第7章:残された声と、白銀の在処
絶対零度の氷が、ポタポタと音を立てて溶け落ちていく。
静寂を取り戻した氷のドームの中で、俺はノワールのパイルバンカーを、巨躯の異形の胸部からゆっくりと引き抜いた。
支えを失った二機の巨大な鉄屑が、重々しい音を立てて崩れ落ちる。
装甲の奥で明滅していた不気味な赤い光は、もう二度と灯ることはなかった。
「……終わったわね」
ひしゃげた装甲を引きずりながら、エレナのヴォルフ・ハウンドがノワールの横へと歩み寄る。その直後、通信機越しに彼女の深い、本当に深い安堵と懺悔の入り交じったため息が聞こえた。
「ああ。……世話焼かせやがって」
俺は操縦桿から手を離し、コックピットのシートに深く背中を預けた。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、パイロットスーツは冷や汗でぐっしょりと濡れている。脳髄を直接焼かれるような激痛の余韻がまだ残っていたが、不思議と、胸の奥にわだかまっていた泥のような重さは消え去っていた。
――ザザッ……ピィィィ……
その時。
戦闘終了で回線を切り替えようとしたノワールの極秘通信帯域に、微かなノイズが混じった。
『……マスター、これは。敵機の完全に破壊されたコアから、微弱なマナの波長が送られてきているわ』
セリアが怪訝そうに扇を口元に当てる。
「遺言、ってやつか?」
俺が呟いた直後、ノイズまじりの音声が、コックピットのスピーカーから静かに流れ出した。
『……あ……あぁ……』
それは、感情を縛り付ける【プロジェクト・イモータル】の悪魔の鎖から解放され、ほんの一瞬だけ、死の淵で自由を取り戻した兄弟たちの「本当の記憶」だった。
『……痛いの、消えた……』
『……あったかい……ね……』
俺を恨む声ではなかった。
置き去りにしたことを呪う声でもなかった。
ただ、長い長い悪夢からようやく目を覚ました子供たちの、安らぎに満ちた微かな寝息のような響き。
『……ありがとう……。お兄……ちゃん……』
プツン、と。
音声はそこで完全に途切れ、通信帯域は元の静寂なホワイトノイズへと戻った。
「…………」
俺は無言のまま、潰れた煙草の箱から辛うじて折れていない一本を取り出し、ジッポライターで火を点けた。
紫煙を深く吸い込み、天井へ向かって細く吐き出す。
目に染みる煙のせいか、少しだけ視界が滲んだ気がしたが、俺はそれを乱暴に袖で拭った。
『……ヴァンス』
「謝るなよ、技術将校サマ」
エレナが何かを言う前に、俺は先回りして告げた。
「あのバケモノどもじゃなく、最後にちゃんと、ただの『兄弟』に戻って死ねたんだ。……お前が鎖を断ち切ってくれたおかげでな。こいつらも、少しは俺たちの泥被りに感謝してるだろうさ」
『……ええ。そうね』
通信機越しに、エレナが小さく鼻をすする音が聞こえた。
『この罪は一生消えない。でも、もう二度と目を背けたりしないわ。私が生み出した過去の亡霊は、私が全部この手で葬り去ってやる』
「頼もしいこった」
俺が薄く笑ったその時、再びコンソールがピピッと電子音を鳴らした。
『あら。泣かせる遺言だけじゃなかったみたいよ、マスター』
セリアが空中に展開したホログラムモニターに、膨大な座標データと暗号化されたファイルが浮かび上がる。
『ゆりかごの兄妹のコアが、最期に私たちに転送してきたデータよ。アークメイジがこの施設を通過した際にアクセスした、最高機密アーカイブの痕跡……その中に、奴が血眼になって探していたものの記録があったわ』
「探していたもの……?」
ライオスの声が響く。
『ええ』と、セリアは扇をビシッと閉じて微笑んだ。
『十数年前、アークメイジが起動し損ねたもう一つの神様。……ノワールの右腕に組み込んだ『白銀の牙』、そのオリジナルとなるAIコアにして、白銀のレガリアの本来の【人格】が眠る場所の座標よ』
その言葉に、全員の空気が一変した。
アークメイジを殺すための唯一の毒牙である「白銀」。今は不確実なパーツでしかないそれを、完全に制御し、真の力として引き出すための心臓部。
「あの金色の馬鹿は、自分の首を絞める存在を完全に消し去るために、そいつを探してるってわけか」
俺は煙草を携帯灰皿に押し込み、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「上等だ。だったら、奴より先にその白銀の心臓をぶっこ抜いて、アークメイジの喉元に最高の絶望を突きつけてやろうぜ」
『当然だ。もう、奴の好きにはさせない』
『うん! 私たちの牙、全部まとめてあいつに叩き込んでやるんだから!』
猟犬兄妹の力強い声が響く。
俺たちは、完全に沈黙したかつての同胞の残骸に、もう一度だけ静かに黙礼をした。
「……じゃあな。あとは俺たちに任せとけ」
過去の因縁に決着をつけた四機は、きびすを返し、崩れゆく氷の『ゆりかご』を後にした。
俺たちの瞳はすでに、極光を纏う金髪の亡霊への限界を突破した殺意と、次なる戦端へと向けられていた。




