第37話 副隊長と魔導師が料理対決した結果、台所が戦場になりました
「……どうしよう。お昼ご飯の前に、台所が吹き飛ぶかもしれない……」
厨房の分厚い木製の扉から締め出された私は、廊下で一人、頭を抱えていました。
私を休ませるためだと言って、料理を作ると宣言した副隊長のセオドアさんと魔導師のカイルくん。
普段なら絶対にあり得ない組み合わせの二人が、私の城である厨房を占拠してしまったのです。
扉に耳をすませると、中からは不穏極まりない物音と会話が漏れ聞こえてきます。
『おい副隊長! なんだよそのチマチマした粉の入れ方は! 漢の料理はドカンと目分量が基本だろ!』
『……非論理的極まりないな。塩分濃度とスパイスの配合は、味覚を決定づける化学方程式だ。私が今、ビーカーで正確に計量し、最適な黄金比を導き出しているところだ。君は黙って肉の表面を加熱したまえ』
『おう、任せろ! 俺の究極の炎魔法で、一瞬で中まで火を通してやるぜ! 燃えろぉぉっ!!』
ボォォォォォォッ!!!
「ひゃあっ!?」
扉越しにでも分かる凄まじい熱波と、空気を焼くような爆音が響き渡りました。
さらに、隙間からはモクモクと黒い煙が漏れ出し、鼻を突く強烈な焦げ臭さと、なぜか目が痛くなるような酸っぱい匂いが廊下に充満し始めます。
「ダメ、やっぱり任せておけません!」
これ以上放置すれば、第七分隊寮の厨房が文字通り灰になってしまいます。
私は覚悟を決めて、重い扉を勢いよく押し開けました。
「二人とも、ストップです!!」
私が飛び込んだ厨房は、まさに地獄絵図でした。
「むっ、香澄。まだ完成していないのだが」
セオドアさんは、なぜかどこから持ってきたのか分からないビーカーやスポイトを並べ、鍋の中に緑色をした謎の液体を一滴ずつ垂らしていました。
彼の銀縁眼鏡は、怪しげな湯気で白く曇っています。
「おい、アンタは休んでろって言っただろ! 俺の特大ローストポークがもうすぐ完成……って、熱っ!?」
カイルくんは、巨大な豚肉の塊を空中に浮かせ、両手から凄まじい業火を放っていました。
しかし、その肉の塊はすでに炭のようになっており、表面からは黒い煙がもうもうと上がっています。
「カイルくん、火を止めて! お肉が炭になっちゃいます! セオドアさんも、その怪しい実験をやめてください!」
私が叫びながら駆け寄ると、二人はビクッと肩を震わせ、慌てて火と手を止めました。
「ゲホッ、ゴホッ……! とりあえず、換気しますから!」
私は急いで厨房の窓を全開にし、換気用の魔導扇風機を回しました。
黒い煙が外へと逃げていき、ようやく視界がクリアになったところで、改めて惨状を確認します。
カイルくんの焼いていたお肉は、外側が真っ黒な炭と化し、カチカチの石のようになっていました。
「カイルくん……お肉を中まで火を通すには、弱火でじっくり焼かないとダメなんです。こんな強火で一気に焼いたら、外側だけが焦げて中は生焼けになってしまいます」
私が呆れながら指摘すると、カイルくんは「うっ……」と顔をしかめました。
「だってよ……俺の魔法なら、一瞬で美味く焼けると思ったんだよ。……アンタに、すげぇって言わせたくて……」
そっぽを向いてボソボソと言い訳をする彼の耳の先は、火の魔法のせいではなく、照れと恥ずかしさで真っ赤に染まっていました。
「セオドアさんのこのお鍋は……一体、何を作ろうとしたんですか?」
私が、酸っぱい匂いを放つ緑色の液体の入った鍋を覗き込むと、セオドアさんはコホンと咳払いをして眼鏡を押し上げました。
「……疲労回復に最も効果的な、クエン酸とアミノ酸を極限まで濃縮した『究極の回復スープ』だ。各種ハーブと酢をベースに、ミリグラム単位で配合を計算した」
「……ちょっと、味見してみてもいいですか?」
私がスプーンでその緑色のスープをすくい、少しだけ口に含むと。
「~~~~~ッ!?」
凄まじい酸っぱさと、舌が痺れるような苦味が口の中で爆発し、私は思わずその場にうずくまってむせてしまいました。
「か、香澄!? 大丈夫か!?」
「す、酸っぱすぎます……! セオドアさん、これ、味見しましたか!?」
涙目で抗議すると、セオドアさんはハッとして目を泳がせました。
「……計算式は完璧だったはずだ。味覚の確認というアナログな工程を省いたのが、最大の計算外だったか……」
理論だけで料理を作ろうとした結果が、この毒薬のようなスープです。
真っ黒な炭のお肉と、激痛の走る酸っぱいスープ。
料理能力が皆無な騎士たちが作った、絶望的なランチセットを前に、私は深く、深くため息をつきました。
「……すみません、かすみさん」
「……すまない。君を休ませるどころか、仕事を増やしてしまった」
大型犬のようにシュンと肩を落とすカイルくんとセオドアさん。
