第2章:瓦礫の中の神童
「……おい、そこをどけ、ライオス。崩れかかってる」
俺はハンドガンをホルスターに戻し、ノワールのマニピュレーターではなく、生身の手で黒焦げになった大理石の瓦礫を退かした。
分厚い壁の残骸を数枚ひっくり返すと、ぽっかりと空いた僅かな隙間から、防塵マント代わりにしたのか、灰にまみれた白い布の塊が震えているのが見えた。
「……ひぐっ、いや……こないで……っ」
瓦礫の奥で膝を抱え、ガタガタと震えていたのは、魔導鎧の残党でも、地下から這い上がってきた異形でもなかった。
長いプラチナブロンドの髪を灰で汚し、大人の研究者が着るような白衣を不格好に羽織った、一人の小柄な少女だった。年齢はミラと同じか、少し下くらいだろうか。
俺が手を伸ばすと、少女はビクッと肩を震わせ、赤いウサギのような瞳に大粒の涙を溜めたまま、俺たちをギロリと睨みつけた。
「さ、触らないでよッ! この下層の野蛮人!」
俺の手をピシャリと払いのけ、少女は瓦礫の中からフラフラと立ち上がった。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を取り繕うように、彼女は白衣の襟を正し、精一杯の虚勢を張って俺たちを見下ろすような姿勢をとる。胸元には、アテナ・ドミナンスの『第2階級』を示す、青い宝石のようなIDタグが光っていた。
「わ、私を誰だと思ってるの!? 私はリリス・アストライア! 史上最年少でマナ理論の特別研究室を任された天才なんだからね! あんたたちみたいな泥臭い傭兵が、こんな神聖な大図書館に無断で入るなんて……っ、死刑、いや、実験動物行きなんだから!」
甲高い声でまくし立てるリリス。
だが、その声はひどく上ずっており、足元は生まれたての小鹿のようにガクガクと震えている。
俺は呆れてため息をつき、頭を掻いた。
「……おい、天才サマ。周りをよく見てみろ。お前のその『神聖な大図書館』は、ただのデカい灰皿になっちまってるぞ」
「え……?」
俺に言われ、リリスは初めて周囲の惨状をしっかりと見渡した。
自分たち特権階級の知の結晶であった無敵の塔が、跡形もなく焼け落ち、尊敬すべき白衣の同僚たちが瓦礫の下で炭化している地獄絵図。
彼女の脳内で、必死に蓋をしていた現実が再びフラッシュバックしたのだろう。
「あ……あぁ……っ」
リリスの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
先ほどの高飛車な態度は一瞬で崩れ去り、彼女は再び瓦礫の上にペタンと座り込んでしまう。
「うぅ……っ、ひぐっ……なんで、なんでこんな……っ。私はただ、理論式を計算してただけなのに……あの金色のバケモノが、いきなり全部燃やして……っ!」
顔を両手で覆い、子供のように声を上げて泣きじゃくる天才少女。
そのあまりの情けなさに、ミラは少し戸惑ったように「……なんか、可哀想になってきたかも」と呟いた。
だが、白衣を着た特権階級に同情しない女が、ここに一人いた。
「へえ。貴女があの『神殺しの首輪』の理論式を書いたの。……随分と立派な肩書きだけど、やってることはただの悪魔の代書屋じゃない」
白いデザートコートを羽織ったエレナが、氷のように冷ややかな目をリリスに向け、一歩前に出た。
「ひっ……!」
エレナの殺気すら混じった凄みに、リリスはビクッと体を縮こまらせる。
「下層の人間を何万人も生け贄にするシステムの設計図を、涼しい顔で引いていた気分はどう? 自分が安全な無菌室にいると思ってたから、そんなふざけた計算ができたんでしょうけど。……神を殺す前に、自分たちが神様に見捨てられて燃やされるなんて、最高の喜劇ね」
「ち、違うもん! 私はエネルギーの変換効率を計算しただけで……抽出プロセスを設計したのは別の部署だもん! 私は知らなかったんだからぁ……っ!」
エレナに正論で詰め寄られ、リリスは完全にパニックを起こして泣き喚く。頭の良さは本物でも、精神年齢は年相応か、それ以下らしい。
『……ふふっ。本当に、やかましいだけの目覚まし時計ね』
さらに追い打ちをかけるように、俺の端末からセリアのホログラムが浮かび上がった。
彼女は漆黒の扇で口元を隠し、文字通り虫ケラでも見るような目でリリスを見下ろす。
『マスター。こんなプライドばかり高くて中身が空っぽの泣き虫、放っておきましょう? 瓦礫の下で一生、自分の書いた素晴らしい理論式でも抱えて震えていればいいのよ』
「いやぁぁぁッ!! 置いていかないでぇぇッ!!」
セリアの言葉に、リリスは完全にプライドを投げ捨て、俺のパイロットスーツの裾に泥だらけの手でしがみついてきた。
「ごめんなさい! 野蛮人とか言ってごめんなさい! 地下から緑色の気持ち悪いバケモノがいっぱい上がってきてるの! ここにいたら食べられちゃうよぉ……っ、助けて、何でもするからぁ!」
「……おいおい、鼻水を俺のスーツに擦り付けるな」
俺はズッシリと重くなった足元を見下ろし、深々と息を吐いた。
知性もプライドも完全に崩壊し、ただの怯えた子供に戻ってしまった神童。
「どうする、ヴァンス。……正直、置いていきたいわ」
エレナが心底面倒くさそうに言う。
「……そうもいかねえだろ。こいつの頭の中には、あの金色の野犬が次にどこへ向かったか、そしてあの『神殺しの首輪』の弱点が詰まってるかもしれないんだからな」
俺は、しがみついてくるリリスの首根っこを、子猫でも拾うようにヒョイとつまみ上げた。
「ひゃうっ!?」
「いいか、天才サマ。お前を助けてやる義理はねえが、情報には金を払うのが傭兵の流儀だ。……命が惜しけりゃ、頭の中身を全部俺たちに吐き出しな」
俺が悪人ヅラでそう脅すと、宙ぶらりんにされたリリスは「ひぐっ、はいぃ……っ」と涙目で何度も頷いた。
アテナ・ドミナンスの崩壊という絶望の中で、俺たちは世界で一番厄介で、世界で一番泣き虫な『生き字引』を手に入れたのだった。




