第30話 その席、誰の隣ですか?
「抜け駆けだぞノエル!! そこはいつも俺が座ってるかすみさんの隣の席だ!!」
朝の食堂に、ルーカスさんの切実な叫び声が響き渡りました。
昨日の魔力枯渇からすっかり回復したノエルくんが、私の隣の席にちょこんと座り、「お姉ちゃん、あーんして?」と甘えてきたのが発端です。
「えー? やだ。僕、これからはお姉ちゃんにしっかり『管理』してもらうことになったから、ずっとそばにいないとダメなんだもんねー」
ノエルくんは私の腕にギュッと抱きつき、ルーカスさんに向かってあっかんべーと舌を出しました。
「なっ……! 俺だってかすみさんに管理されたい!!」
「……論理的に考えて、患者に優先権があるとはいえ、回復した今となってはその席を独占する正当な理由はない。速やかに退去したまえ。私の方が、より効率的に管理される自信があるのだが」
いつの間にか背後に立っていた副隊長のセオドアさんが、銀縁眼鏡をキラリと光らせてノエルくんに迫ります。
大の大人が三人、私の隣の席を巡って本気で睨み合っているという、なんとも異様な光景です。
「あ、あの、皆さん……」
私が困惑して声をかけようとした背後から、スッと黒い影が伸びてきました。
「……かすみ、お茶」
諜報員のジンさんが、空になった私のマグカップを差し出しながら、ちゃっかりと私の反対側の隣の席を陣取っていました。
「あああっ! ジン、お前いつの間に!!」
「……隠密スキルをこんな卑劣な手段に使うとは。規定違反で減俸ものだぞ」
ルーカスさんとセオドアさんが、今度はジンさんに向かって抗議を始めます。
しかしジンさんは涼しい顔で、私が注いだハーブティーをゆっくりと口に運んでいました。
そこへ、バンッ!と勢いよく食堂の扉が開きました。
「おい! 今日の朝飯のいい匂いが……って、あ!?」
寝癖を直して少し遅れてやってきた魔導師のカイルくんが、テーブルの惨状を見て目を吊り上げました。
「お前ら、なんでアンタの両隣にびっしり固まってんだよ! 俺が座る隙間がねぇだろ!」
「カイルは向こうの席が空いてるだろ。早く座れよ」
ルーカスさんがシッシッと手を振ると、カイルくんは顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「ふざけんな! 俺は……俺は、アンタが作ったおかずが一番取りやすい席がいいんだよ! どけノエル、そこは俺の席だ!」
「やーだ。カイルはいつも食べるの遅いんだから、端っこでいいでしょ」
「んだとテメェ、表へ出ろ! 黒焦げにしてやる!」
「二人とも、食堂で魔法を使わないでください!」
私は慌てて立ち上がり、パンッと両手を叩きました。
「席なんてどこでも同じじゃないですか。ご飯が冷めちゃいますから、早く座って食べてください!」
私がピシャリと言うと、五人の騎士たちは「ええー……」と不満げな声を漏らしながらも、渋々といった様子でそれぞれの席につきました。
『おい、俺の醤油はどこだ。言われなくても出しておけよ』
ふいに、前世の記憶が頭をかすめました。
元夫の健一との食事は、いつも冷え切っていました。
彼は必ず上座に座り、私は立ち上がりやすいようにキッチンのすぐそばの端の席。
テレビの音だけが響く食卓で、彼は私の作った料理に文句を言う時だけしか口を開きませんでした。
私が隣に座りたいだとか、会話をしたいだとか、そんなことを望む権利すら、私にはなかったのです。
それに比べて。
「かすみさん、このスープ最高です! おかわり!」
「……塩分濃度が完璧だ。私の脳細胞が喜んでいる」
「おい、俺の肉を取るな!」
「お姉ちゃん、僕お野菜もちゃんと食べたよ。えらい?」
「……美味い」
なんて騒がしくて、温かい食卓なのでしょう。
彼らは、私の料理を無言で食べることはありません。
美味しいと笑い、おかわりを求め、そして……私の隣に座りたいと、本気で争ってくれるのです。
それは、私という人間が、彼らの人生において「必要な存在」として認められている証でした。
「ふふっ……」
「かすみさん? どうかしましたか?」
私が思わず笑みをこぼすと、ルーカスさんが不思議そうに首を傾げました。
「いえ、なんでもありません。みんなで食べるご飯は美味しいなって、そう思っただけです」
私が微笑むと、五人の騎士たちは一瞬ポカンとした後、なぜか全員が耳の先を赤くして、無言で猛烈な勢いで食事をかき込み始めました。
* * *
その日の午後。
