戦う覚悟
「やぁ、雄輔。」
放課後、俺はタグモと街中で出会した。幸は時雨とエレナの三人で、「女子会は雄輔来ちゃダメなんだって」と、少し残念そうに告げて、エレナの喫茶店へと向かっていった。
一人の時を狙って来たのか、彼の表情には不敵な笑みが浮かんでいる。
「……奇遇だな。」
「そんな、無理して普通にしなくていい。この前ヤクシャが余計な事を言ってくれたからな。お前も、俺を信用してはいないだろ?」
見透かしたように彼が語る。だが、あの大きな鎌を手にしていないところを見るに、ちょっかいを掛けに来たという訳ではなさそうではある。
「まぁ立ち話もなんだ、少しだけ付き合えよ。」
と彼は、踵を返して歩き始めるが、俺は次の行動に一瞬迷う。ナナクツに云われた言葉が、俺の中で逡巡していたのだ。無理をすべきではない。一見無防備に見える彼の立ち振舞いも、大人しくついていった後では分からないのだから。
だが、一つ妙案が浮かぶ。
俺は、ポケットの中の携帯端末を操作して、ナナクツへと電話を掛ける。努めて、タグモにその気配を察知されないように注意を払いながら。
「何処に行くんだ?」
「まぁ、何処だっていいんだがな……。ここの喫茶店で良いか。」
足を止めたタグモが入ったのは、新しい雰囲気のある、少し洒落た喫茶店。確か系列店であり、他の国に本社を置いている店だと記憶していた。
「み、……みとら……。」
「ミトゥーリって読むんだったかな。西方大陸の言語だから、俺もうろ覚えだけど。」
看板の文字に悪戦苦闘をしていると、タグモが代わりに読み上げる。文字はアルファベットに似ているが、それも一部のみで僅かにaやgに近い書体があるのみ。見方を変えれば、ハングル文字に見えなくもないが、タグモの読み方に習えば、アメリカ英語に近い体系をしているのが分かる。
「読めるのか?」
「いや、自信は無いけどな。……あ、いやミトゥーリで合ってるな、ほらソコ。」
彼が指差す先には、西方大陸語で書かれた看板の下に、慣れ親しんだカタカナでミトゥーリと書かれていた。
そんな雑談をしつつ、店内へと入る。やはり新しい店とだけあって、混み合っているようだった。
直ぐにタグモが、珈琲と軽食を購入し席へと向かう。俺も、珈琲に鶏肉のサンドイッチを買って彼の対面へと腰かけ、本題に入るように語り掛ける。
「まぁそんな急ぐなよ。時間はあるんだから。」
と、アイスコーヒーにガムシロップを注ぎながら、彼は余裕の態度を見せる。テーブルには、既に一つ空いたガムシロップの容器があるので、今彼が入れているのは二個めのようだ。
鼻歌混じりにストローで珈琲を混ぜて一口。タグモの眉間にシワが走った。
「使うか?」
俺は、盆の上にあるガムシロップを彼に差し出す。
「良いのか?」
「使わないし。」
「助かる。」
短い会話で、彼はガムシロップを受け取って追加投入。今度は大丈夫そうで、苦い顔をせずに飲めていた。
「苦いの駄目なのか?」
パンケーキにハチミツをこれでもかと掛けているタグモに、俺は珈琲をそのまま飲みつつ訊ねる。
「苦いのが嫌いというか、俺甘党なんだ。」
「じゃぁカプチーノとか頼めば良かったのに。」
「……珈琲が、有名って聞いたからさ。」
そんな取るに足らない会話をしていると、俺達が座っている座席の奥の、一人用の席に見知った顔が座った。ルルド邸で働く若いメイドさんである。彼女は俺に一瞥をくれると、頼んだのであろうカプチーノをゆっくりと飲み始める。
「珈琲は苦いもんだろ。」
「そうなんだけどよぉ……つか、雄輔もよくブラックなんか飲めるな。苦いだけだろ?」
「いや、流石に有名なだけはある。旨いよここの珈琲。」
と答えると、タグモは信じられないものでも見るような表情で、こちらをマジマジと見詰める。
「雰囲気もそうだけど、妙に大人びてるよなお前は。」
「珈琲に大人も子供も関係ないだろ。歳食っても飲めない人間はいるんだから。逆もまた然りってな。」
そんなもんかね、と呟きつつ彼はパンケーキを食べる。会話も無く、黙々と珈琲と軽食を嗜む様は、他の客からどう見えているのか。明るい店内の雰囲気には、いささか似つかわしくないだろう。やがて、彼がパンケーキを食べ終えると「さて」と切り出してくる。
「マチルド商会がどんな状況か、お前達は理解したな?」