その不器用で、どうしようもないポンコツぶりに。
「……ふふっ」
私は、怒るどころか、どうしても笑いがこみ上げてきてしまいました。
「か、香澄?」
「アンタ、なに笑ってんだよ……」
「だって、王国最強の副隊長と魔導師が、私のために一生懸命にお料理をして、二人揃ってこんなに真っ黒と緑色の失敗作を作るなんて……可笑しくて」
私が声を上げて笑うと、二人はポカンとした後、さらに顔を赤くして俯いてしまいました。
「怒っていませんよ。お二人が私を休ませようとしてくれたその気持ちだけで、私はもうお腹がいっぱいになるくらい嬉しいです」
私はエプロンの紐をきゅっと結び直し、まな板の前に立ちました。
「さあ、ここからは私の仕事です。この失敗作たちを、なんとか食べられるように魔法をかけますから、よく見ていてくださいね」
私はまず、カイルくんの真っ黒なお肉をまな板に乗せました。
「外側は炭になっていますが、分厚いお肉なので、中心はまだ食べられます。この焦げた部分を包丁で削ぎ落として……」
私は素早く包丁を入れ、真っ黒な炭の部分を取り除きました。
中からは、まだ少し赤いお肉が顔を出します。
「これを細かく一口大に切って、フライパンで弱火でじっくりと炒め直します」
ジュゥゥッ、といい音を立てて、お肉の香ばしい匂いが漂い始めます。
「次に、セオドアさんのスープです。お酢とハーブが強すぎるので、お水を足して薄め、そこにたっぷりのお野菜とお出汁、少しのお砂糖を入れて、味のバランスを整えます」
私が手際よく調味料を足し、グツグツと煮込んでいくと、強烈だった酸っぱい匂いが、食欲をそそる爽やかな酸辣湯のような良い香りに変わっていきました。
「炒め直したお肉を、このスープの中に投入して煮込めば……『焦げ肉と酸っぱすぎスープの、爽やか煮込み』の完成です!」
私が最後に青菜を散らして火を止めると、カイルくんとセオドアさんは、食い入るように鍋の中を見つめていました。
「……信じられない。あの絶望的な物質が、ここまで食欲を刺激する料理に生まれ変わるとは」
セオドアさんが、感嘆の息を漏らします。
「すげぇ……アンタの家事スキル、魔法よりよっぽどチートじゃねぇか……」
カイルくんが、目を丸くして呟きました。
「ふふっ、主婦のリカバリー能力を舐めないでくださいね。さあ、食堂に運びましょう」
* * *
食堂のテーブルに出来上がった煮込み料理を並べると、匂いにつられてルーカスさん、ノエルくん、ジンさんも集まってきました。
「うわぁ、美味しそうな匂い! セオドアとカイルが作ったんですか?」
ルーカスさんが目を輝かせます。
「……最終的な味の構築は、全て香澄の功績だ。我々は……素材を提供したにすぎない」
セオドアさんが、バツが悪そうに眼鏡を押し上げます。
「まぁいいから食ってみろよ! 俺が火を通した肉が入ってんだからな!」
カイルくんが強がって胸を張ります。
皆で席につき、温かいスープを一口すすると。
「んんっ! 美味しい!」
ノエルくんが満面の笑みを浮かべました。
「お肉がホロホロで、スープの酸味がさっぱりしてて最高です! さすがかすみさん!」
ルーカスさんが勢いよくパンをスープに浸して食べ進めます。
「……美味い」
ジンさんが、無言で何度もうなずきながら口に運びます。
その様子を見ていたカイルくんとセオドアさんは、心底ホッとしたように息を吐き出し、自分たちもスープを口にしました。
「……アンタが手を加えなかったら、俺たち、これ食って死んでたかもな」
カイルくんが、小さな声で私にだけ聞こえるように呟きました。
「ふふっ。でも、お肉を焼いてくれたのも、スープのベースを作ってくれたのもお二人ですよ。ごちそうさまでした、とっても美味しかったです」
私が心からのお礼を言うと、二人は照れくさそうにそっぽを向きながらも、口元を嬉しそうに緩めていました。
料理対決という名の戦争は、私の乱入によってなんとか平和に幕を閉じました。
失敗しても、空回りしても、彼らが私を想って行動してくれた事実が、私の心をぽかぽかと温めてくれます。
お腹も心も満たされた、穏やかな昼下がり。
この騒がしくて温かい日常が、ずっと続いていくのだと、私は疑っていませんでした。
「……ゴホッ」
その夜。
夕食の片付けを終えて談話室でくつろいでいた時。
「んん……」
ソファの隅で丸くなっていたノエルくんが、ふいに乾いた咳をこぼしました。
「ノエルくん? どうしましたか?」
私が声をかけると、ノエルくんは少しだけ潤んだ紫色の瞳で私を見上げ、ぼんやりとした声で呟きました。
「……お姉ちゃん。なんだか、体がフワフワするの……」
彼の頬は不自然なほど赤く火照り、その息は荒くなっていました。
冬の足音と共に、第七分隊に新たなトラブルの気配が忍び寄っていたのです。
(続く)




