表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白い霧の向こう ― 茶馬道を北上する血の臭いが行きつく先は、白い瞳の少女が過去を失った場所だった ―  作者: 鬼丸 千


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/45

第41話 それぞれの選択(1)

 ジャン府を出た後、揚易棠ヤン・イタンの従者は虎街に向けて出発した。

 揚易棠ヤン・イタンは、失踪した。

 昨朝、置き手紙だけを残して姿を消したままだ。


 状況からして、故郷に戻っているとは考えにくい。

 一刻も早く、この緊急事態を家主に報告しなければと、哀れな従者は額に冷や汗を浮かべ、病人のように青い顔で馬を飛ばして去っていった。


 克己クジ芳寧ファンニンは、巍山の宿をとった。

 ジャン府を出たのは昼過ぎで、すぐ乃柯里村に発ったとしても、山賊が出没する峠を真夜中に越えることになる。


 不安そうな芳寧ファンニンの意を察した陸峰ルフォンが、巍山に滞在している鏢局に尋ねまわり、克己クジ芳寧ファンニンを乃柯里村まで護衛してほしいと話をつけてくれた。

 陸峰ルフォンの気遣いに、克己クジも大喜びだ。


「口をきいてくれた礼だ。宿代は俺が出す。お前も泊まっていけ」

  

 克己クジは、半ば強引に陸峰ルフォンを宿に連れ込んだ。

 

「乃柯里村もいいが、巍山の茶葉や茶器は格段に質がいい。この機会だ。いくつか調達しておこう」

 

 そう言って、克己クジは午後いっぱい、二人を連れまわした。


 まっすぐに伸びる石畳の道。

 三日前、陸峰ルフォンと歩いた道だ。


 相も変わらずにぎわう石畳の街路は、いろいろな民族衣装でごった返している。

 波のように、遠くまでうねって続く灰瓦の家屋。

 大声で交渉している市場は、芳寧ファンニンが初めて嗅ぐ薬草であふれていた。


「ここが、拱辰楼(南門の城楼)だ」


 克己クジが指さしたのは、城門の上にそびえる楼閣だった。

 黒瓦がまぶしい重層屋根に、首をのけぞらせて見惚れた芳寧ファンニンは、思わずよろけて陸峰ルフォンに支えられる。


 こほん、と克己クジの咳払い。


「腹が減ったな。飯にしよう。巍山の名物といえば──」


一根面イーゲンミェン


 陸峰ルフォンが答えると、克己クジが目を丸くした。


「なんだ、詳しいじゃないか。それも当然だな。お前は旅する鏢師ひょうしだ」


 旅する鏢師──。その言葉を聞いた瞬間、それまでずっと笑顔だった芳寧ファンニンの胸が、ちくりと痛んだ。彼女が乃柯里ノカリ村に帰るように、彼も鏢局に帰る。深く考えたくなかったその瞬間が近づいていた。


 克己クジが「ここがうまい」と案内してくれた場所は、陸峰ルフォンタン頭儿を誘い、巍山に三日間だけ滞在させてもらうための許可を得ようと入った食事処とは別の場所だった。


 椀に入っているのは、一本の長い麺。

 鶏ガラと火腿で出しをとった琥珀色の清湯チンタンからは、濃厚な熟成香が漂っている。付け合わせに出てきた歯ごたえある茸と筍の醤油煮が、最高にうまい。


「父さん、どうしてこんなお店を知ってるの?」


 芳寧ファンニンがそう訊くと、克己クジの箸が一瞬止まった。


「……人に聞いたんだよ。ジョウさんだったかな?」


 そこから先は、うまい具合に話をそらされた。


 食事処を出た後は、市場を回った。


 茶葉や茶器を見て回り、かんざしを眺め、三人でサンザシ飴を舐めながら、実は花祭りの夜に助けてくれたのは陸峰ルフォンだと克己クジに打ち明けた。

 克己クジは小さな目を丸くして、『これまでお前呼ばわりして悪かった』と、陸峰ルフォンが顔を真っ赤にするまで、何度も何度も頭を下げた。

 

 それから三人は茶店に入った。

 山小屋での救出劇から巍山に向かう途中で見た茶樹王の話を、芳寧ファンニンが中心になって、二人で克己クジに話して聞かせた。


 揚易棠ヤン・イタンのことは──何も話さなかった。


 現場で房飾りを拾った芳寧ファンニンも、事件を衛門に通報した陸峰ルフォンも、口裏を合わせていたわけでもなく、ただ単に同じ気持ちだった。

 