良く通る声だった。まるで俺だけではなく、携帯端末の無効にいるハズの、ナナクツにも話しかけているような確りとした声音。その声と纏う雰囲気を目の当たりにすれば、ぞわりと総毛たつ感覚が俺を襲う。こちらの世界に来る直前の、車の運転をしていた友人が狙撃された時にも覚えた、明確な死のイメージに近しい警鐘が本能的に鳴り響いたのだ。
「俺が何故、あんな廃れていくだけの企業に協力しているのか……、疑問に感じもしただろう。」
彼は粛々と言葉を続ける。俺は恐怖を覚えつつも動けないでいた。まるで金縛りにでもあったかのように、体の自由が効かない。タグモから、目が離せないでいた。
「理由を語るのは簡単だが…異放者、俺と勝負をしよう。」
彼の口角が緩やかにつり上がる。
「俺に、お前の全力を見せてくれ。結果によっては、お前達が欲しがっているマチルド商会の恥部を渡そう。」
ナナクツに向けて喋っているのだろう。彼の眼は俺を向いてはいるが、俺自身を見てはいなかった。
「場所は上、巨樹の森だ。ナナクツと黒…いや、幸を立会人として、一対一の決闘をする。…というわけで雄輔、店を出るか。」
タグモが放つプレッシャーが消える。思わず俺は、大きく息を吐いた。額から玉粒の汗がしたっているのを感じつつ、席を立とうとしている彼に向かい、混乱した頭を整理しつつ質問を投げ掛ける。
「待てよ、いったいお前はなんの話をしているんだ。俺にはさっぱり分からない。マチルド商会にトラベラーだとか訳が分からない!」
結局整理なんて付かなかった。彼の放った異様な威圧感や、何故ナナクツが話を聞いていることに気が付いたのか。そもそも彼がどうしてナナクツを知っている?何故決闘なんていう話が出てくるのか、疑問は湯水のように溢れ際限がない。彼は混乱する俺を他所に、話を続ける。
「まぁ酷な話ではあるが、お前には数々の試練が今後降りかかり、それを越えてもらわなければならん。これはそうだな……その前哨戦と考えてくれ。」
なんの話をしているんだ。
その一言が切り出せない状態で、暫しの沈黙が流れる。急に大声を出してしまったためだろう、周りの客は、俺とタグモを奇異な瞳で眺めていた。
「着いてこい。」
まるで、それ以上の問答を否定するかのように、彼は席を離れていく。
どうするべきか、悩んでいると視界の中にいた私服のメイドさんが、電話のハンドサインを見せた。俺はそれで気が付き、ポケットから通話中の携帯端末を出して耳にあてがう。
『雄輔様。』
ナナクツの声を聞くと、ひどく安心した。彼の強さを理解しているからこそ、その声だけでもなんと心強いことか。
「ナナクツさん……。あれは、どういうことなんでしょう…話が急すぎて、訳が分かりません。」
すがるような心持ちだった。この世界の文明では、いまだに決闘の文化が残っているのは知識では理解していた。それでもまさか、自らが当事者になるというのは想像だにしていなかったのだ。
『……ひとまず、彼に着いていって下さい。話は私が着けます。』
ナナクツの言葉は信頼できる。そう信じて。
店を出れば、タグモに先程までの雰囲気はなく、普段通りの少しだけ斜に構えた14歳の少年として振る舞っていた。
話す内容も、別段おかしくはない。やれあの店が旨いだとか、そこの書店の店主はどうだとか。他愛もない話題を投げ掛けてくる。俺は背中を濡らす冷や汗を実感し、彼の言葉にまともな応答は送れてはいなかっただろう。
歩き始めて暫くすれば、街の郊外も抜けてククリの南部大型エレベーターの管理棟が見えてきた。せいぜいに、この地下空間に空気を巡回させる地上の施設や、街を照らす照明などの点検整備で月に二、三度使用されるこのエレベーターだけが、唯一ククリと地上を行き来できる手段である。エレベーターの広さは約五十平方メートルで、人員だけでなく車両の運搬も可能となっている。過去には専属の術者が魔法を使い運用していたが、現在は電気系魔法結晶を動力にした電動に切り替わっているので、事実上二十四時間毎日稼働することに成功した。
とは言っても地上は魔物の生活圏であり、人類が地上へと自発的に出ることはまずない。それこそ、先に出したような施設の点検などでしか利用されないのも頷ける事だ。それ以外で言えば魔物が大量発生したり、地上の岩盤をものともしないような凶悪な魔物が迫ってきた時の討伐隊の出撃などで、年に一、二回慌ただしい時もあるらしい。
