第11話 ゴミ屋敷を片付けたら、魔導師の秘密が出てきました
バチッ……! バチチチッ!!
ボンッ!!
「やばい、かすみさん下がって! あいつの部屋、またゴミが飽和状態になって魔力が乱れてるんだ!」
二階の廊下に響き渡る爆発音と、空気を焦がすような紫色の火花。
ルーカスさんが慌てて私を庇うように前に出たけれど、私は彼が洗ってくれたばかりのシーツが入った木たらいをその場に置き、エプロンの紐をきゅっと結び直した。
「下がっていられません! 火事になったら洗濯物が台無しになります!」
「えっ、そっち!?」
驚くルーカスさんをよそに、私はカイルくんの部屋の扉に手をかけた。
「ルーカスさんは、さっきのシーツが風で飛ばないように見張っていてください。ここは私がやります!」
「で、でもかすみさん、魔力暴走は危険で……」
「大丈夫です。暴走の原因が『部屋が散らかっているから』なら、原因を物理的に排除するだけですから!」
私は有無を言わさぬ勢いで言い切り、重い木製の扉を勢いよく押し開けた。
「カイルくん! 入りますよ!」
部屋の中は、三日前に見た時よりもさらに酷い惨状になっていた。
床には脱ぎ捨てられた服、読みかけの分厚い魔導書、そして得体の知れない魔法薬の空き瓶が地層のように積み重なっている。
淀んだ空気の中、部屋の中央でカイルくんが必死に両手を前に突き出し、暴走して火花を散らす水晶玉のような魔導具を押さえ込んでいた。
「くっ……! 来るなって言っただろ! 今は魔力経路がショートしてて……っ!」
「ショートしている原因は、そこら中に散らばっているゴミが魔力の流れを邪魔しているからです! まずは換気!」
私は怒鳴るカイルくんの声を無視して、部屋の奥にある大きな窓へと迷わず突き進んだ。
床に転がる本や服の山をヒラリヒラリと避け(十二年間、夫が床に脱ぎ捨てた靴下や鞄を避け続けた主婦のステップを舐めてはいけない)、重い窓枠をガチャン! と押し開ける。
ヒュオォォォッ!
冷たくて新鮮な風が、一気に部屋の中へと流れ込んできた。
停滞していた甘ったるい魔力の匂いと、埃っぽさが外へと押し流されていく。
「なっ……!?」
「次は、熱源の隔離!」
私は窓辺から引き返し、カイルくんが押さえ込んでいる水晶玉のすぐ横――またしても無造作に被せられていた『生乾きのマント』をバサァッ! と引き剥がした。
湿気を含んだ布が魔導具の熱と反応し、嫌な蒸気を上げていたのだ。
「あっ、おい!」
「はい、これで深呼吸! カイルくん、ゆっくり魔力を落ち着かせて!」
私がはっきりと通る声で指示を出すと、カイルくんは毒気を抜かれたように目を丸くし、そしてふうっと長く息を吐き出した。
パチ、パチチ……。
暴れていた紫色の火花が、少しずつ小さくなり、やがて水晶玉の中にスッと吸い込まれるように消えていった。
部屋の中に、ようやく静寂が戻る。
「……っ、はぁ……」
カイルくんはそのまま床にへたり込み、赤い髪をガシガシと乱暴に掻き毟った。
「……アンタなぁ。普通、魔力暴走を見たら逃げるだろ。巻き込まれたらどうする気だ」
「巻き込まれる前に片付ければいいんです。それに、いくらなんでも三日前より酷くなっていませんか? これじゃあ、安心して眠ることもできないでしょう」
私が腰に手を当ててため息をつくと、カイルくんはバツが悪そうに視線を逸らした。
「……うるせぇな。任務が立て込んでて、片付ける暇がなかったんだよ。それに、俺はどこに何があるかちゃんと把握してるし……」
「把握している人が、魔導具の上に濡れたマントを被せますか?」
ピシャリと言い返すと、カイルくんはぐうの音も出ないというように口を引き結んだ。
彼は第七分隊の魔導師。
王宮でもトップクラスの才能を持つ、エリート中のエリートだ。
けれど、生活という基盤が崩れていれば、その才能すら自分の命を脅かす刃になってしまう。
「……よし。決めました」
私は袖をまくり上げ、部屋の惨状をぐるりと見渡した。
「今から、この部屋を徹底的に片付けます」
「はぁ!? いや、だから勝手に俺の物に触るなって……」
