理の知識に、感嘆の声を漏らし始めました。
「見事な手際でしたわ……」
「見た目ばかりの重いお菓子より、あのような体に優しいスープこそ、真のおもてなしですわね」
サロンの空気が、完全に私への『感謝』と『称賛』へと反転した瞬間でした。
一人蚊帳の外に置かれたクラリッサ様は、ギリィッ……!と扇を握り潰さんばかりの力で睨みつけています。
その時。
貴族夫人たちの中から、一人の年配で威厳のある女性が、静かに進み出てきました。
周囲の夫人たちが、さっと道を空けて頭を下げます。
「素晴らしい対応でした。……第七分隊の寮母殿とお見受けします」
「あ、はい……」
「私は、アルメリック公爵の妻です。……あなたのその実践的な知識と、見栄を捨てて人を救う行動力。我が国にとって、どれほど得難い財産か、よく分かりました」
公爵夫人。
それは、ヴァルトハイム侯爵家とは長年対立関係にある、王宮でも絶大な権力を持つ大貴族のトップでした。
公爵夫人は、クラリッサ様を一瞥して冷たく鼻で笑うと、再び私に向き直り、優しく私の手を取りました。
「香澄殿。……あなた、明日の裁定会に、我が家からの『証人』として出席してくださらない?」
「え……っ」
「神殿と癒着し、私腹を肥やす者たちの不正を、明日の場で完全に白日の下に晒すつもりです。……あなたたちの第七分隊と、共に戦わせてちょうだい」
その言葉が響いた瞬間。
クラリッサ様の顔から、スゥッと血のの気が引き、扇を取り落として絶句しました。
私の『家事の力』が、貴族社会の勢力図すらも覆し、明日への決定的な逆転の切り札を引き寄せたのでした。




