第七幕【灰燼の再会と泣き虫の神童】 プロローグ:灰燼の空と、届かなかった視線
かつて新大陸の頭脳と呼ばれ、無菌の美しさを誇った白亜の学都『アテナ・ドミナンス』。
その中枢である大図書館は、文字通り、ただの巨大な灰皿と化していた。
分厚い人工空のガラスドームは粉々に砕け散り、そこから流れ込む荒野の乾いた風が、チリチリと音を立てて燃える大理石の残骸を撫でていく。
本やデータサーバーの燃えカスが、黒い雪のように空を舞っていた。
俺の乗る黒のレガリア『ノワール』と、エレナの『ヴォルフ・ハウンド』は、その広大な廃墟の中心で、ただ押し黙ったまま立ち尽くしていた。
『……信じられないわね。空間に残存しているマナの濃度だけで、通常型の魔導鎧ならシステムが焼き切れるレベルよ』
静寂を破ったのは、コックピットに浮かび上がったセリアの青白いホログラムだった。
彼女は漆黒の扇を閉じ、周囲の惨状を戦術領域で冷徹にスキャンしながら、微かに呆れたような声を漏らした。
『建物の物理的な崩壊率、99.8パーセント。生存者ゼロ。……アテナの狂人たちが何十年もかけて組み上げた防衛システムと論理兵装が、たった数分の『お散歩』で完全に塵にされたわ。これが、私と同じ世界を滅ぼす力を持つ『金のレガリア』の出力よ』
「……兵器とか、魔法とか、そういう次元じゃないわね」
通信機越しに、エレナの乾いた声が響いた。
「ただの自然災害よ。台風や地震に意志を持たせて、ピンポイントでこの塔に落としたようなものだわ。……こんなバケモノを相手に、あの地下ラボで何万人もの命をバッテリーにして『神殺しの首輪』を作ろうとしていたなんて。滑稽すぎて笑いも出ない」
元アレスのトップ技術将校であるエレナですら、目の前に残された圧倒的な蹂躙の跡を前にしては、ただ事実を事実として受け止めることしかできないようだった。
俺はひしゃげた操縦桿から手を離し、深く息を吐き出した。
ポケットから煙草を取り出そうとしたが、箱は先ほどの死闘のせいで完全に潰れていた。仕方なく、折れ曲がった一本を無理やり唇に咥え、ジッポライターの火を点ける。
紫煙を吸い込むと、肺の奥で燻っていた焦げ臭い匂いが、少しだけ薄まった気がした。
「……一瞥すら、されなかったな」
俺の口から、ポツリとそんな言葉が漏れた。
頭上を見上げる。
そこにはもう、燃える空以外には何もない。だが、俺の網膜には、先ほどまでそこに滞空していた黄金の機体と、光の翼の残像がこびりついて離れなかった。
アークメイジ。
俺と同じ遺伝子培養槽から生み出された、光の最高傑作。
奴は俺たちを殺そうとしなかった。見逃したわけでも、情をかけたわけでもない。
文字通り、ただ『視界に入っていなかった』のだ。
人間が道を歩く時、足元で蠢くアリの顔をいちいち確認しないのと同じ。
自分がかつて研究所で殺し損ねた『マナを持たない失敗作(影)』が、泥水に塗れながら地の底から這い上がってきたというのに、奴はそれに気づくことすらなく、己の目的だけを果たして空の彼方へと消えていった。
『……マスター』
セリアがふわりと宙を舞い、俺の視界の正面へと降り立った。
彼女の青い花飾りが揺れ、ベールの奥の瞳が、俺の内心を覗き込むように真っ直ぐに向けられる。
『悔しい? 貴方のトラウマの元凶に、存在すら認知されていなかったことが』
「……まさか」
俺は鼻で笑い、折れ曲がった煙草の煙をセリアのホログラムに向かって細く吐き出した。
「むしろ、清々《すがすが》しいくらいだ。あそこまで見事に無視されると、逆に笑えてくるぜ」
強がりではない。
確かに、一瞬だけ胸の奥をどす黒い感情がよぎったのは事実だ。だが、それ以上に俺の心を占めていたのは、ひどく冷たくて泥臭い『傭兵の理屈』だった。
「俺は神様じゃねえ。ただの泥臭い野犬だ。……野犬ってのはな、相手がどれだけデカくて立派なツラをしてようが、油断して足元を晒した瞬間に、一番痛いところを噛みちぎるために生きてるんだ」
視界に入っていないなら、好都合だ。
俺たちはどこまでも這いつくばり、奴の死角から、その綺麗な黄金の首元に泥だらけの牙を突き立ててやればいい。
『……ふふっ。本当に、貴方って人は最高のマスターよ』
セリアが扇で口元を隠し、妖艶に、そしてどこか嬉しそうに微笑んだ。
『ええ、その通りね。あんな派手なだけの金ピカの鳥なんて、貴方と私のコンビネーションで、いつか必ず泥の底に引きずり落としてやりましょう』
「そういうことだ。エレナ、地下のダクトで拾った『神殺しの首輪』のデータ、無事か?」
俺が通信機越しに声をかけると、エレナは小さく咳払いをして、いつもの勝気な声を取り戻した。
『ええ、バッチリよ。あいつがアテナを灰燼に帰してまで消し去りたかったデータ……裏を返せば、これがあの『神様』の唯一の弱点に繋がっているはず。しっかり解析して、私たちが泥を塗るための最高の『泥団子』に仕立て上げてあげるわ』
「頼もしいぜ、技術将校サマ」
俺は煙草を灰皿に押し付け、再びノワールの操縦桿を握り直した。
大図書館の残骸が崩れ落ちる音が、遠くで響く。
血と硝煙に塗れた激戦の直後。奇妙なほど静かで、まったりとした空白の時間が、燃える白亜の塔の頂上に流れていた。
ここから先、俺たちがどこへ向かうべきか。
その答えを探すための、ほんの短い『箸休め』
――だが、その静寂は、俺たちの背後から近づいてくる複数のスラスター音によって、すぐに破られることになった。