「カイルくんも手伝うんです。私が勝手に捨てたりしないように、ちゃんと隣で見ていてください。いいですね?」
私の静かだけれど絶対に譲らない声のトーンに、カイルくんはビクッと肩を震わせた。
健一に「俺の書斎に触るな」と怒鳴られていた頃の私なら、ここで引き下がっていただろう。
けれど、目の前の青年は、私を支配しようとして怒っているのではない。ただ、自分のテリトリーに他人が入ることを警戒して威嚇しているだけなのだ。
それを知っているから、私はもう怖くなかった。
「……ちっ。どうなっても知らねぇぞ」
カイルくんは舌打ちをしながらも、渋々といった様子で立ち上がった。
そこから、私たちの過酷な『ゴミ屋敷発掘作業』が始まった。
「まず、この明らかなゴミ――丸めた羊皮紙のくずや、空っぽの瓶は袋にまとめます。服は、洗濯するものと、まだ着られるものに分けてください」
「あー、もう! そのローブはまだ洗わなくていい! こっちのシャツは洗え!」
「はいはい、分かりました。じゃあ、この本は本棚へ……って、本棚がもうパンパンじゃないですか」
部屋の片隅にある木製の本棚は、すでに大小様々な魔導書や資料で埋め尽くされ、入りきらない本が床に塔のように積み上げられていた。
「カイルくん。本棚に入りきらないなら、少し整理しませんか? もう読まない本や、古い資料は倉庫に移すとか……」
「ダメだ!!」
私が積み上げられた本の山に手を伸ばしかけた瞬間。
カイルくんが弾かれたように立ち上がり、私の手から一冊の古い本をひったくった。
「……っ、勝手に触るなって言っただろ!」
彼の声は、これまでの反抗的な態度とは違い、どこか切羽詰まったような、ひどく焦った響きを含んでいた。
「カイル、くん……?」
驚いて彼の手元を見る。
彼が胸に抱え込むようにして守ったその本は、分厚くて立派な魔導書ではなかった。
表紙の革は擦り切れ、ページは変色し、あちこちが不格好な糸で縫い直されている。
タイトルには可愛らしいイラストと共に、『|子どもでもわかる炎の魔法』と書かれていた。
それは明らかに、幼い子どもが読むための、古くてボロボロの絵本のような魔導書だった。
「……ごめんなさい。捨てるつもりはなかったんですが、無理に触ってしまって」
私が素直に謝ると、カイルくんはハッとしたように息を飲み、抱え込んでいた本を少しだけ緩めた。
黄金色の瞳が、揺らいでいる。
「……ちがう。アンタを怒ったわけじゃねぇ」
彼はぽつりと呟き、そのまま床にドサリと座り込んだ。
そして、その古い本を愛おしそうに、何度も何度も指でなぞった。
「……俺さ、スラムの孤児院の出身なんだ」
静かな部屋に、彼の掠れた声が響いた。
「魔力だけは無駄に高かったけど、字の読み方も魔法の使い方も誰も教えてくれなくて。毎日、その日食べるパンの欠片を探すだけで精一杯だった」
私は黙って、彼の言葉に耳を傾けた。
「ある日、ゴミ捨て場にこの本が落ちてた。ボロボロで、ページも破れてたけど……俺にとっては、初めて手に入れた『自分のもの』だった。これを見ながら、必死に文字を覚えて、炎の出し方を練習した」
彼が王宮魔導師にまで上り詰めた裏には、どれほどの孤独と渇望があったのだろう。
「……俺は、手放すのが怖いんだ」
カイルくんは、自嘲するように笑った。
「ガラクタだって分かってる。こんな古い服も、読み終わった本も、今の俺には必要ない。……でも、捨てるってことは、自分の手の中から『何か』が消えて無くなるってことだろ? それが、どうしても怖いんだよ。気がついたら、周りに物を積み上げてないと落ち着かなくなってた」
部屋が散らかっていた理由。
それは、彼がだらしないからではなく、かつて何も持っていなかった孤独な少年が、自分の周りに壁を作って安心しようとしていた結果だったのだ。
その気持ちが、私には痛いほどよく分かった。
前世の私も、そうだったからだ。
夫の稼いできたお金で買った家具。夫が選んだ服。
『お前には何もない』と言われ続けた私は、自分の存在価値を証明するものが何一つなくて、家の中の物をただ必死に磨いて、そこにあることで安心しようとしていた。
