第3章:ゆりかごの異形
ノワールのパイルバンカーが、分厚い氷の隔壁を粉砕する。
舞い散る青白い氷の結晶の向こう側――旧アレス第0研究所、その最深部である『メインフレーム室』の全貌が、サーチライトの光の中に浮かび上がった。
広大なドーム状の空間。
壁面を埋め尽くす巨大な演算装置や冷却パイプはすべて極厚の氷に覆われ、まるで巨大な氷の洞窟のようだった。
そして、その中央。
氷の台座の上に、二つの『異形』が静かに佇んでいた。
「……あいつら、魔導鎧なのか?」
後方から追いついてきたライオスが、通信機越しに息を呑む。
それは、俺たちが知るどんな機体のシルエットとも異なっていた。人間の形を辛うじて保ってはいるが、装甲は醜く肥大化し、関節からは無数の神経ケーブルのような管が剥き出しになって絡み合っている。パイロットが乗るコックピットブロックすら存在しない。
完全に『肉体を捨て去り、脳髄ごと機械と癒着した』おぞましい姿だった。
巨躯を誇り、分厚い氷の盾のような装甲を持つ機体。
その後ろに隠れるように寄り添う、細身で多関節の異形な機体。
黄金の亡霊、アークメイジではない。
だが、その二機を見た瞬間、俺の胃袋が激しく痙攣し、口の中に酸っぱい唾液が込み上げてきた。
(……なんだ、このひどく嫌な匂いは)
それは、俺や、あの金髪のバケモノから漂うものと同じ。無菌室の冷たい空気と、消毒液の匂い。
言葉を交わしたわけでもないのに、俺の奥底にある『影』の本能が、目の前の異形に対して、得体の知れない同族嫌悪と、どうしようもない悲痛な叫びを上げている。理屈じゃない。ただ、視界に入れているだけで吐き気がするのだ。
『……マスター。来るわ』
セリアの警告と同時、二機の異形が、ギギギ……と不気味な軋み音を立てて起動した。
言葉はない。警告も、敵意すらも感じられない。
ただ、侵入者を排除するというプログラムされた絶対的な命令だけに従い、分厚い装甲を持つ巨躯がゆっくりと一歩前に出た。
「得体が知れねえが、立ち塞がるならブチ抜くまでだ!」
俺は思考のノイズを振り払うようにスラスターのペダルを踏み込み、ノワールを爆発的な速度で前進させた。
狙うのは、一気に間合いを詰めての近接銃撃戦。俺は右手に握ったノワール・ブラスターと、左のマニピュレーターに構えた大口径ハンドガンを同時に展開する。
銃撃と近接格闘を極限まで融合させた死の舞踏――『ガン・カタ』。
巨躯の異形が、丸太のような豪腕を無造作に振り下ろしてくる。
俺はノワールの姿勢制御スラスターを細かく吹かし、その一撃を紙一重のステップで躱すと同時に、敵の伸びきった腕の関節部へ向けてハンドガンをゼロ距離で連射した。
ガガガガッ!!
火花が散り、装甲に弾痕が刻まれる。だが、深くまで食い込まない。
さらに、体勢を崩した巨躯の懐へ滑り込み、死角へ回り込みながらノワール・ブラスターの銃口を装甲の隙間にねじ込んでトリガーを引く。流れるようなステップ、弾き、撃ち抜く。相手の反撃の軌道を先読みし、銃身で受け流しながら次弾を的確に急所へと叩き込んでいく。
だが――
「……チッ、鉛玉じゃ傷一つ付かねえか!」
ゼロ距離からの猛射を浴びても、巨躯の機体は怯むことすらなく、その極厚の氷の装甲にはヒビ一つ入っていなかった。射出された弾丸が、装甲に触れる直前で急激に威力を失っているようにも見える。
「小細工はここまでだ。一番デカいので沈めてやるッ!」
銃撃の連舞から一転、俺はスラスターを全開にして強引に正面へと回り込み、左腕のパイルバンカーを背後に引き絞った。
機体の全質量とジェネレーターの出力を乗せた、ノワール最大の物理破壊兵器。
「消し飛びなッ!」
炸裂音と共に、鋼鉄の杭が超音速で射出された。
どんな魔導鎧の装甲だろうと、紙切れのように貫いてきた必殺の刺突。
――ピキィィィィンッ……!!
「……なっ!?」
ノワールのパイルバンカーは、巨躯の装甲に触れる数センチ手前で、まるで目に見えない分厚いゴム壁にぶつかったかのように、ピタリと静止させられた。
防がれたのではない。
鋼鉄の杭が持つ『運動エネルギー』そのものが、空中で完全にゼロにされたのだ。
『ヴァンス、離れて!!』
背後から、エレナのヴォルフ・ハウンドが援護の長距離砲を二発放つ。
ミラのシルバー・リンクスも、死角から熱光学ダガーを投擲した。
だが、砲弾も、赤熱するダガーも、巨躯の周囲十メートルの空間に入った瞬間、すべての熱と速度を奪われ、カラン……と虚しい音を立てて氷の床に転がり落ちた。
『嘘でしょ……物理攻撃も、マナの熱量も、空間に入った瞬間にすべて完全に停止させられたわ!』
エレナが驚愕の声を上げる。
『……エントロピーの強制的な停滞ね』
コンソールの上で、セリアが忌々《いまいま》しげに扇を閉じた。
『周囲の空間の熱量とマナの流動を『絶対零度』まで引き下げ、あらゆる運動エネルギーを停止させる絶対防御領域。……あんなデタラメな出力、通常の魔導鎧のリアクターじゃ絶対に不可能よ! 生身の人間の脳髄を直接オーバークロックさせでもしない限り……っ』
「……生身の脳髄だぁ?」
セリアの推測に、俺は思わず歯噛みした。
機体に人間を直結して使い潰す狂気のシステム。それが誰の仕業かなど考えるまでもないが、なぜか胸の奥がざわつき、抑えきれない怒りがどす黒く湧き上がってくる。
「クソッ、動けッ!」
俺はパイルバンカーを引き抜こうとノワールのスラスターを吹かしたが、杭は凍りついた空間にガッチリと縫い留められ、微動だにしない。
その絶対防御の奥。
盾となる巨躯の背後に隠れていた、細身の機体が、ゆらりとその異形な頭部を持ち上げた。
カメラアイが、不気味な深紅の光を放つ。
物理的な攻撃手段の予備動作ではない。波紋のようなマナの波長が、空間を満たしていく。
『……ッ!? マスター、気をつけて! 敵機から未知のマナパルスが放射されているわ! ノワールの装甲を透過して、直接貴方の生体反応に……脳神経にアクセスしようと――』
セリアの切羽詰まった声は、最後まで聞こえなかった。
――ガァァァァァァンッッ!!!!
突然、コックピットの中にいる『俺自身の頭蓋骨』のど真ん中を、巨大なハンマーで殴りつけられたような凄絶な激痛が走った。
「ガ、アアアァァァァァッ!?」
視界が明滅し、ノワールのモニターが真っ赤なノイズに染まる。
俺の悲鳴に、エレナやライオスたちが何かを叫んでいるのが聞こえたが、その声は急速に遠ざかっていった。
ノワールの装甲も、物理的な壁もすべてすり抜け、脳髄を直接鷲掴みにされるような狂気の侵蝕。
薄れゆく意識の底で、俺の脳裏に、鍵をかけて心の奥底に沈めていた『あの夜』の地獄が、鮮明なフラッシュバックとなって溢れ出し始めていた。




