ep2 天使との修行
「あら、ルイス。今日はお仕事、お休みじゃなかったの?」
朝。
休みのはずなのに、いつも通り支度をする息子を見て、母は不思議そうに声をかけた。
「ちょ、ちょっと……用事ができちゃってさ」
――天使に悪魔の倒し方を教わりに行ってくる。
なんて、言えるわけがない。
「そう……あまり遅くならないようにね?」
どこか様子がおかしいルイスに、母は心配そうに言葉を足した。
「う、うん! 気をつけるよ! じゃ、行ってきます!」
逃げるように家を飛び出したルイスの背に、母の溜息がそっと落ちた。
————
「あっ……パウロさん……」
道を小走りで進んでいたルイスは、背後から名前を呼ばれ、血の気が引いた。
「おい、ルイス! 昨日は大変だったんだからな!!」
振り返ると、年中ノースリーブの大男――パウロが腕を組んで仁王立ちしていた。
(しまった……完全に忘れてた……)
「いくら善意でも、ああいう無茶は良くない! 無茶は!!」
「は、ははっ……ごめん、パウロさん。本当に……」
「大体お前はなぁ――」
結局そのまま捕まり、しばらくお節介な説教が続いた。
———-
(やばい、だいぶ長引いた……!)
パウロから解放されたルイスは、全力で森へ駆け込む。
昨日ハニエルに会った場所に着くと、辺りを見渡した。
「あれ……まだ来てないのかな……」
「ルイス。」
頭上から降るような声。
振り向くと、ハニエルが高い枝に腰掛けてこちらを見下ろしていた。
「ハニエル! 遅れてごめん!!」
「大丈夫。待つのは慣れているから」
翼をふわりと揺らして地面に降り立つ。
どこか含みのある言い方に引っ掛かりつつ、ルイスは改めて頭を下げた。
「ほ、本当にごめん……!」
「それじゃあ、早速修行を始めようか」
「うん! お願いします!」
「ところでルイス、武器は持ってる?」
「あ、うん。これ、父さんの剣なんだけど……」
布で厳重に包んでいた剣を取り出し、そっと見せる。
湾曲した刃を持つ、幅広で重量感ある剣――ファルシオン。
天使の羽で造られた、騎士団に伝わる特別な武器だ。
ハニエルは剣を受け取ると、その刃を見て目を見開いた。
「これは……」
「どうしたの?」
「この剣は、私の羽で作ったものだよ」
「……えっ!?!?」
「確か……五百年くらい前にね。誰かに渡した覚えがある。でも――誰だったかな」
「五百年……」
父から受け継いだ剣。
そのルーツが、目の前の天使にたどり着くなんて――想像もしなかった。
(というか……ハニエルっていったい何歳なんだ……?)
聞く勇気は、さすがになかった。
「まあ、この話は置いておこう。それより、その剣を持っているなら話は早い」
剣を返しながらハニエルが続ける。
「悪魔を完全に消滅させられるのは、天使の剣だけなんだ。どれだけ時間が経っても錆びないし、壊れもしない」
「すごい……」
「戦い方は実際にやった方が早い。まずは私が相手になるよ」
そう言うと、ハニエルは自分の翼から羽を一枚抜く。
抜いた瞬間、光が走り、その羽は美しい刃へと姿を変えた。
「さあ、構えて。いくよ」
言い終えるより速く、ハニエルの剣が突き出された。
「えっ!? いきなり!? ちょ、ちょっと――!」
慌てて父の剣を構える。
次の瞬間、金属音が森に炸裂した。
キィン――!
「悪魔は待ってくれないよ。突然襲ってくるかもしれないからね」
「そ、そういう問題!? 怖いってば!!」
そこから地獄の――いや、天使の容赦ない特訓が始まった。
そして翌日。
ルイスは布団から起き上がることすらできないほどの筋肉痛に沈むことになる。
◆ ◆ ◆
「ハァ、ハァ……ハニエル……そろそろ、休憩を……」
「そうだね。少し休もうか。」
あれから、ハニエルとの修行はほぼ毎日続いた。
仕事のある日は夕方から、休みの日は丸一日。
そして——ハニエルは遠慮など一切しなかった。
本当に、死ぬかと思う瞬間が何度もあった。
「ハニエルって……女の子なのに、すごく強いんだね……」
ぐったりと座り込みながらルイスは自信を失ったように呟いた。
無理もない。
見た目は華奢なのに、剣さばきは人間離れしている。
今のルイスでは到底太刀打ちできなかった。
落ち込むルイスを見て、ハニエルは隣に腰を下ろす。
「まあ……何百年も悪魔と戦ってきたからね。それに私は人間じゃない。天使だよ。」
「ハニエルは……ずっと悪魔と戦ってきたの……?」
「そうだね。でも今は——旅をしながら悪魔討伐をしてる。目的があってね。」
「目的……?」
「ある人の“魂”を探しているんだ。」
「魂……?」
「魂は転生して、新しい生命として生まれ変わる。
私は昔、その人と“約束”を交わした。その約束を果たすために——探している。」
「……そうなんだ。」
ルイスはそれ以上は深く聞かない方がいい気がした。
しかしふと、あることに気づく。
「あれ……? でもその人の魂を探して旅してるなら……僕と修行なんてしてる場合じゃないんじゃないの?!?」
慌てて言うと、ハニエルはふっと笑った。
「大丈夫。少しの間だけだし……それに、ルイスには助けてもらったから。これくらいはさせて。」
「そ、そうなの……? でも……その人って、きっとハニエルにとってすごく大切な人だったんだよね?」
「…………うん、そうだね。」
ほんの一瞬だけ、ハニエルの声が揺れた。
「だからルイスにも、早く悪魔を倒せる力をつけてもらわないとね?」
少し茶化すように言われ、ルイスは真っ赤になった。
「くっ……が、頑張るよ!! よしっ、続きしよう! ハニエル!」
勢いよく立ち上がるルイスを見て、ハニエルも微笑む。
「ふふ……うん、そうだね。」
——いつかハニエルは旅に出てしまう。
そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
それはまだ、ルイスだけが知っている小さな感情。
——そしてその想いが、この先の運命を静かに動かし始めていた。——




