第34話 タオルは勝手に消えません。誰かがどこかに放置してるんです
ジンさんと新しい包丁を買いに行き、ほくほくとした温かい気持ちで寮へ帰還した直後のこと。
「かすみさんっ!! 大変です!!」
頭に白い泡をたっぷり乗せたままのルーカスさんが、半泣きで廊下を走ってきました。
「ル、ルーカスさん!? どうしたんですか、その頭! お風呂の途中ですか!?」
「そうなんです! 顔を洗おうとしたら、脱衣所にあったはずの新しいタオルが……一枚残らず消え失せてるんです!!」
ルーカスさんの叫び声に、食堂で資料を読んでいた副隊長のセオドアさんが、バタンと本を閉じて立ち上がりました。
「……論理的に考えて、密室からの備品の集団消失はあり得ない。我々が魔物討伐に出ている間を狙った、何者かによる窃盗の可能性がある」
銀縁眼鏡をキラリと光らせ、セオドアさんは極めて真剣な顔で推理を披露し始めました。
「あの、セオドアさん。ただのタオル泥棒が、わざわざ王国最強の第七分隊の寮に忍び込むとは思えないんですが……」
私が冷静に指摘すると、セオドアさんは「むっ」と口ごもりました。
マチルダさんから支給されているのは、手触りが良く吸水性に優れた、上質な白い布のタオルです。
先日、私が数十枚ほどまとめて洗い、綺麗に畳んで脱衣所の棚にストックしておいたはずでした。それが一枚残らず消えるなんて、確かに不自然です。
「……窃盗ではないとすれば、残る可能性は一つだ。寮の内部の人間による、無自覚な持ち出し」
「つまり、皆さんが自分の部屋に溜め込んでいるってことですよね? 分かりました、今から抜き打ちの持ち物検査をします!」
私がエプロンの紐をきゅっと結び直して宣言すると、その場にいたルーカスさんとセオドアさん、そして様子を見に来たカイルくんとノエルくんの肩が、ビクッと跳ねました。
「さて、まずはルーカスさんの部屋から行きましょうか」
「えっ!? お、俺の部屋ですか!?」
慌てるルーカスさんを押し退け、私は二階の隊長室の扉を開けました。
すると、部屋の隅にある武器の手入れ台の横に、見覚えのある白い布が、油にまみれて山のように積まれていました。
「……ルーカスさん。これは?」
「い、いや! だって、かすみさんが洗ってくれたこの布、すごく柔らかくて! これなら大事な剣を磨いても傷がつかないと思って……つい、手が伸びちゃったというか……」
犬耳をペタンと垂らして言い訳をするルーカスさん。
武器の手入れに上質な新品のタオルを使うなんて、なんという贅沢な無駄遣いでしょう。
「はい、没収。次はカイルくんです」
「なっ! 俺の部屋は関係ねぇだろ!」
抗議するカイルくんを引きずって彼の部屋へ向かうと。
机の上に置かれた貴重な魔導具や水晶玉の下に、白いタオルが何枚も重ねられ、ふかふかの座布団のように敷き詰められていました。
「……カイルくん?」
「わ、割れたら危ねぇだろ! これは緩衝材だよ! 魔法の実験に使う大事な道具なんだから、これくらい保護して当然だ!」
顔を真っ赤にして叫ぶカイルくん。
緩衝材なら、要らなくなった古布や木屑を使えばいいのに、わざわざ肌触りの良い新品のタオルを選ぶあたりが彼らしいポンコツ具合です。
「はい、これも没収です。次は……ノエルくんですね」
「ええーっ、僕はお水とかこぼしてないよ?」
ノエルくんの部屋に入ると、一見してタオルらしきものは見当たりませんでした。
しかし、彼がいつも眠っているベッドの掛け布団をめくってみると。
「……これは、タオルの巣ですか?」
シーツの上に、真っ白なタオルが十枚以上も丸められ、抱き枕のようにドーナツ状に配置されていました。
「えへへ……お姉ちゃんがお日様に当ててくれた匂いがするから、一緒に寝るとすっごく安心するの。だから、いっぱい集めちゃった」
紫色の瞳をきらきらさせて、悪びれもなく微笑むノエルくん。
可愛らしい理由ですが、みんなが顔を拭くためのタオルを抱き枕にされては困ります。
「没収です。……ところで、セオドアさんはさっきからずっと静かですね?」
私が振り返ると、セオドアさんは額にうっすらと冷や汗を浮かべ、視線を明後日の方向へと泳がせていました。
「……私は、副隊長として常に不測の事態に備えている。ゆえに、自室の執務机の引き出しに、有事の際の『予備』として数枚の布をストックしておくのは、危機管理の観点から見て極めて論理的な判断であり……」
