エピローグ:残された神童と、銀の牙の完成
その頃。
中立地帯エレボスの外れにある『ロキのガレージ』では、けたたましいアラート音と、それに負けないほどの甲高い少女の怒声が響き渡っていた。
「ばかばかばかッ! あの野蛮人たち、どれだけ機体に無茶させたら気が済むのよ! ハウンドの処理回路は焼き切れる寸前だし、ノワールのジェネレーター温度なんてレッドゾーン振り切ってるじゃない!」
パイプ椅子の上に正座し、複数のモニターを睨みつけながらコンソールを叩きまくっているのは、アテナの生き残りである天才少女、リリスだった。
彼女のウサギのような赤い目は、大粒の涙と寝不足でパンパンに腫れ上がっている。だが、その指先はキーボードの上で目にも留まらぬ速さで踊り、エレナから遠隔で送られてくる戦闘ログと機体データを、驚異的な速度で処理し続けていた。
「おいおい、天才サマ。キーボードがへし折れるぞ。ほら、糖分でも摂って少し落ち着け」
油まみれのツナギを着た老メカニック・ロキが、甘い合成ミルクティーの入ったマグカップを机の上にコツンと置いた。
だが、リリスはモニターから視線を外すことなく、マグカップを両手で掴んでチューッと一気に飲み干す。
「落ち着いてなんかいられないわよ! エレナが向こうで強引に引き出した『白銀のパーツ』の波長データ……これと、私の頭の中にある理論式を組み合わせれば、あの黒い鉄屑に組み込んだ『不確実な爆弾』を、完全に制御可能な『完璧な牙』に書き換えられるの!」
リリスは鼻をズビッとすする。
彼女の視界――マナの流動を視覚的に捉える『眼』には、ノワールの銃剣に仕込まれた白銀のパーツが抱える、微かな位相の歪みが見えていた。
「あの馬鹿な野犬どもは、確率12パーセントの自殺行為を本当に生き残ってみせた……。だったら、私も私の仕事をするだけよ。アテナの第2階級の意地を見せてやるんだから……っ!」
カチャカチャカチャッ! ターンッ!!
リリスが最後のエンターキーを力強く叩き込む。
直後、モニターに展開されていた複雑怪奇な数式群が一斉に緑色に発光し、『白銀の牙』を完全に制御するための絶対数式が完成したことを告げた。
「……できた。できたわよ、ロキ!」
リリスが椅子から飛び降り、両手を上げて歓喜の声を上げる。
「へえ、大したもんだ。これで傭兵さんの右腕は、正真正銘、神殺しの武器になったってわけだ」
ロキが感心したように髭を撫でる。
「ふふんっ、当然よ! 私が徹夜で組んであげたんだから、次会った時は思いっきり感謝して、美味しいお菓子でも貢ぎなさいよね!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔に、得意げな笑みを浮かべるリリス。
自分たちの居場所を焼き払った黄金の亡霊。それを打ち倒すための最後のピースは、皮肉にも、かつてその亡霊の生贄にされようとしていた小さな神童の「眼」によって完成させられたのだった。
* * *
赤茶けた荒野の上空。
四つのスラスターの光の尾が、空を切り裂いて飛んでいく。
『マスター。リリスから、白銀の制御数式のアップデート・パッチが届いたわ。相変わらず生意気なコードだけど……完璧よ。これで、貴方の右腕はいつでも黄金の鳥を撃ち落とせるわ』
セリアの弾んだ声がコックピットに響く。
「……上等だ。留守番のガキも、しっかり仕事してやがる」
俺は操縦桿を握り直したが、続くセリアの言葉に、その手がピタリと止まった。
『でも、問題はここからよ。……ゆりかごの兄妹が遺してくれた、「白銀のコア」の座標データ。その完全な復号が終わったんだけど……マスター、このマップを見て』
コンソールに、新大陸の広域マップが展開され、一つの赤いピンが投下された。
その場所を見た瞬間、俺とエレナは同時に息を呑んだ。
「……嘘だろ」
『これって……中立地帯の辺境。傭兵団【灰犬】の縄張りじゃない!』
エレナが驚愕の声を上げる。
そこは、感情を持たない実験動物だった俺を拾い、泥臭い人間味と野犬としての生き方を骨の髄まで叩き込んでくれた親父ガルドと、兄弟分ザックたちがいる場所。俺の実家だ。
『……っ! そういうことか!』
ライオスが通信機越しに叫ぶ。
『お前たちが実家に里帰りした時、アレスの最新鋭部隊がわざわざ辺境の傭兵団を襲撃してきた理由! ただの掃討作戦なんかじゃなかったんだ!』
「ああ……」
俺の脳裏に、あの時の記憶が鮮明に蘇る。
アレスの部隊を退けた直後、採掘場の地下深くから感知された、正体不明の『未知の白銀の波長』。
「あの時、アレスの連中は灰犬の採掘場の地下から漏れ出したコアの波長を嗅ぎつけて、回収と隠蔽のために軍を差し向けてきやがったんだ。……神を殺す心臓は、俺たちが泥水啜って育ったあの採掘場の、ずっと足元深くに眠っていたってわけか」
点と点が、完全に一つの線に繋がった。
だが、それは同時に、最悪の危機を意味していた。
『アークメイジは、すでにこの座標を知っているわ……!』
エレナの声が震える。
あの金髪の亡霊は、自らの脅威となる「白銀」を完全に消し去るため、迷うことなくその座標へと向かっているはずだ。
親父ガルドやザックたちがいる、俺の帰る場所へ。
「……チッ!」
俺の奥歯が、ギリッと嫌な音を立てた。
背筋を凍らせるような焦燥と、限界を突破したどす黒い殺意が、全身の血を沸騰させる。
あの夜の無菌室では、何もできずに血を分けた兄弟たちを見捨てた。
だが、二度目はねえ。
俺に生きる意味をくれた「本当の家族」だけは、何があってもあの黄金のバケモノの好きにはさせない。
「セリア、ノワールのジェネレーターのリミッターを全部外せ! ぶっ壊れても構わねえ!!」
『了解よ、マスター。……さあ、野犬の里帰りといきましょう!』
――ズドォォォォンッ!!!
俺の咆哮と共に、ノワールのスラスターが限界を超えて赤い火柱を噴き上げた。
アッシュ・ウォッチャー、ヴォルフ・ハウンド、シルバー・リンクスも、それに合わせるように爆発的な推進力で荒野の空を蹴り飛ばす。
向かう先は、俺の故郷。
神殺しの心臓が眠る、灰色の採掘場。
因縁のすべてが交差する最終局面へ向けて、泥だらけの野犬たちは、一筋の流星となって西の空へと消えていった。
【第8幕:ゆりかごの深淵と、影の胎動 閉幕】