今日は、王宮の広大な大訓練場で、第七分隊を含む複数の騎士団による合同演習が行われていました。
「皆さん、お疲れ様です。冷たいお茶と、軽食を持ってきましたよ」
私は、大きな籠と水筒を抱えて、訓練場の隅にある休憩スペースへと足を運びました。
籠の中には、朝のうちに焼いておいた、蜂蜜漬けの木の実とドライフルーツをたっぷり練り込んだ甘い丸パンが入っています。
疲労回復には、良質な糖分が一番ですからね。
「かすみさーーん!!」
私を見つけたルーカスさんが、訓練用の木剣を放り投げ、ものすごいスピードで駆け寄ってきました。
「かすみさん、見ててくれましたか!? 俺、さっきの模擬戦で一番に敵陣を突破したんですよ!」
「はい、遠くからでもルーカスさんの金髪がすごく目立っていました。とっても格好良かったです」
私がタオルを手渡しながら褒めると、ルーカスさんはパァァッと顔を輝かせました。
「やった! じゃあご褒美に、かすみさんの隣の席は俺のものですね!」
ルーカスさんは、休憩スペースの長い木製ベンチにドカッと座り、ポンポンと自分の隣を叩きました。
「……単細胞め。力任せに突っ込むしか能のない男が、香澄の隣に座る資格などない」
そこへ、汗一つかいていない涼しい顔で、セオドアさんが歩み寄ってきました。
「私の完璧な後方支援と戦術指示があったからこそ、君は無傷で突破できたんだ。つまり、最大の功労者は私だ。……香澄、私の隣へ」
セオドアさんは、ルーカスさんの反対側に座り、自分の隣をトントンと叩きます。
「あーもう、お前らまたやってんのかよ!」
魔導師のローブを少し焦がしたカイルくんが、舌打ちをしながらやってきました。
「アンタ、こんな汗臭い野郎どもの間に座る必要ねぇよ。こっち来い、俺が風魔法で涼しくしてやるから」
「お姉ちゃーん、僕疲れちゃったぁ。魔力空っぽー……膝枕して?」
ノエルくんがふらふらと近づいてきて、私に抱きつこうとします。
そして、私のすぐ後ろの木陰には、いつの間にかジンさんがスッと立っていて、無言で私の頭の上に日除けの布を翳してくれていました。
朝の食堂の光景の、完全なデジャブです。
「もう……皆さん、汗だくなんですから、くっつかないでください。パンが食べられなくなりますよ」
私が苦笑しながら籠を開けると、甘い匂いに釣られて、五人は一斉に手を伸ばしてきました。
「うまっ! 疲れた体に甘さが染みる!」
「……完璧な糖分補給だ」
「おいノエル、お前は二個目だろ!」
いつものように騒がしく、子どもみたいにパンを奪い合う彼ら。
その無邪気な姿を見つめながら、私はお茶を配っていました。
しかし。
そんな私たちの様子を、少し離れた場所から、驚愕の面持ちで見つめている人たちがいることに、私は全く気づいていませんでした。
* * *
「おい……あれ、見ろよ」
大訓練場の反対側。
第三分隊と第五分隊の騎士たちが、水筒を手にしながら、第七分隊の休憩スペースを指差してヒソヒソと囁き合っていました。
「本当に、あいつらあの『第七分隊』か……?」
「間違いない。だが……嘘だろ」
彼らの視線の先には、一人の地味な女性を囲んで、笑顔でパンを頬張るエリート騎士たちの姿がありました。
「あの血も涙もない狂犬のルーカス隊長が、尻尾を振って女に褒められに行ってるぞ……」
「戦術マシーンのセオドア副隊長まで、必死に隣の席を陣取ろうとしてるじゃないか」
「スラム上がりの狂犬カイルが、大人しくパン食ってる……」
「ノエルに至っては、膝枕をねだってやがる……ジンも、影から女を日差しから守ってるぞ……」
彼らにとって、第七分隊は「強すぎるが故に、誰も近寄れない化け物集団」でした。
他人に心を開かず、生活は破綻し、ただ戦場でのみ圧倒的な力を発揮する、理解不能の戦闘集団。
それが今、一人の女性の周りで、まるで普通の青年たちのように笑い合い、ささいなことで嫉妬し合い、彼女の気を惹こうと躍起になっているのです。
「あの女の人……第七分隊の新しい寮母だって噂は聞いてたが」
「魔法薬でも使って、あいつらを洗脳したんじゃないのか?」
「バカ言え。あいつらがそんなもんに引っかかるかよ。……ただ、本気で惚れ込んでるだけだ」
他分隊の騎士たちは、ゴクリと生唾を飲み込みました。
「あの女の人……一体、何者なんだ……?」
王国最強の問題児たちを手懐け、骨抜きにしている『奇跡の寮母』。
その存在は、第七分隊の枠を超え、王宮の騎士たちの間に、静かな、しかし確実な衝撃と共に広がり始めていたのでした。
(続く)




