表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い霧の向こう ― 茶馬道を北上する血の臭いが行きつく先は、白い瞳の少女が過去を失った場所だった ―  作者: 鬼丸 千


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/45

第42話 それぞれの選択(2)

 茶器の盆を抱えて、芳寧ファンニンが部屋に戻ると、克己クジがふり返って笑顔になった。

 午後にあれこれと購入した物が、寝台の上に山積みになっている。


「父さんたら……。今夜は床で寝るつもりなの?」


 あきれ顔で問うと、「ついつい買い過ぎた」と克己クジが高らかに笑った。


 円卓の上に盆を乗せ、芳寧ファンニンは自分の寝台に腰を下ろした。

 ジャン府の倒座房とうざぼうにあった敷布と比べると、お世辞にも上等とは言えないが、乃柯里村の茶発チャファ馬店の寝具よりは、はるかに柔らかい。


 巍山は、やはり交易で栄える街だ。

 乃柯里村よりも裕福で、規模も大きい。

 それだけ人の出会いや別れといった物語も、複雑なのだろう。


 芳寧ファンニンは、母のことを思った。


 ふとしたきっかけでまぶたの裏に現れた白い霧の光景。


 荷車の上で抱きしめてくれていた筠溪ユンシという女性が、芳寧ファンニンの母なのか。

 家族三人は、ジャン家から逃げようとしていたのか。

 そして、その母は今──ジャン府にいるのか。


 心にまとわりついて離れないもやのような葛藤を感じつつも、芳寧ファンニンは自分でも意外なほど冷静だった。

 彼女は十五になったのだ。もう子供ではない。

 感情のまま問い詰めてはならない問題があることも、理解している。


 克己クジが、巍山行きを不自然に断った理由。

 芳寧ファンニンを巍山から引き離そうとした理由。

 克己クジが腰牌なしで、ジャン府に入れた理由。

 

 答えとなる手がかりは、あの老夫人の言葉にあるように思えた。


『……白い瞳の孫など。忌まわしい』

『誰にも言うんじゃないよ』


 あのジャン府の空気を肌で感じ、婿選抜会の殺伐たる雰囲気を目の当たりにした。

 想像を超える確執が、芳寧ファンニンの届かぬ過去に横たわっていたのかもしれない。


「おい、どうした」


 膝に置いた手をじっと見つめている芳寧ファンニンに、克己クジが声をかけた。

 わかったぞ、と膝を叩く。


「あの陸峰ルフォンという若者と別れがたいんだな?」


 父さんときたら!

 娘の私は問いただしたい気持ちを押さえているというのに!


 つい、いたずら心が湧いた。


「父さんこそ、巍山にはいい思い出があるんじゃないの?」

 

 妙なことを聞くんじゃないと叱られるかと思いきや、克己クジが素直にうなずいたから、芳寧ファンニンはかえって驚いた。


「そうだな。そうかもしれんな」


 思い切って聞いてみよう。

 今夜ここでなら、はぐらかさずに答えてくれるかもしれない。


「母さんは……私を生んで、がっかりしてなかった?」


 その途端、克己クジが弾かれたように芳寧ファンニンに駆け寄った。


「おいおい、なにを馬鹿なことを言う!」


 娘に声を荒立てない克己クジが、珍しく一喝する。


「がっかりなどするわけがない!」


「だって──」


 芳寧ファンニンは、いつの間にかこぶしを握り締めていた。


「母さんのことを、私は何も知らないから」


 幼い頃から気づいていた。

 母の話になると、克己クジの表情に影が落ちることに。


 母さんの名前も教えてくれない。

 病で死んだと聞かされていた。

 母さんに関する物は、遺品すら何ひとつない。

 子ども心におかしいと感じつつも、触れてはならない領域だと心が警告していた。

 

 芳寧ファンニンの肩をぽんと叩き、克己クジが窓際へと歩く。

 月が出ていた。

 大きな克己クジの身体が、月の光を遮る。

 幼い頃からずっと、芳寧ファンニンを守ってくれた広い肩──。


「母さんは、お前を愛していたよ」


 克己クジが、吐き出すように言った。


「……こんな目なのに?」


 悲しくもなかったのに、なぜ涙が出て来るんだろう。


「母さんは、翡翠ひすいのように美しい目だと言っていた。父さんも同感だ」


 夜はしっとりと更けていく。

 石畳を走っていく足音が聞こえ、遠ざかっていく。

 隣の客室から、茶器の重なる音が聞こえる。


 そうかもしれない。でも──。

 

「この目が翡翠ひすいでなく、黒檀こくたんだったら、父さんは母さんと別れることなく、『助役』になれたかもしれないのに」


 克己クジは、窓の外を見ていた。

 満月が、墨を溶かしたような空にぽっかり浮かんでいる。

 乃柯里村と変わらない美しい月。


「父さんは──」


 耳を澄ましていなければ聞こえないほどの声で、克己クジは言った。


「お前と生きる道を選んだ。瞳の色など関係ない」


 だんだんと芳寧ファンニンの視界がにじんでいく。


「お前は愛する人との間に生まれた、この世でただ一人の大切な娘だ」


「私も──」


 ふり返ろうとしない克己クジの背中に、語りかける。


ジャン府の娘より、乃柯里村の娘がいい」


 どんなに小さな声でも、きっと克己クジには届いている。


「父さんと母さんの娘であることに、変わりはないもの」


 きっと、窓から吹く風が冷たいのだろう。

 克己クジが鼻をすすった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