第28話 生意気魔導師からの贈り物は、香り袋でした
自室のベッドの上にちょこんと座り、私は両手の中にある小さな包みを見つめました。
不器用な手つきで結ばれた、少し歪なリボン。
先ほど、魔導師のカイルくんが顔を真っ赤にして私に押し付けていった、誕生日プレゼントです。
『……あとで、部屋に帰ってから一人で開けろ!』
逃げるように走り去っていった彼の背中を思い出し、私はふふっと笑みをこぼしました。
普段は誰に対しても生意気で、口の悪い彼が、私のために一体何を選んでくれたのでしょうか。
リボンをそっと解き、包み紙を開きます。
中から出てきたのは、手のひらにすっぽりと収まるサイズの、小さな布の袋でした。
素朴な麻布で作られたその袋は、口の部分が赤い紐できゅっと縛られています。
「これは……香り袋?」
不思議に思って顔を近づけると、ふわりと、とても優しくて、どこか懐かしい匂いがしました。
お日様の光をたっぷりと吸い込んだ、洗いたてのシーツの匂い。
窓を開け放った時に入ってくる、澄んだ風の匂い。
そして、ほんの少しだけ、石鹸の清潔な香り。
それは、高価な香水や、夜に咲く甘い花の香りではありませんでした。
私が毎日この寮で作り出している、『綺麗に整えられた日常』の匂いそのものだったのです。
「……いい匂い」
袋の表面には、微かに紫色の魔力の残滓がキラキラと光っていました。
おそらく、彼が魔法でこの匂いを閉じ込め、長持ちするように細工をしてくれたのでしょう。
私はその小さな香り袋を両手で包み込み、胸にそっと押し当てました。
王宮の天才魔導師が、こんな素朴で優しい魔法を使ってくれたことが、どうしようもなく嬉しくて。
その夜、私はその香り袋を枕元に置き、とても深く、温かい眠りにつくことができたのでした。
* * *
翌朝。
私はいつものように早く起き、厨房で朝食の準備に取り掛かりました。
今日のメニューは、大根に似た甘い根菜と豚肉の煮込み、それにふっくらと炊いた『月麦』です。
エプロンのポケットには、昨日カイルくんからもらった香り袋を忍ばせていました。
動くたびに、ほのかに清潔な香りが漂ってきて、とても気分が上がります。
「おはようございます、香澄。……む、今日はまた、一段と空気が澄んでいる気がするな」
セオドアさんが食堂に入ってくるなり、眼鏡を押し上げて言いました。
「おはようございます。ご飯、もうすぐできますからね」
私が笑顔で答えていると、二階からドタバタと騒がしい足音が聞こえてきました。
「おい! 今日の朝飯は肉か!? すげぇいい匂いが……」
寝癖を爆発させたカイルくんが、勢いよく食堂に飛び込んできました。
そして、私と目が合った瞬間。
「…………っ!!」
彼はピタリと動きを止め、信じられないものを見るように目を見開きました。
そして、ズンズンと大股で私に歩み寄ってくると、私のエプロンのポケットのあたりを指差しました。
「ア、アンタ……! なんでそれ、もう身につけてんだよ!」
カイルくんの顔は、耳の先から首筋まで、見事なまでに茹でダコのように真っ赤に染まっています。
「どうしてって、カイルくんがくれた素敵なプレゼントですから。嬉しくて、エプロンのポケットに入れちゃいました。ダメでしたか?」
私が首を傾げると、カイルくんは「だ、ダメじゃねぇけど!」と慌てて顔を背けました。
「普通、そういうのは部屋に飾っとくもんだろ! それに、他の奴らからはもっと高そうなもん貰ってたくせに……俺のは、ただ匂いがするだけの袋だぞ。そんなの、持ち歩いてて恥ずかしくねぇのかよ……」
カイルくんは、口を尖らせてボソボソと文句を言っています。
孤児院出身の彼は、高価なものを買うことに慣れていないし、自分の贈り物が他のエリート騎士たちのプレゼントに比べて見劣りしているのではないかと、気にしてくれていたのです。
「恥ずかしくなんてありませんよ」
私は、エプロンのポケットから香り袋を取り出し、大切に両手で包み込みました。
「カイルくんの魔法がかかっているんでしょう? すごくホッとする、いい匂いがします」
私が微笑むと、カイルくんはさらに顔を赤くして、赤い髪をくしゃくしゃと乱暴に掻き回しました。
「……高ぇ香水とか、女が喜ぶようなもん、俺はよく分かんねぇから。……だから、一番俺が好きな匂いにしたんだよ」
「カイルくんの、好きな匂い?」
「……アンタが、俺の部屋を片付けてくれた後の匂いだよ」
カイルくんは、私から目を逸らしたまま、ぽつり、ぽつりと語り始めました。
