第12話 お菓子しか食べない回復術師に、ちゃんとしたご飯を食べさせます
カイルくんの部屋を片付け終え、夕食の準備のために厨房へ戻ると、そこにはすでに先客がいた。
「……お腹、すいたぁ……」
食堂のテーブルに突っ伏して、消え入りそうな声を出しているのは、回復術師のノエルくんだ。
銀色の髪が夕日に透けて、相変わらず絵画のような美しさだけれど、その顔色の白さは昼間よりもさらに深刻に見える。
「ノエルくん、大丈夫ですか? 今すぐ夕食にしますからね」
「……お姉ちゃん。僕、もう動けない……。指先ひとつ動かす魔力も残ってないの……」
ノエルくんは、潤んだ紫色の瞳で私を見上げ、縋るように私のエプロンの裾を掴んだ。
昨日の今日で、また魔力切れと貧血を起こしているらしい。
第七分隊の回復術師としての激務に加え、お菓子ばかりでまともな食事を摂らないという悪癖が、彼の体を限界まで削っているのだ。
「はいはい、分かっていますよ。今日はカイルくんのリクエストでハンバーグにしますけど、ノエルくんもしっかり食べてくださいね」
「……お肉? いらない……重いもん。お菓子がいいな。ポケットにまだ飴玉入ってるし……」
「ダメです!」
私は、ノエルくんがポケットから取り出そうとしたキャンディを、素早く没収した。
「そんなものばかり食べているから、魔力が安定しないんですよ。いいですか、ノエルくん。あなたの治癒魔法は、あなたの体にある栄養を魔力に変えて放っているんです。元になる栄養がなければ、自分自身を削ることになってしまいます」
「だって、お肉って噛むのが疲れるんだもん……」
膨れるノエルくんを見て、私はふっとため息をついた。
わがままな子どものようだけれど、彼にとっての「食事」は、これまで誰からも大切にされてこなかった証なのかもしれない。
私は、カイルくんたちのために用意した牛と豚の挽き肉の塊を半分に分け、ノエルくん用の特別な調理を始めた。
ハンバーグの肉ダネを細かくほぐし、玉ねぎと人参をすりおろして、たっぷりのスープ濃縮と一緒に小鍋にかける。
そこに、ふっくらと炊き上げた『月麦』を投入し、弱火でコトコトと煮込んでいく。
仕上げに、濃厚な『火鶏卵』を溶き入れれば、肉の旨味が凝縮された、噛まなくてもとろけるような『ハンバーグ風雑炊』の完成だ。
香ばしい肉の匂いと、優しいお出汁の香りが食堂に広がっていく。
「……なんか、いい匂い。お菓子の匂いじゃないのに、すごく落ち着く……」
ノエルくんが、鼻をひくひくとさせながら顔を上げた。
私は出来上がった熱々の雑炊をお椀に盛り、ノエルくんの隣に座った。
「はい、ノエルくん。これならお肉の栄養も摂れるし、柔らかいから食べやすいですよ」
「……お姉ちゃん、食べさせて?」
ノエルくんは当然のように、私の膝に頭を乗せてきた。
膝枕の体勢で、雛鳥のように口を開けて待っている。
「……もう、しょうがないですね」
私は苦笑しながら、スプーンで一口分をすくい、丁寧にふーふーと息を吹きかけて冷ました。
「はい、あーん」
ノエルくんが、ぱくりとそれを口に含む。
咀嚼するたびに、彼の青白かった頬が、じんわりと内側から赤みを帯びていく。
「……おいしい。あったかくて、お腹の中がぽかぽかする……」
「そうでしょう? ちゃんと栄養を摂れば、魔力だってすぐに戻りますから」
私は、彼の銀色の髪を優しく撫でた。
その柔らかい感触に、ふと前世の記憶が蘇る。
元夫の健一も、よく私を呼びつけた。
『おい、香澄! ちょっと頭が痛いぞ。薬と氷嚢、早く持ってこい!』
『お粥、熱すぎるだろ! お前は俺を火傷させる気か? 本当に気が利かないな』
彼は、自分が少しでも体調を崩すと、この世の終わりのように大騒ぎして私をこき使った。
そこに「感謝」の言葉はなく、あるのは「当然の権利」としての命令だけ。
私が看病を終えても、彼は『仕事に響いたらどうしてくれるんだ』と自分勝手な理屈を並べて私を責めた。
けれど、ノエルくんは。
「……お姉ちゃんのご飯、魔法よりすごいよ」
一口食べるごとに、彼は私の目を見て、幸せそうに微笑む。
「美味しい」「温かい」と、言葉のひとつひとつに喜びがこもっている。
誰かに尽くすことが、こんなにも心を満たしてくれるなんて。
前世では知ることのなかった、双方向の温もりがここにはあった。
「……お姉ちゃん、大好き」
最後の一口を食べ終えたノエルくんが、私の腰にぎゅっと腕を回して甘えてきた。
顔立ちが中性的で美しいからドキッとするけれど、その腕の力強さは、やはり彼が一流の騎士団の一員であることを思い出させる。
「はいはい。元気になったならよかったです。でも、明日からはお菓子は一日三回までですよ」
「えぇー……」
不服そうに唇を尖らせるノエルくんをなだめつつ、私は空になったお椀を持って立ち上がった。
彼をベッドまで送り届け(結局、歩けないと言い張られて肩を貸すことになったが)、ようやく一息つけたのは夜も深まってからだった。
ふう、と私は厨房で自分用のハーブティーを淹れた。
静まり返った寮の空気は、心地よい生活の気配に満ちている。
「さて、私もそろそろ休もうかな……」
マグカップを持って廊下へ出た、その時。
暗闇の中に、音もなく『影』が立っていた。
「……あ」
私は思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、諜報員のジンさんだった。
月明かりに照らされた灰色の瞳が、じっと私を見つめている。
「……かすみ」
「ジンさん……まだ起きていたんですか? また眠れないんですか?」
不眠症の彼は、夜になるといつもどこか寂しげな気配を纏っている。
彼は一歩、私の方へ近づいた。
気配を消すのが天才的なはずなのに、今の彼からは「ここにいる」という強い主張が伝わってくる。
「……俺にも、……もらえるか。その、温かいやつ」
ジンさんは、私の持っているマグカップを指差して、消え入りそうな声で言った。
「……もちろん、今すぐ淹れますね」
私は微笑んで、再び厨房の火を点けた。
王国最強の騎士たちは、戦場では恐ろしいほど格好いい。
けれど、この寮の中では、みんな何かしら欠けたところのある、愛すべき人たちなのだ。
私の淹れた飲み物が、今度は彼の孤独を少しでも和らげてくれることを願いながら。
(続く)




