第44話 ノエルくんを返せという神殿に、私は引きません
王宮の査問会は、神殿側の突然の宣言によって紛糾し、一時休会となりました。
重苦しい空気のまま、私たちは逃げるように第七分隊の寮へと戻ってきました。
いつもは賑やかな共有スペースは、ひどく冷え切った静寂に包まれています。
「……ごめんなさい、お姉ちゃん。みんな……ごめんなさい」
ソファにうずくまるように座ったノエルくんが、ポロポロと大粒の涙をこぼしながら震えていました。
いつも無邪気に笑って、私に甘えてくる可愛い末っ子。
その小さな肩が、今は恐怖と絶望で小刻みに揺れています。
「謝らないで、ノエルくん。あなたは何も悪いことなんてしていないわ」
私が隣に座り、震える背中を優しく撫でると、ノエルくんは耐えきれなくなったように私の胸に飛び込んできました。
「僕……五歳の時に、神殿に『買われた』んだ……っ」
しゃくり上げながら、ノエルくんが絞り出すように語った過去。
それは、あまりにも凄惨で、残酷なものでした。
特級の治癒能力を持って生まれた彼は、親から引き離され、神殿の『資産』として所有されたのだと言います。
道具として扱われ、食事の量も、眠る時間も、そして『笑うこと』すらも、すべて神殿の利益のために完璧に管理されていた。
少しでも魔力が落ちれば暗く冷たい反省室に入れられ、ただひたすらに、誰かの傷を治すための機械として生かされてきた。
「痛いのも、苦しいのも、全部我慢しなきゃいけなくて……。お腹が空いても、勝手にご飯を食べちゃダメで……っ。第七分隊に来て、お姉ちゃんのご飯を食べて、初めて……僕、生きてていいんだって……っ」
「ノエルくん……っ」
私の目からも、ボロボロと涙が溢れ落ちました。
私はノエルくんの小さな体を、力一杯抱きしめました。
あんなに美味しそうに、幸せそうに私の作ったご飯を食べてくれる子が。
こんなにも温かくて優しい子が、そんな地獄のような場所で、たった一人で泣いていたなんて。
(絶対に、許さない……!)
胸の奥底から、ドス黒い怒りが込み上げてくるのを感じました。
かつての私なら、「私が身を引けば、彼らに迷惑がかからないのではないか」と、逃げる理由を探していたかもしれません。
でも、今の私は違います。
彼らが私に『居場所』をくれたように、私が、彼らの『居場所』を守るのです。
私は涙を乱暴に拭い、ソファから立ち上がりました。
そして、部屋に集まっていた四人の騎士たちを、真っ直ぐに見つめました。
「ルーカスさん、セオドアさん、カイルくん、ジンさん。……私、絶対に引きません」
私の強い言葉に、四人の目がスッと細められました。
「ノエルくんは、誰の道具でも、資産でもありません。あの子は人間です。私たちの大切な家族です。……神殿が束になってかかってこようと、私は絶対に、あの子を返しはしません!」
私がハッキリと宣言した瞬間。
部屋の空気が、ビリッと震動しました。
「……もちろんです、かすみさん。俺たちの家族を奪おうとするなら、相手が神殿だろうが王家だろうが、容赦はしない」
ルーカスさんが、私の前に歩み寄り、騎士の礼をとるように床に膝をつきました。
その青い瞳には、剣聖としての揺るぎない覚悟が燃えています。
カイルくんは、「ちっ」と舌打ちをして、ギリッと強く拳を握りしめました。
「あの白服ども、俺の魔法で本院ごと灰にしてやる。……泣かしてんじゃねぇよ、ぶっ殺すぞ」
ジンさんは一言も発しませんでしたが、その姿が音もなく部屋の影へと溶け込んでいくのが見えました。
彼が本気で、敵の喉元を掻き切るための隠密行動に移った証拠です。
そして。
「……ようやく、面白くなってきましたね」
セオドアさんが、静かにソファから立ち上がりました。
手元にある分厚い資料の束をトントンと机で揃えながら、彼は銀縁眼鏡を冷たく、鋭く光らせました。
「連中は、自分たちが何に手を出したのか、まだ全く理解していないようだ。……後悔する時間すら与えない、完璧な論理的破滅をプレゼントしてやりましょう」
私と、王国最強の五人の騎士たち。
私たちの大切な家族を取り戻し、神殿の腐敗した闇を暴くための、第七分隊の全面的な反撃の狼煙が、今、上がりました。