「俺、ずっとゴミの山に囲まれてないと落ち着かなかった。でも、アンタが窓を開けて、シーツを洗って、部屋を綺麗にしてくれてから……俺の部屋、いつもこの匂いがするようになったんだ」
黄金色の瞳が、微かに揺れています。
「この匂いがすると、魔力がすげぇ落ち着くんだよ。……ここは安全だって、アンタが守ってくれてるんだって、そう思える。だから……」
そこまで言って、カイルくんはハッとしたように口を噤み、「あーもう、柄じゃねぇこと言わせんな!」と再びそっぽを向いてしまいました。
私は、胸の奥がギュッと締め付けられるような感覚を覚えました。
前世の夫である健一は、私が掃除をした後の部屋の匂いを嫌いました。
『おい、なんか洗剤臭いぞ! 俺が帰ってくる前に換気くらいしておけよ、気が利かないな』
一生懸命に部屋を磨き上げても、彼にとってはそれは『不快な生活臭』でしかなかったのです。
私の労働の痕跡は、いつも彼に疎まれ、否定されてきました。
でも、目の前のこの青年は。
私が作り出した『清潔な日常の匂い』を、自分が世界で一番安心できる匂いだと言って、魔法で永遠に閉じ込め、私に贈ってくれたのです。
私のやったことは、彼にとっての『安全な居場所』を作っていた。
ただの家事だと思っていた私の労働が、一人の天才魔導師の心を、こんなにも深く救っていたなんて。
「……カイルくん」
私は、堪えきれずに一歩前に踏み出し、背の高い彼の頭にそっと手を伸ばしました。
「わっ!? な、なんだよ……」
「ありがとうございます。私、この香り袋、一生大切にしますね」
私が彼の赤い髪を優しく撫でると、カイルくんは抵抗することなく、少しだけ身を縮めるようにして大人しく撫でられました。
「……一生って、大げさだろ。魔力が切れたら、ただの袋になっちまうんだぞ」
「そしたら、またカイルくんが魔法をかけてください。約束ですよ?」
私が覗き込むようにして笑うと、カイルくんは「……ちっ、しょうがねぇな。俺の気が向いたらな」と憎まれ口を叩きながらも、その口元はだらしなく緩んでいました。
ツンデレで、素直じゃなくて、でも本当は誰よりも純粋で温かい心を持った魔導師くん。
彼の不器用な愛情が、私の心をぽかぽかと温めてくれます。
「おはよう、香澄。カイル、お前朝から随分と顔が赤いな。熱でもあるんじゃないか?」
そこへ、身支度を終えたルーカスさんが不思議そうな顔で食堂に入ってきました。
「う、うるせぇ! 火の魔法の練習をしてただけだ!」
カイルくんは慌てて私から離れ、自分の席へとドスドスと歩いていきました。
その分かりやすすぎる誤魔化し方に、私は思わずくすくすと笑ってしまいました。
「さあ、皆さん。朝ご飯の準備ができましたよ。席についてください」
私が声をかけると、ジンさんも静かに席につき、最後にもそもそと二階から降りてきたのは、回復術師のノエルくんでした。
「ふわぁ……お姉ちゃん、おはよぉ……」
ノエルくんは、まだ半分夢の中にいるような足取りで、フラフラと私の方へ歩いてきました。
「おはようございます、ノエルくん。顔を洗ってこないと目が覚めませんよ」
私が苦笑しながら言うと、ノエルくんは私の言葉を聞いているのかいないのか、そのまま私の胸元にコテンと頭を預けてきました。
「んんっ……お姉ちゃん、すっごくいい匂い……」
「えっ、ちょ、ノエルくん!?」
ノエルくんは、私のエプロンのポケット――カイルくんの香り袋が入っているあたり――に鼻を押し付け、すんすんと匂いを嗅いでいます。
「お日様と、お姉ちゃんの匂いが混ざって……あったかくて、眠くなる……」
言うが早いか、ノエルくんは私の肩に体重を預け、すーすーと規則正しい寝息を立て始めました。
立ったまま、完全に熟睡してしまったのです。
「ちょっとノエルくん! こんなところで寝たら風邪引きますよ!」
私が慌てて彼を支えていると、背後からガタンッ!と椅子を蹴り倒す音がしました。
「おいコラ! ノエルてめぇ! 俺のあげた匂いを嗅ぎながら、アンタにくっついて寝てんじゃねぇ!!」
顔を真っ赤にして怒り狂うカイルくん。
「ん? カイルがあげた匂い? どういうことだ?」と首を傾げるルーカスさん。
「……論理的に考えて、歩行中の睡眠は危険だ。私が剥がそう」と眼鏡を光らせるセオドアさん。
「みなさん、朝から騒がないでください! ご飯が冷めちゃいますよ!」
私の誕生日が明けた、新しい朝。
第七分隊の寮は、今日も騒がしくて、愛おしくて、最高に幸せな日常の音に包まれていました。
(続く)




