第八幕【ゆりかごの深淵と、影の胎動】 プロローグ:影の胎動と、凍てつく境界
赤茶けた荒野を、四つの影が弾丸のように駆け抜けていく。
ノワールのコックピットに循環する空気は、普段なら硝煙とオイル、そして乾いた砂の匂いが入り混じっている。俺たち傭兵にとって、それは生きていることを実感させる泥臭い日常の匂いだった。
だが、目的地である新大陸の最深部――旧アレス第0研究所跡地、通称『ゆりかご』へと近づくにつれて、外部フィルターから取り込まれる外気の「質」が、明らかに変わり始めていた。
「……」
俺は無意識のうちに、操縦桿を握る手にギリッと力を込めていた。
鼻を突くのは、泥やサビの匂いではない。
ツンとした消毒液の鋭い薬品臭と、大気が焦げたような微かなオゾンの匂い。それは、かつて俺が目覚め、そしてあの金髪の亡霊がすべてを血に染めた「無菌室」の記憶を強制的に呼び覚ます、人工的で冷たい死の匂いだった。
(……嫌な空気だ)
ロキのガレージに残してきたリリスの癇癪が、ふと脳裏をよぎる。
『あんたたちが死んだら、誰がこの私を守るのよ!』
泣き喚きながらも、生存確率12パーセントという絶望的な数字をひっくり返そうと、俺たちの背中に必死で縋りついてきた小さな神童。おそらく彼女もまた、俺やアークメイジと同じように、大人の都合で無菌室から創り出された存在だろう。
俺の心の奥底にある『作られた存在』としての本能が、ここへ来てひどくざわつき、警鐘を鳴らしている。
自分と同じルーツを持つあの泣き虫のガキを、ガレージに置いてきたのは正解だった。ここから先は、俺たち「過去の亡霊」だけが清算すべき地獄だ。
『……マスター。心拍数と発汗量が規定値を上回っているわ。バイタルに異常は?』
コンソールの上に浮かび上がったセリアのホログラムが、漆黒の扇を閉じ、珍しく気遣うような視線を向けてきた。
「問題ねえ。……ただ、少し昔の嫌な空気を思い出しただけだ」
俺が低く答えると、通信機越しにエレナの声が割り込んできた。
『……ヴァンス。前方、荒野の地形データと実際の光学映像が完全に矛盾しているわ。何かが空間を覆い隠している……いえ、これは……!』
フロントモニターの先。
赤茶けた荒野の風景が唐突に途切れ、まるでそこだけ世界が切り取られたかのように、不気味なほどの白い霧が立ち込めているのが見えた。
すべての呪いの源流。
俺とアークメイジが生み出され、世界を地獄に突き落とした悪夢の産院。
背筋に、冷たい刃を当てられたような悪寒が走る。
凍てつく境界線を越え、『ゆりかご』の深淵へと足を踏み入れた瞬間――俺の中の『影』が、かつてないほど生々しく、どす黒い胎動を始めていた。




