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夫に捨てられた専業主婦ですが、異世界騎士団の寮母になったらイケメン達が全員ダメ男でした  作者: 他力本願寺


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第19話 回復術師のおやつは一日三回までです

「……むり。もう一歩も歩けない。息をするのも疲れちゃった……」


朝の食堂。

第七分隊の回復術師であるノエルくんは、テーブルの上に突っ伏したまま、この世の終わりのような声を出していた。

サラサラの銀色の髪から覗く顔は、いつも以上に真っ白で生気がない。


「ノエルくん、そんな大げさな。今日は王宮の救護院で任務がある日でしょう?」


私が呆れながら声をかけると、ノエルくんはテーブルに頬をすりすりと押し付けながら、恨めしそうに紫色の瞳で私を見上げた。


「だって、お姉ちゃんが僕の命綱を全部取り上げちゃったんだもん……。糖分が足りなくて、魔力が全然作れないよぉ……」


命綱。

それは、昨日カイルくんの『保留』の箱から空き箱が発見された、あの色とりどりの甘いキャンディや糖菓のことだ。


ノエルくんは重度の偏食で、固形物や味の濃い食事を「疲れるから」という理由で嫌い、手軽に糖分を摂取できるお菓子ばかりを食べて生きてきた。

しかし、それでは血や筋肉が作られず、すぐ貧血を起こして倒れてしまう。私は彼の体を心配して、こっそり隠し持っていたお菓子のストックを昨日すべて没収したのだ。


「命綱じゃありません。あんな砂糖の塊ばかり舐めているから、すぐにご飯が食べられなくなって倒れちゃうんですよ。ほら、今日はノエルくんが食べやすいように、お野菜をくたくたに煮込んだミルクスープを作りましたから。これを食べてください」


私が湯気の立つスープのお椀を彼の前に置くと、ノエルくんはぷいっと顔を背けた。


「いらない。……甘くないと、喉を通らないもん。お姉ちゃん、一個でいいから飴返してよぉ……」


彼は私のエプロンの裾を指先でちょこんと掴み、上目遣いで甘えてきた。

その無防備で儚げな美少年の顔でおねだりされれば、大抵の人は絆されてしまうだろう。


だが、私は三十五歳の元専業主婦だ。

相手の体を想うからこそ、ここは絶対に譲れない。


「ダメです。お菓子はご飯をちゃんと食べた人だけの特権です」


私がきっぱりと首を振ると、ノエルくんは「ええーっ」と唇を尖らせた。


「お姉ちゃんのケチ。スパルタ。……もういいもん、今日はお仕事休む。ベッドから絶対に出ないからね」


完全に拗ねてしまった末っ子気質の回復術師を見て、私は小さく息を吐いた。


『おい! こんな味の薄いもん食えるか! 俺はもっとガッツリしたもんが食いたいんだよ!』


ふいに、前世の夫の怒鳴り声が脳裏をかすめる。


健一は、健康診断で数値が悪かったため、私が塩分や脂質を控えた食事を作ると、あからさまに不機嫌になった。

結局、彼は私の作った料理を残し、夜中にこっそりカップ麺やスナック菓子を食べていた。そして案の定、胃を痛めて体調を崩すと、『お前が変な飯を作るからストレスで胃が荒れたんだ!』と私を責め立てたのだ。