「要するに、セオドアさんも溜め込んでいたんですね?」
私がジト目で睨むと、彼は「……五枚ほど」と小さな声で白状しました。
最後に、一階の廊下ですれ違ったジンさんを問い詰めると、彼は無言のまま自室の備品箱を開けて見せてくれました。
そこには、鋭い暗殺用のナイフや特殊な道具が、一枚ずつ丁寧に、白いタオルでくるまれて収納されていました。
「……刃こぼれを、防ぐためだ。……それに、……いい匂いが、するから」
ジンさんは、少しだけ気まずそうに目を伏せました。
結局、消えた数十枚のタオルは、五人の騎士たちの部屋から見事に全量発見されました。
剣磨き、魔導具の座布団、抱き枕、危機管理ストック、暗殺道具の保護布。
誰一人として悪気はなく、ただ『かすみさんの洗った布が気持ちよかったから』という理由で、無意識に自分のテリトリーに溜め込んでいたのです。
「もう……みなさんったら」
呆れて怒る気にもなれず、私は回収した大量のタオルの山を前に、思わず吹き出してしまいました。
「王国最強の騎士団が、タオルの神隠しの犯人だったなんて。本当に、生活力がないというか、子どもみたいというか……しょうがないですね」
私がくすくすと笑いながらいつもの口癖をこぼすと、五人の騎士たちは揃ってバツが悪そうに肩をすくめました。
「ごめんなさい、かすみさん。俺が洗いますから!」
「……以後、備品の持ち出しには厳格なルールを設けよう」
反省する彼らを置いて、私は「洗うのは私の仕事ですから、皆さんは顔を洗うのを待っていてください」と裏庭の洗い場へと向かいました。
油や汚れがついてしまったタオルを一気に綺麗にするため、今日は『煮洗い』をすることにしました。
裏庭の大きな魔力炉に大鍋をかけ、たっぷりの水を張ります。
そこに、洗浄力の強い『灰石鹸』を削り入れ、グツグツと沸騰したお湯の中に、回収したタオルを次々と放り込んでいきました。
ボコボコと沸き立つお湯の中で、真っ白な布が踊ります。
木べらでゆっくりとかき混ぜていると、むわっとした熱気と共に、灰石鹸の独特の匂いと、布の繊維から溶け出した汚れの匂いが入り混じった、強い蒸気が顔を覆いました。
「熱っ……」
私が蒸気を避けようと目を細めた、その瞬間でした。
グラリ、と。
突然、視界が歪みました。
目の前にあるはずの、異世界の石造りの壁と魔力炉が。
薄暗くて、冷たい、ステンレス製のシステムキッチンへと一瞬ですり替わりました。
『おい! なんだこの匂いは!』
耳の奥で、鋭い怒鳴り声が反響しました。
それは、前世の記憶。
休日の午後、私が台所のコンロで、ふきんやタオルの煮洗いをしていた時のことでした。
休みの日は昼過ぎまで寝ている健一が、不機嫌そうな顔でリビングのドアを乱暴に開けて、顔をしかめて立っていました。
『家の中が洗剤臭いぞ! 飯が不味くなるだろ、換気くらいしろよ!』
『ご、ごめんなさい。でも、こうやって熱湯で煮ないと、雑菌が繁殖して臭くなっちゃうから……』
私が必死に言い訳をすると、健一は舌打ちをして、私を冷たい目で見下ろしました。
『そんなの、俺には関係ないだろ。俺の休日を不快な匂いで邪魔するなよ。お前の使い方が雑だから、タオルが臭くなるんだろ? 本当に、気が利かないな』
グツグツと煮え立つ鍋の熱さとは裏腹に。
私の心は、氷のように冷たく凍りついていきました。
家族の健康のために、見えないところで手間をかけている労働。
それを、彼は『不快な生活臭』として切り捨て、私の存在ごと否定したのです。
「ぁ……っ……」
手から力が抜け、持っていた木べらがカラン、と石畳に落ちました。
息が、苦しい。
あの時の、胃が握り潰されるような恐怖と、自分が無価値な存在だと思い知らされる絶望感が、鮮明にフラッシュバックして、私の体を金縛りのように硬直させました。
「……かすみさん?」
ふいに、背後から声がしました。
「かすみさん、どうしたんですか? 顔色が悪いですよ」
振り返ると、洗い場の入り口に、心配そうな顔をしたルーカスさんが立っていました。
彼の声を聞いて、私の視界を覆っていたステンレスのキッチンの幻影が、パリッと音を立てて砕け散りました。
私は、息を弾ませながら、目の前の光景を見つめ直しました。
そこには、元夫の冷たい目はなく。
私の洗うタオルを心待ちにしてくれている、大柄で不器用な騎士が立っていたのです。
(続く)




