第3話 歴史の波と小さな家族
1999年4月2日、金曜日。
カーテンの隙間から差し込む朝陽の眩しさで、ゆっくりと目が覚めた。
アラームの無機質な電子音に急かされることなく、自らのバイオリズムに従って自然に訪れる覚醒。前世では睡眠薬の手放せなかった自分にとって、それはひどく懐かしく、そして新しい感覚だった。
ベッドのシーツをめくって身を起こす。首筋の痛みも、胃の重さもない。立ち上がって深呼吸をすると、少し冷たい朝の空気が肺の奥まで淀みなく満ちていき、血液が全身を勢いよく巡り始めるのがわかる。
洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗う。鏡に映る顔立ちには、昨日のような戸惑いの色はなく、すっきりと冴え渡っていた。
着替えてから玄関のドアを開け、ポストに投函されていた朝刊を抜き取る。日本経済新聞と、一般紙の2紙。インクの独特な匂いが鼻をくすぐる。
キッチンに立ち、朝食の準備に取り掛かった。
トースターに厚切りの食パンを放り込み、手挽きのミルでコーヒー豆を砕く。ガリガリという小気味良い音と共に、ハンドルを通して豆が割れる感触が手に伝わり、深くローストされた香ばしい匂いが空間に広がっていく。やかんでお湯を沸かし、ペーパードリップでゆっくりと抽出する。湯気に乗って立ち上る香りを楽しみながら、静かな時間を味わう。
焼き上がったトーストの表面で黄金色の有塩バターがとろけていくのを確かめ、マグカップに琥珀色のコーヒーを注ぐ。
ダイニングテーブルにつき、静かな朝食をとりながら、俺は2紙の新聞を広げた。
まずは日本経済新聞を開き、経済面から目を通す。
見出しを追い、主要な経済指標と株価の現在値を確認していく。
ダウ平均、NASDAQ、そしてS&P500。アメリカの株式市場は、現在まさに歴史的な強気相場の真っ只中にある。IT革命という熱狂が世界中を包み込み、米国株は連日のように最高値を更新し続けている。シスコシステムズ、マイクロソフト、AOL。名だたるハイテク企業の株価は、まるで重力が消失したかのように右肩上がりだ。
記事の解説欄には、ウォール街のアナリストたちによる強気なコメントが踊っていた。「ニューエコノミーの到来」「オールドエコノミーは終わり、ITが全てのルールを変える」「米国株のインデックスを買って寝ていれば、永遠に資産は増え続ける」といった、バブル期特有の陶酔に満ちた言葉の数々。
俺はコーヒーを一口飲み、小さく息を吐いた。
未来を知る目から見れば、この熱狂がいかに危険な崖っぷちであるかは火を見るより明らかだ。
確かに、アメリカのIT産業は今後世界を牽引していく。インターネットがインフラとなり、生活の全てを塗り替えていくという方向性自体は間違っていない。しかし、株価というものは実態経済の成長速度をはるかに追い越して過熱し、必ずどこかで強烈な調整機能が働く。
ちょうど1年後、2000年の春。ドットコム・バブルは弾け飛ぶ。
NASDAQは最高値から一転して大暴落し、そこから数年かけて多くのIT企業の時価総額は見る影もなく吹き飛ぶことになる。生き残る企業でさえ、株価が元の水準に戻るには果てしない時間が必要だ。さらにその先には、同時多発テロによる地政学的なショック、そして2000年代後半には100年に一度と言われる未曾有の金融危機が控えている。
もし今、記事にあるような素人投資家たちの言う通りにS&P500などのインデックスに手元の資金を全額突っ込み、「長期投資だ」と放置したとしよう。
結果はどうなるか。バブル崩壊の直撃を受けて資産は半減。その後も度重なるショックに揉まれ、買値を回復するまでに実に10年近い歳月を要することになる。投資の世界において、この時期からの10年間は「失われた10年」と呼ばれる暗黒期なのだ。
米国のITバブルもいずれ弾ける。俺の戦場は、自らの運命を市場のうねりに丸投げするインデックス投資のような鈍行列車ではない。
経済面の隅々まで目を通し終え、マグカップを置いてから、次に一般紙の社会面を開いた。
そこで、ページをめくる手がピタリと止まった。
紙面の3分の1を割いたカラー写真付きの大きな特集記事。見出しには『少子化対策特別婚姻法、施行から5年。新しい家族のカタチは定着したか』と太字で打たれている。
昨晩のコラムで存在だけは確認していたパラレルワールドの法律。その具体的な運用実態に迫る、詳細なルポルタージュだった。
活字を追い、内容を頭の中に取り込んでいく。
当然ながら、誰でも自由に家族を増やせるわけではない。記事には、特婚法を適用するための極めて高いハードルが明記されていた。