 揚易棠ヤン・イタンには、友として伝えるべきことを伝えた。

 あとは、彼の選択次第だと。


 宿に戻る途中、荘厳な朱塗りの門の前を通った。

 祈りを捧げている人々の姿がある。

 臓腑に染みわたる低い読経の調べが、空気を震わせている。


 文廟の前で、三人は静かに手を合わせた。

 それぞれに想いを馳せながら──。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 宿の店小二(給仕)から夜半に飲む茶をもらい、部屋に戻る途中で、ふと陸峰ルフォンの姿が目に入った。

 芳寧ファンニン克己クジが泊まっている小部屋とは中庭をはさんだ向かい側──彼が泊まっている四人部屋の前である。


 長椅子に腰を下ろし、何かを磨いているようだった。

 提灯の灯りに、きらきらと光っている。

 少しためらったが、芳寧ファンニンは近寄った。


 気配に気づいて、陸峰ルフォンが顔を上げる。

 切れ長の瞳を和らげて、芳寧ファンニンに微笑んだ。

 

「明日は早い。休んだ方がいい」

「わかってる」


 言いながら、陸峰ルフォンの隣に腰を下ろす。

 膝の上に、そっと茶器を置いた。


「それは……あぶみ?」


 芳寧ファンニンが訊くと、陸峰ルフォンが作業の手を止めた。

 うなずき、光沢のあるあぶみ芳寧ファンニンに見せる。


あぶみは乗馬の命綱だ。整えておかないと」

「……吐蕃王国まで行くのよね?」

「ああ。タン頭儿と合流する」

「吐蕃王国まで、どれくらいかかるの?」

「三か月だ」

「到着したら、何をするの?」


 陸峰ルフォンが、ふっと笑う。


「今日は、やけに質問攻めだな」


 明日からは、何も聞けなくなるんだから──。


「あの手紙のこと、気にならない?」

「手紙?」


 芳寧ファンニンが身じろぎすると、膝の上で茶器が鳴った。


ヤン公子が『無駄にあがいた』って……どういう意味かしら」


 さあな、と陸峰ルフォンは首を左右に振る。


ジャン府で起こした騒動のことかもしれないし、それ以前の生き方かもしれない。本人に訊くまで、俺たちには謎のままだ」


 夜は、次第に濃くなっていく。

 あぶみなら、とっくに磨き終えていた。

 彼女の姿が中庭に現れないかと、期待していただけのことだ。


 芳寧ファンニンに訊きたいことなら、陸峰ルフォンにもあった。


 三日前、揚易棠ヤン・イタンに確認したいことがあると言っていた。

 ──彼の気持ちは、訊けたのか?


 昨夜、『私の母のように自由を与えた』と言っていた。

 ──その言葉の意味は?


 だが、訊いたところで何になる。

 彼女との縁は、明日で終わるというのに。


「……もう寝るね。おやすみなさい」


 芳寧ファンニンが、長椅子から立ち上がった。

 茶器の乗った盆を抱えると、中庭に現れた時のように静かに去ろうとする。


芳寧ファンニン!」


 陸峰ルフォンが、呼んだ。

 芳寧ファンニンが、ふり返る。


 二人は、そのまま声もなく佇んでいた。

 ただ見つめ合う。

 月の白い光が、中庭に影を落としていた。

 背丈の違う影が二つ、石敷きの敷居に伸びていく──。


 店小二(給仕)の少年が、廊下をばたばたと駆けてきた。

 その足音に、止まっていた時間がまた動き出す。

 陸峰ルフォンが、小さく咳払いした。


「……揚易棠ヤン・イタンが、言っていた。『きみに悪い事をした』と」


 ゆったりと、芳寧ファンニンは頷いた。

 期待していた言葉とは違っていたけれど、それも彼らしい。

 あえて明るく笑ってみせよう。


ヤン公子みたいに、何も言わずに消えたりしないでよ。お互いの旅立ちは、ちゃんと見送らないと」


 陸峰ルフォンが、力強くうなずく。


「もちろんだ」


 できるだけ自然な笑顔を作る。

 いつもより朝は早く訪れそうだ、そう思いながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