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白い霧の向こう ― 茶馬道を北上する血の臭いが行きつく先は、白い瞳の少女が過去を失った場所だった ―  作者: 鬼丸 千


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第30話 姜家の女たち

 芳寧ファンニンを睨みつけるその娘。

 大きな二重の瞳には、隠そうともしない嫌悪が宿っていた。

 あからさまな敵意を感じ、思わず視線をそらしたくなる。


 粗末な身なりの芳寧ファンニンとは対照的に、彼女の装いは眩しいほど洗練されていた。


 淡い桃色の絹衣には、春霞のような金糸の刺繍。

 豊かな髪は柔らかく頭頂で結い上げ、さらりと背に流れている。

 控えめな花模様のかんざしさえ、確かな格式を物語っていた。


 明らかにジャン家の娘だ。侍女を三人従えている。

 ──なぜ、こんな場所に?


 石燈籠の影から現れたようだった。

 まるで、こちらを窺っていたかのように。


「その白い瞳、縁起でもない。見えてるの?」


 無礼なことを平然と口にする。


「答えなさい。ここで何をしているの?」


その時──


「医者を呼んでくれ!」


 背後から陸峰ルフォンの声がした。

 娘が、そして近くの侍女たちも、声の主へと視線を向けた。


 茶樹の茂みに立つ長身の若者。

 彼は、ぐったりと脱力しきった男を背負っていた。


 大股で近づいてくる。

 陸峰ルフォンの肩から垂れた男の手が、左右に揺れる。

 その男の白い横顔がちらりと見えた。

 こめかみには、どす黒い血の跡──。


 侍女たちが悲鳴を上げた。


「いいから早く医者を呼べ!」


 陸峰ルフォンに怒鳴られ、二人の侍女が駆けていく。


「お前は、どこの家の人間?」

 

 美しい娘が、冷ややかな声で言った。

 このような事態を前にしても、声にまるで動揺がない。


ジャン家の敷地をうろつくなんて」


 陸峰ルフォンは答えなかった。

 娘の前を素通りし、歩いてきた道を引き返そうとする。

 芳寧ファンニンも後に続こうとした。


「無礼な!」


 つかつかと娘が近づき、いきなり芳寧ファンニンの頬を打った。

 弾けるような音とともに、首が右へなぎ払われる。


 陸峰ルフォンが立ち止まり、ふり返った。


 突然のことで、芳寧ファンニンは声も出ない。

 叩かれた頬が熱いのは、痛みのせいか、陸峰ルフォンに見られた恥ずかしさからか。

 

 芳寧ファンニンは、娘を睨み返した。

 叩かれた頬を押さえもせず、白い瞳で射るように睨んだ。

 頬を押さえれば、相手の不条理な仕打ちに蓋をしてしまう気がした。


「なによ、その目は」


 再びふりかざされる娘の右手。

 陸峰ルフォンが動くより先に、芳寧ファンニンが娘の手を両手でつかんだ。


「なっ……!」


「あなたは、どこの家の人間?」


 芳寧ファンニンの声が、低く響いた。 


「こんなにきれいな茶畑で、醜い心をさらしてる」

「な……なんですって?!」


 陸峰ルフォンが、ふっと笑った。


「行こう。怪我人がいる」


 芳寧ファンニンは娘の手を払いのけ、陸峰ルフォンの後を追った。

 娘は、口を開けたまま二人を見送っていた。


 ふと我に返り、傍らの侍女を思い切りひっぱたく。

 哀れな侍女は、その場でひざまずいた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 正院に面した広場は、口頭試問が行われる会場だ。

 午後三時。

 婿選抜会に集まった茶商の子息は、総勢十一名いた。


 向かい合わせに並んだ平机に、それぞれ腰を下ろしている。

 平机には、午前中に各自で炒った茶葉の皿が乗っており、今その茶葉の仕上がりを、ジャン家のモン管家の指示で茶師たちが精査しているところだった。


 首を横に振ったり、縦に振ったり。

 茶葉を口に含んだり、匂いを嗅いだりしながら、台帳に記していく。


 芳寧ファンニン陸峰ルフォンは、ほかの従者たちとともに、垂花門すいかもんの奥──正房脇にある廂房しょうぼうの軒下にいた。


「なんだか……人数が減ってる気がする」


 芳寧ファンニンが、子息たちを数えながら言った。

 周囲を見回しながら小声で言う。


「従者の数も、今朝より少ないんじゃない?」


 腕組みしたまま、陸峰ルフォンが答えた。


「すでにふるいにかけられているからだ」

「どういうこと?」

「昨日のうちに、肖像画によって半数が門前払いを食っている」

「え……。見た目も重視されるの?」

「血脉と評判を重んじるジャン家だからな」


 盗み聞いたらしい隣の従者が、小さく頷いている。

 

「肖像画で絞った後は、贈り物の品定めだ。人数はさらに減る。さっきの怪我人を合わせ、本来は十二人が口頭試問を受ける手はずだった」


 確かに、平机は十二並べられている。

 主のいない空席──。


 陸峰ルフォンが助けたのは、川合の茶商の息子だった。

 今朝早く、後頭部を鈍器で激しく殴られたらしい。

 命に別状はないが、選抜会は棄権することになったという。


 芳寧ファンニンは、揚易棠ヤン・イタンに視線を移した。

 克己クジが、お付きの従者とともに彼の背後に立っている。

 表情は読み取れない。


 やがて、茶葉の精査が終わった。

 みんなの視線が一斉に上座へと移る。

 

 そこには、中堂があった。

 茶商の子息たちが座っている広場より数段高い。

 二重の瓦屋根をいただき、朱色の柱が美しい建物だ。

 

 日差しを遮る中堂の屋根の下には、侍女も含め、九名ほどの女性がいた。ジャン家の女性たちだ。実にきらびやかな光景だった。

 侍女でさえ上等な身なりをしている。


 屋外に座らせられている子息たち。

 高さのある中堂から見下ろしているジャン家の女性たち。


 権威の差を見せつけている。


 中央に座していた人影が動いた。

 彼女が立つと、ほかの女性たちも一斉に立ち上がる。


 驚いたことに、周囲の者たちまで弾かれたように立ち上がった。

 その場の空気が、彼女を中心に張りつめる。


 みんなの視線を浴びながら、その女性が前に進み出た。

 凛とした佇まい。

 芳寧ファンニンに表情は見えないが、威圧感はただ者ではない。


「中庭で、騒動があったようね」


 氷のような冷たさを感じる声が響いた。

 謝罪が始まるのかと、芳寧ファンニンは思った。

 だが──。


ジャン家の秩序を乱す者は、どんな言い訳をしようと罰を与え、追放処分とするので、そのつもりで」


 冷ややかな言葉に、広場の空気が静まった。


 

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