第一に、莫大な資産と継続的な高収入の公的証明。全ての妻と、そこから生まれる子供たちに、平均水準を大きく上回る生活と高度な教育を保障できるだけの圧倒的な経済力が前提条件として要求される。
第二に、「正妻」や「第一夫人」といった序列を設けることの厳格な禁止。法的には全ての妻が完全に平等の権利を持ち、財産分与や相続においても一切の差違は認められない。
そして第三に、ここが最も重要な点だが、「既にいる妻全員の、自由意志による完全な同意」が必須条件となっている。
誰か一人が反対すれば、新しい妻を迎えることは法的に不可能になる。金に物を言わせて女性を囲うような前時代的なものではない。全員が心から納得し、互いを尊重し合える関係性を構築できなければ、そもそも制度として成立しない仕組みになっているのだ。
記事の中でインタビューに答えている弁護士も、「この法律を利用できるのは、単なる大富豪ではなく、複数人の人間関係を円満に調整できる極めて高い人間的器量を持った人物に限られる。人間の醜い部分を浮き彫りにする制度にもなり得るため、国による審査は年々厳格化されている」と分析し、実際に適用要件を満たせずに申請が却下されたケースも多数紹介されていた。
なるほど、よくできた法律だ。
遺産目当ての骨肉の争いや、ドロドロとした愛憎劇を防ぐための強固な法的セーフティネットが何重にも張り巡らされている。
俺はもう一度マグカップを手に取り、冷めかけたコーヒーを喉に流し込みながら静かに思考を巡らせた。
資金面での条件は、机の引き出しにある通帳の残高でクリアしているどころかお釣りがくる。問題は、記事にあるような「全員が尊重し合える関係性」を築けるかどうかだ。
この力と法の仕組みを利用して、誰も悲しませない、誰も疎外感を感じない、完全で温かい居場所を創り上げる。俺にとってこのパラレルワールドの法律は、かつて取りこぼした「家族」という概念を、最高の形で再構築するための強力なツールになる。
ふと、視線を上げた。
広いダイニング。高級な調度品が整然と並んでいるが、そこには俺の呼吸音と、壁掛け時計の秒針が進む音以外、何の物音もしない。
家族を創る。そう決意したところで、今日明日で突然伴侶が現れるわけではない。
焦る必要はない。だが、この無機質で静かすぎる空間に、何か一つ、温もりのある生きた脈動が欲しかった。
「……飼うか」
独り言が、部屋の空気に溶けた。
密かに犬を飼いたいという願望があった。
フワフワとした毛並みの、小さなポメラニアン。陽気で好奇心旺盛なあの丸い瞳を見るたびに、心が安らぐのを感じていた。
だが、多忙を極める生活において、ペットの世話など不可能だった。家を空けることが多く、シッター任せにするくらいなら最初から飼わない方が犬のためだと言い聞かせ、ペットショップのショーウィンドウの前を足早に通り過ぎる日々。その願いは心の奥底に封じ込めていた。
今は違う。
時間はいくらでも作り出せるし、環境は完璧だ。
俺は立ち上がり、リビングの電話台の下から分厚いタウンページを引っ張り出した。
パラパラとページをめくり、「ペットショップ・ブリーダー」の項目を探す。
ただのペットショップではなく、優良な環境で血統管理をしている都内の専門ブリーダーが良い。親犬の飼育環境にも気を配り、社会化期を適切に過ごさせている場所。いくつか目星をつけ、固定電話の受話器を取ってプッシュボタンを押す。
数回のコールの後、落ち着いた年配の女性の声が出た。
「はい、高輪ケネルでございます」
「突然のお電話で失礼します。西園寺と申します。そちらで、ポメラニアンの仔犬の見学は可能でしょうか」
丁寧な口調で要件を伝える。
相手はすぐには承諾せず、現在の住環境、留守にする時間の長さ、過去の飼育経験など、いくつかの質問を的確に投げかけてきた。犬を単なる商品としてではなく、命として大切に扱っている証拠だ。
飼育環境が千代田区の広いマンションであること、日中の世話が十分に可能であること、緊急時に連れて行ける動物病院の目星もついていることなどを端的に説明すると、相手の声色が安心したものに変わった。
「本日の午後でしたら、ちょうど生後2ヶ月の元気な子たちをご覧いただけますよ。お車でいらっしゃいますか?」
「ありがとうございます。では、午後2時に伺います。移動はタクシーを使いますので、キャリーバッグはこちらで用意して向かいます」
「お待ちしております」
通話を終え、受話器を置く。
口角が自然と上がっているのがわかる。
時計を見る。午前9時前。
今日やるべきことは多い。まずは秋葉原だ。
トーストの最後の一口を飲み込んだ。
食器をシンクに下げ、俺は外出の準備を整えるために寝室へと向かった。