相手の健康を思っての行動が、すべて徒労に終わり、理不尽な怒りとなって返ってくる。あの虚しさは、私の心を確実に削っていった。


――でも、目の前のこの子は違う。

ノエルくんは、私を攻撃して支配しようとしているのではない。ただ、甘いお菓子が持つ「一時的な安心感」に依存してしまっているだけなのだ。


だったら、もっと温かくて、体に良くて、最高に美味しい「安心」を私が作ってあげればいい。


「ノエルくん。もし、このスープとパンをちゃんと全部食べられたら……私が『特別なおやつ』を作ってあげます」


「えっ?」


ノエルくんが、ピクッと銀色の耳を動かすようにして顔を上げた。


「本当? 飴よりも甘い?」


「飴よりずっと美味しくて、ふんわりしていて、お腹がぽかぽかする魔法のおやつです。でも、ご飯を全部食べないと作ってあげません」


私がわざとらしくもったいぶって言うと、ノエルくんは紫色の瞳をキラキラと輝かせた。


「食べる! 僕、お姉ちゃんのご飯なら食べる!」


彼はさっきまでの「一歩も歩けない」という言葉が嘘だったかのように、スプーンを握りしめ、ミルクスープを勢いよく飲み始めた。


「熱いから気をつけてくださいね。パンもちゃんとスープに浸して柔らかくして……」


「んっ、おいしい! お姉ちゃんのスープ、お野菜が甘くてとろとろになってる!」


あっという間にスープを平らげたノエルくんは、「ごちそうさまでした!」と空になったお椀を誇らしげに突き出した。


「えらいですね。ちゃんと全部食べられましたね」


私が頭を撫でてあげると、ノエルくんは子猫のように目を細めてすりすりと手に頬を寄せてきた。


「えへへ……。じゃあ、お姉ちゃん! 約束のおやつ!」


「はいはい。少し待っていてくださいね」


私は厨房に戻り、あらかじめ仕込んでおいたおやつの仕上げに取り掛かった。


使うのは、甘みの強い『土芋(つちいも)』だ。

柔らかく蒸した土芋を丁寧に裏ごしして、そこに温めたミルクと『火鶏卵(ひどりらん)』の濃厚な黄身を混ぜ合わせる。

少しだけ蜂蜜のようなシロップで甘みを足し、小さな陶器の器に流し込んで、魔力炉の蒸し器でゆっくりと火を通していく。


湯気と共に、卵とお芋の優しくて甘い香りが厨房いっぱいに広がった。


「わぁ……すっごくいい匂い……」


待ちきれなくなったノエルくんが、厨房の入り口から顔を覗かせている。


「はい、できましたよ。香澄特製、『土芋とミルクの温かいプリン』です」


私がトレイに乗せて食堂のテーブルに運ぶと、ノエルくんは歓声を上げた。

陶器の器の中には、淡い黄金色をした、ふるふると揺れる温かいプリンが鎮座している。


「熱いので、ゆっくり食べてくださいね」


ノエルくんは小さなスプーンでプリンをすくい、ふーふーと冷ましてから、ぱくりと口に入れた。


「…………っ!」


その瞬間、ノエルくんの瞳がこれ以上ないほど見開かれた。


「お姉ちゃん、これ……すごい!」


彼は興奮した様子で、何度も何度もスプーンを口に運んだ。


「お芋がすっごく滑らかで、お口の中でとろけちゃう! 飴玉みたいに舌が痛くなるような甘さじゃなくて、ふんわりしてて……お腹の底から、ぎゅーって温かくなるの!」


ノエルくんの青白かった頬が、プリンの温かさと栄養で、ほんのりと健康的な桜色に染まっていく。


「美味しいですか?」


「うん! 僕、今まで食べてたお菓子より、こっちのほうがずっとずっと好き! 毎日これが食べたい!」


空っぽになった器を両手で包み込みながら、ノエルくんは幸せそうにため息をついた。


「毎日作ってあげますよ。でも、ルールがあります」


私が人差し指を立てて宣言すると、ノエルくんはこくりと頷いた。


「おやつは一日三回まで。朝ご飯、お昼ご飯、夕ご飯をきちんと食べ終わった後にだけ、お姉ちゃんが作ったおやつを食べること。……守れますか?」


「守る! 僕、絶対にご飯も全部食べるし、お姉ちゃんの言うこと聞く!」


ノエルくんは、私の腰にぎゅっと抱きついて、嬉しそうに顔を擦り付けた。


「お姉ちゃん、大好き。僕、お仕事頑張ってくるね!」


満面の笑みを浮かべたノエルくんは、すっかり元気を取り戻し、軽い足取りで王宮の救護院へと出かけていった。


その後ろ姿を見送りながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

私の作った食事が、ルールが、この子の体と心を守る力になっている。

押し付けがましいなんて言われない。私の管理は、彼らを縛る鎖ではなく、彼らが健やかに飛び立つための羽になっているのだ。


「さて、みんながいない間に、廊下の掃除をしてしまおうかな」


私は気分良くエプロンの紐を締め直し、掃除道具を取り出した。


* * *


その日の夜。


みんなの夕食の片付けも終わり、私は寮の一階を見回っていた。

冬の夜は冷え込む。暖炉の火の始末や、戸締まりをしっかり確認しなければならない。


「ふう、今日も一日無事に終わったな……」


私が小さく伸びをして、自分の部屋へと戻ろうとした時だった。


廊下の奥。

私が諜報員のジンさんのために作った、アルコーブ(くぼみ)の専用寝床。

そこに、ジンさんが静かに座り込んでいるのが見えた。


「ジンさん? こんなところで、どうしたんですか?」


彼は毛布にもくるまらず、冷たい壁に背中を預けたまま、じっと宙を見つめていた。

私の声にゆっくりと顔を向けた彼の姿を見て、私はハッと息を呑んだ。


「ジンさん……その目」


暗がりでもはっきりと分かるほど、彼の目の下には、以前よりもさらに濃く、痛々しい隈が刻まれていたのだ。


「……かすみ」


ジンさんは、掠れた声で私の名前を呼んだ。


「……音が、……遠い」


「え?」


「……あんたの音が、……聞こえないと。……また、……落ちる」


ここ最近、彼は私が用意した寝床でしっかりと眠れていたはずだった。

それなのに、どうしてまた、こんなに極限状態のような顔をしているのだろう。


「ジンさん、大丈夫ですか? 少し体が冷えていますよ」


私が慌てて近寄り、彼の手を握ろうとした瞬間。

彼は私の手を避けるように、ビクッと身を引いた。


「……だめだ」


「ジンさん……?」


「……俺に、……近づくな」


いつもは私に安心を求めてすり寄ってくるはずの彼が、今は明確に私を遠ざけようとしている。

その灰色の瞳の奥で、何かが危うく揺らめいているのを感じて、私は胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。


(続く)

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