しかしこの管理棟での仕事は、決して暇を弄べるものではない。彼ら職員は、地上の監視を担っている。遠視の術式という魔法で、地上の周辺を監視して、魔物の個体数や脅威の確認を徹底しなければならない。しかし遠見の術式は構築の難度が高く、維持も難しいためいわゆるエリート職の一つとして人気のある職業であった。
俺達は、管理棟のエントランスに入る。利用者の少ない施設であるため、些か殺風景ではあるが、隅々まで清掃の行き届いているため清潔感がある。
「少し待ってな。」
彼はそう言い残して、受け付け口へと進む。エレベーターを地下から地上に移動するには問題ないのだが、地上から地下に利用するには管理棟が貸し出す認識キーが必要であるため、利用者は受け付けに身分証を提示し、書面にサインしなければならない。
認識キーそのものにも声高の術式という魔法が掛かっていて、これは貸出期間を過ぎた認識キーの所在が、管理棟職員に伝わる仕掛けとなっている。例えば、地上でモンスターに襲われ鍵を紛失ないし、命を落としてしまっても鍵だけは回収できるようになっているのだ。
「さて、行くか。」
戻ってきたタグモは、まるでちょっとした買い物をするかのような軽い調子で、俺に声をかけてエレベーターを搭乗口に向かうので、俺も慌てて彼を追い掛けた。エレベーターの乗り込み口は、自動車も利用するため管理棟の外にある。入り口は二つあり、車が進入する大きなドアと、人が利用する物に別れている。既にエレベーターは、待っているので中へと乗り込む。ククリに初めてやって来て以来のエレベーターは、以前とは違う赴きがある。初めて乗った時は自動車で利用したため、些か無機質な雰囲気だったが、ガラス壁で仕切られた人専用のスペースでは、観葉植物が飾られたゆったりとしたスペースになっている。
扉が閉まれば、重たい駆動音が響きずしりと体に加重が掛かる。ククリから地上までの約百メートルを然程の時間も描けずに上がりきり、久々の地上へと出る。天然の夕日に眼をしかめつつ。エレベーターから出る。地面を隆起させることで現れるエレベーターは、ゆっくりとその姿を地中に戻していった。
「夜まで時間がない……少し急ぐぞ。」
彼は足早に歩き出した。俺も慌てて着いていくと、再び口を開いた。
「加速しかお前は使えないんだよな?」
「……あぁ。」
「そうか…。」
パチンと、タグモが指を鳴らす。すると周りの景色がぐにゃりと歪み、次の瞬間には、大きな木々が立ち並ぶ森の入り口になっていた。
その森は以前、俺が初めてこの世界にやって来た時の森に似た、巨大な針葉樹で形成されている。
「ユウスケ!」
不意に後ろから声を掛けられ、振り返れば笑顔の幸と、驚愕の表情を浮かべたナナクツがそこにいた。驚いたのは俺も同じだ。人類では、ナナクツしか運用できない空間跳躍の魔法を、タグモがヤって見せたのだ。その事実は、俺を混乱させるには十分な威力を誇っていた。
「よぉ、久しぶりだな。お前の真似してやってみたが………紛い物になっちまったよ。」
「……やはり、貴方でしたか…。」
タグモは、にこやかにナナクツに声を投げ掛け、それを受けた彼の表情には、並々ならない緊張が見てとれた。
「おっと、種明かしは全部終わってからだ。……じゃぁ雄輔、ぼちぼち始めようや。」
彼の右手が真っ赤に燃え上がり、その手の先には普段持っている大鎌が握られていた。それを俺は、大きな衝撃をもって目の当たりにしていた。その芸当は万人ができるものではない。稀有な才能と、想像を超える努力を課したとしても辿り着けるか否かの境地の一つで、転移魔法だ。
単独で転移魔法を運用できる人間は、ナナクツ以外に存在しないと思っていた。事実、人類全体の長い歴史においてそれを体現したのは彼をおいて他にはいない。それをまるで、息をするかのように平然とタグモはやって見せた。その現実だけで否応なく認識してしまう、彼は桁違いなのだと。
「私は認めるわけにはまいりません、彼は必要な存在です。貴方も…それは十分に理解しているでしょう?」