失うのが怖くて、何かに縋り付いていないと立っていられなかった。
「……カイルくん」
私は床に座り込み、彼と視線を合わせた。
「手放さなくていいんですよ」
「え……?」
「それがあなたにとって大切なものなら、絶対に捨てちゃダメです。ガラクタなんかじゃありません。それは、あなたが一人で頑張って生きてきた証じゃないですか」
私が真っ直ぐにそう言うと、カイルくんは驚いたように目を見開いた。
「でも、大切なものをゴミの山の中に埋もれさせておくのは、少し可哀想です。……だから、ちゃんと『居場所』を作ってあげましょう」
私は立ち上がり、本棚の真ん中――一番目につきやすくて、取り出しやすい場所――にあった分厚い学術書をいくつか横に退けた。
「ここに、その本を置いてください。ここなら、いつでも見えますし、他のゴミに埋もれることもありません」
私が空けた特等席を指差すと、カイルくんは手元の古い本と、私を交互に見つめた。
そして、戸惑いながらも立ち上がり、そっと、その古い児童書を本棚の真ん中に収めた。
「……うん。すごくいい感じです」
私が微笑むと、カイルくんの耳の端が、みるみるうちに真っ赤に染まっていった。
「……っ、アンタって、本当に……調子狂う」
彼は顔を背け、赤い髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「分かったよ。……もう読まない本は、倉庫に持っていく。着ない服も捨てる。……だから、手伝ってくれ」
「はい。喜んで!」
そこからの片付けは、魔法のように進んだ。
カイルくんは「捨てる」「残す」の判断を少しずつできるようになり、私はそれに従って手際よく部屋を磨き上げていった。
数時間後。
「……終わったぁ……」
私は腰をトントンと叩きながら、大きく息を吐き出した。
床は綺麗に磨かれ、木目がしっかりと見えている。
脱ぎ散らかされていた服は洗濯かごとクローゼットへ。
本は種類ごとに整頓され、魔導具は安全な専用のケースに収められた。
窓から差し込む夕日が一室を黄金色に染め、澱んでいた魔力の気配はすっかり消え去っていた。
「どうですか、カイルくん。空気が美味しいでしょう?」
私が振り返って尋ねると、窓辺に寄りかかっていたカイルくんは、腕を組んだままじっと部屋を見渡していた。
彼は何も言わず、ただ自分の手の中にある小さな炎をポンッと出した。
それは暴走することなく、彼の意志のままに美しく燃え、そしてふっと消えた。
「……魔力が、信じられないくらい安定してる」
カイルくんは信じられないものを見るように、自分の手のひらを見つめた。
そして、私の方へと視線を向けた。
黄金色の瞳には、もう威嚇するような敵意も、生意気なトーンもなかった。
「……別に」
カイルくんは、ぷいっとそっぽを向いた。
「……別に、アンタに助けられたわけじゃねえからな。俺が本気を出せば、これくらいすぐできたし」
典型的な強がりだ。
でも、その顔が夕日以上に赤く染まっているのを、私は見逃さなかった。
「はいはい。カイルくんが本気を出したから、こんなに綺麗になったんですね」
「アンタ、絶対バカにしてるだろ!」
「してませんよ。さあ、洗濯物を干し終わったら、夕食の準備をしないと。今日はカイルくんがたくさん頑張ってくれたから、少しお肉を多めに……」
「……ハンバーグがいい」
「え?」
私が聞き返すと、カイルくんはさらに顔を逸らし、ボソボソと呟いた。
「前にアンタが言ってた、挽き肉を丸めて焼くやつ……ハンバーグ。あれが食いたい」
それは、彼が初めて私に「リクエスト」をしてくれた瞬間だった。
自分の欲求を素直に口に出すことができなかった彼が、私のご飯を食べたいと言ってくれたのだ。
「……ふふっ。分かりました。とびきり美味しいのを作りますね」
「……おう」
夕焼けに染まる綺麗な部屋で、私たちは少しだけ笑い合った。
第七分隊の魔境が、また一つ、人間の暮らす場所へと変わった瞬間だった。
(続く)




