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白い霧の向こう ― 茶馬道を北上する血の臭いが行きつく先は、白い瞳の少女が過去を失った場所だった ―  作者: 鬼丸 千


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第31話 手ごわい相手

「彼女が、姜善宝ジャン・シャンバオ。当代の女当家だ」


 陸峰ルフォンが、ひとり言のように言った。

 

 遠目にもわかるほどの静かな圧がある。

 声の落ち着きからして、三十代も半ばだろうか。

 昨夜の陸峰ルフォンの話では、彼女の娘が十五歳の姜慧思ジャン・フイス

 今回の選抜会の主役であるらしいが──。


 ジャン家の女当家──姜善宝ジャン・シャンバオ──がくるりと背を向け、中堂に入っていく。

 彼女が腰を下ろすと、中堂の空気までわずかに沈んだ。

 その両脇に控える女たちが、静かに座を取る。


「これより口頭試問を行います」


 先ほど口上を述べたモン管家が、再び進み出た。


「まず、お付きの皆さんには下がっていただきます。回答者への助言は禁止です。廂房しょうぼうの軒下で待機を」


 布帽を目深にかぶった克己クジも、東の廂房しょうぼうの軒下に引っ込む。

 日差しと風と視線にさらされた十一人の公子だけが、広場に残された。


「問題は全部で三問。まずは、それぞれ筆答していただきます」


 その場での思考力と筆致を見る試験なのだろう。

 子息たちが、平机の上の筆記用具を見やる。

 やれやれという吐息がもれた。


「回答時間には制限があるので、ご注意ください。それぞれの答えを精査し、口頭試問に移ります」


 緊張感がただよう。


「第一問」


 モン管家が声を張り上げた時、広場の端で太鼓が鳴った。

 予期していなかった芳寧ファンニンは、驚いて飛び上がる。

 陸峰ルフォンが、ふっと笑った。


「あなた方が炒った茶葉の特徴について、香り、色、形の三点で述べてください。また、仕上がりを左右した要因を一つ挙げること」


「なるほどね」

「なるほどとは?」


 小声でつぶやいたのに、陸峰ルフォンがすかさず反応した。


「茶の基礎知識を問う質問だわ。観察力も問われてる」


 茶葉を指先で転がし、香りを確かめる者。

 眉間に皺を寄せ、空を仰いで思案する者。

 揚易棠ヤン・イタンだけは迷いなく筆をとり、静かに答えを書きつけている。


「茶葉を炒ったことがない公子にとっては、救いになる問題よ。製茶の技術はなくとも、失敗を分析する力があれば挽回も可能だわ」


 陸峰ルフォンが、目だけで笑った。


「やるじゃないか。きみなら合格だな」


 からかわれても、もう怒りは感じない。

 陸峰ルフォンとの会話に慣れてきた証拠だろうか。

 

 紙の上を、筆が走る音だけが響く。

 頬杖をついたまま、筆を取ろうともしない者が数人いた。

 誰もが息を呑むように見守っている。


 中堂のジャン家の女性たちだけが、茶を口にしながら余裕の笑みを浮かべていた。


「そこまで」


 モン管家の合図で、使用人たちが解答用紙を回収していく。

 回収された紙のなかで、彼のお眼鏡にかなう物だけが、上座のジャン家の女性たちの手に渡っていくようだ。

 無回答の者もいるのかもしれない。


「第二問です」

 

 子息たちの顔が、一斉にモン管家に向けられる。


「雨季における茶の輸送で注意すべき点を二つ、理由と共に述べてください」


 陸峰ルフォンが、芳寧ファンニンの方に身体を傾けた。


「この問題のねらいは?」


 やりとりを楽しんでいるような口調だ。


「これは……実務経験がないと答えにくいと思う。判断力も試されてるわ。仕事の内容がわからなければ、中身のある答えは出せない」


「なるほど、おもしろい」


 中堂では、提出された答えを精査しているようだ。

 ジャン家の女性たちも、すべての回答に目を通している。

 彼女たちの指先が答案をめくるたび、誰かの運命が静かに決まっていく。


 二問目の解答用紙が回収された。残るはあと一問だ。


「第三問。茶商にとって重んずべき三つの徳とは?」


 芳寧ファンニンは、陸峰ルフォンの腕をつついた。


「この問題は、あなたが答えてみてよ」


 却下されるかと思ったが、陸峰ルフォンは考えているようだ。

 しばらくして、こんな答えが返ってきた。


まことしんつつしみ


 いい答えだと、芳寧ファンニンは思った。

 試されている茶商の息子たちは、果たして──?


 すべての解答用紙が回収され、中堂に運ばれた。

 さらさらと紙が触れ合う音。

 こそこそと響くささやき声に、嘲笑めいた声も混ざる。


モン管家」


 凛と響く姜善宝ジャン・シャンバオの声に、モン管家が一礼して中堂へと入っていく。

 

 ほどなくして、三人の侍女とともにモン管家が出てきた。

 侍女たちの手に握られているのは、解答用紙のようだ。

 

 モン管家が、再び声を張り上げた。


「これより、退場していただく者の名を発表します」


 みんなが顔を見合わせる。


「桜山の公子、木原の公子、池房のシエ公子」


 呼ばれた公子たちの平机に、侍女たちが解答用紙を置いていく。


「どういうことだ!」

「なぜ、私が退場に?」

「いったい、どうして?」


 中堂の奥で、誰かが激しく椅子を引く音がした。


「あなた達の解答が、お粗末だからよ!」


 聞き覚えのある声──。


「茶商の徳すら語れない。私の下人になる資格もないわ」

 

 衣擦れの音がし、ひとりの娘が姿を現した。

 彼女がまとうのは、淡い桃色の絹衣。

 頭頂で結い上げた漆黒の髪。


 午前中、中庭で出会ったあの娘が――姜慧思ジャン・フイス


 その姜慧思ジャン・フイスが、中堂を出て広場へ降りてきた。

 芳寧ファンニンのいる西の廂房しょうぼうへ、迷いなく歩いてくる。

 その後ろを、二人の侍女が小走りで追う。


(いったい……何のつもり?)


 周囲の者たちが、ざわついた。

 子息たちがふり返る。

 陸峰ルフォンが、音もなく芳寧ファンニンの前に立った。

 その背に、わずかな警戒の気配が走る。


「どきなさい。そこの小僧の意見を聞きたいだけよ」


 陸峰ルフォンの背中の向こうから、姜慧思ジャン・フイスのあの棘のある声が聞こえた。


「そこの──白い瞳の下人。あなたよ」 


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