「だからこそ必要なんだ。生温い練習訓練とやらで強くなれるのか?死線を越えず、経験を積まずにモノになるか?それで十分なら、我々は苦労などしないだろうよ。結局お前たち生き物を強くする最も簡潔な手段は、脅威に曝されそれに打ち勝つことに尽きる。貴様自身もそうだったはずだろナナクツ?失う怖さ、亡くした慟哭。猛り狂う憤怒が闘争を招き、お前の血肉に業になった……老婆心で囲うな。同情で見失うな。水池 雄介には戦う覚悟と生き抜く力が必要だ。」
僅かな沈黙。タグモの話す内容は不明瞭で、俺を更に混乱させるばかりである。だが、その言葉には揺るがない意思が乗っていた。普段の飄々としたものとは違う、心の底からの本音がその言葉を紡がせているのが分かってしまう。
ナナクツの表情は僅かだが陰りが浮かぶ。普段は正にポーカーフェイスに優しい笑みをみせ、老齢ならではの落ち着きを漂わせる彼が、たとえ僅かでも表情を強がらせている。俺は何も云えず、こちらの世界で師と慕う彼を信じる外にない。無責任だとは自覚している。三十年手前まで生きていたくせに、この大事な局面で結局人任せ。情けない話である。それでいいのかと自問する。彼との会話を思い出し、その言葉の目的を探す。これはきっと、俺の問題なのだから。
彼は俺をトラベラーと呼んだ。素直に受け止めれば旅人。出生を東の国と名乗ったのだから、そう呼ぶのに違和感は少ない。が、わざわざそれで呼ぶ理由もない。であれば導き出される仮説は一つ。
「タグモは、俺が何処から来たかも知っているのか?」
「………ああ。」
「なら、戻る手段に心当たりはあるのか?」
僅かに、タグモの口元が上がった。
「吐かせて見せろよ。お前は知ってるんだろ?情報の強さを。」
彼の言葉は、勝負に乗るだけの十分な価値があるものだった。仲間達の、友人達の無念が晴らせるかもしれない。言いようのない高揚感と、高ぶる使命感を確かに覚えている。
ナナクツの表情に焦りが浮かんでいるのが、横目に見てとれた。彼も内心の葛藤は続いているのだろう。何かを言おうとしたが、思いとどまり口を噤んだ。
「ねえユウスケ。」
不意に、今まで静観していた幸が口を開く。彼女に視線を向ければ、少し不機嫌そうに口を尖らせて真っすぐに俺を見つめている。
「エレナと時雨が待っててくれてるから、早く済ませて!まだジョシカイの続きだったんだからあ!
緊張感は欠片もないその言葉に、俺は思わず肩の力がガクンと抜ける。別に彼女は、空気が読めない訳ではない。物を知らない故に、天然なことはあるが、それでも人の感情の機微には敏感に反応する。そんな彼女が、露ほどの不安もない眼差しで俺を見つめている。
「ユウスケは強いんだから、はぁやぁくぅ~」
参ったな、俺の勝ちを疑ってもいない。ここで、カッコ悪い所見せるわけにはいかないなと、先ほどとは違う形で、気を引き締める。仲間達の無念を晴らすのだと、良くない緊張と昂ぶり方をしていたのだろう。幸の言葉と態度はその感情を弛緩させ、俺に冷静さを取り戻させた。
「よし分かった、少しだけ待ってろ。すぐにエレナ達の所に戻させてやる!」
覚悟を決め、戦乙女の盾を身に包んで腰の刀の柄を握る。左手も鞘を握り込んで鍔を抑える形で構える。一番最初に彼と刃を交えた、模擬戦の時と時と同じ居合の構えをとる。鞘の中で、刃に蒼雷が奔る。
「そうだ、それで良い!」
大鎌を振るうと、その軌跡を沿って紅蓮の焔が沸き立つ。以前よりも明らかに火力が違う。十分な距離があるはずなのに肌を焼くような熱さを嫌にも感じる。
「死ぬ気で殺しに来い。でないと消し炭になるぞ」
「断る!」
真っすぐに叫ぶ。彼は驚いた様子を見せるが、すぐに怪訝な表情を浮かべた。
「俺は死ぬ気はないし、心持ちだけだとしても人の命を奪う覚悟などするものか!それが俺が俺たらしめる、俺の譲れない覚悟だ。」
人の死など見たくない。戦場カメラマンとして、戦争を、人が無慈悲に不条理に死ぬ様を止めたいとカメラを手に取り、数々の戦場を渡り歩いた俺なりの覚悟。それは世界が変わろうが不変で、覚悟がないと嘲られようが、理想論だと笑われようがそのために刀を手にしたのだ。
「甘い考えで、守り切れると思うなよ。」
「だから覚悟なんだ。全部知っているみたいな態度で、上からモノを言うなよ…俺なりの意地を見せてやる。」




