幕間:【銀の猟犬と、光の足跡】 第3話:光と影の調書、あるいは少女の誓い
激しい雨が打ち付ける廃墟ビルの一室。
闇商人から奪取したデータサーバーをポータブル端末に接続し、ライオス・ロイドは暗い画面を鋭く睨みつけていた。
セリアから提供された抗体のおかげで、彼の身体を蝕んでいた病魔は消え去り、かつてのように血を吐く発作に襲われることはなくなった。だが、それでも長年の闘病の痕跡と、これから開こうとしている情報の重みが、彼の青白い顔に微かな緊張の影を落としている。
「……プロテクト、解除完了。アレスの極秘データの中身が開くぞ」
傍らで身を乗り出していたミラが、小さく息を呑む。
空中に投影された青白いホログラムには、十数年前のアレス研究所の記録が、無機質な文字列と画像と共に映し出されていた。
『――プロジェクト・アークメイジ。極大マナ適性を持つ「光」の究極個体と、物理限界を測定するためのマナを持たない「影」の双子を、同一の遺伝子培養槽にて同時生成……』
研究記録の横に、二つの顔写真が並んだ。
一つは、圧倒的なマナの光を纏い、無邪気で残酷な笑みを浮かべる金髪長髪の少年。両親を惨殺し、猟犬兄妹の人生を狂わせた「亡霊」の幼き日の姿だった。
そしてもう一つ。
「影」として生み出され、感情と痛覚をロックされたまま、焦点の合わない瞳で虚空を見つめる少年。その面影は、無精髭こそないものの、彼らを命懸けで守ってくれたあの不器用な傭兵――ヴァンスそのものだった。
「……嘘」
ミラの唇から、震える声が漏れた。
その瞬間、ライオスの網膜に常時展開されている『ツイン・リンク』のインターフェースに、バリッ!と強烈なノイズが走った。
「くっ……! ミラ、落ち着け! 感情がリンクに逆流してるぞ!」
ライオスが片目で顔を覆いながら叫ぶ。
『ツイン・リンク』は、二人の精神的同調に深く依存する諸刃の剣だ。ミラの心に「恐怖」や「動揺」といった感情の波が立つと、システムはそれをノイズとして処理し、兄であるライオスの視覚と脳神経に直接的なダメージとしてフィードバックしてしまう。
「ごめっ……ごめんなさい、お兄ちゃん……! でも、ヴァンスが、あの化け物と同じ遺伝子……双子だなんて……」
ミラは自らの端末から目を背け、震える両手で自身の細い肩を抱きしめた。
自分たちのすべてを奪った仇と、同じ血肉で構成された存在。論理的に考えれば、あの男もいつか理性を失い、すべてを蹂躙する存在になるかもしれない。
だが。
ミラの脳裏に浮かんだのは、冷たい実験室の記録などではなかった。崩れ落ちる天井の下で、泥だらけになりながら自分を庇い、痛いと悪態をつきながらも決して一歩も引かなかった、あの傷だらけの背中だった。
「……違う」
ミラは顔を上げ、小さく、しかし力強く首を振った。
震えていた手が、腰のダガーの柄を強く握りしめる。
「あいつは違うよ、お兄ちゃん。……あいつは、痛いって文句を言いながら、不味い煙草を吸って……泥臭く私たちを守ってくれた。あんなに優しくて馬鹿な野犬が、あの金髪の亡霊と同じなわけないッ!」
少女の明確な誓い。
その揺るぎない決意が芽生えた瞬間、ライオスの視界を覆っていたリンクのノイズが嘘のようにスッと消え去り、かつてないほど澄み切ったクリアな視界が戻った。
ライオスはフッと優しく微笑み、妹の銀色のサイドテールを軽く撫でた。
「……ああ。お前の言う通りだ。あいつは俺たちの恩人であり、頼れる兄弟分だ」
ライオスは画面のデータをスクロールし、膨大な情報の中から一つの座標をハイライトした。
「見ろ、ミラ。奴らが『アークメイジ』を神輿に担ぎ、何万人もの命を犠牲にして進めている計画の最終到達点がここにある。……学都『アテナ・ドミナンス』。中枢の大図書館だ」
「アテナ・ドミナンス……。ヴァンスたちも、きっとそこに向かってる」
ミラの緑色の瞳に、迷いのない猟犬の光が戻った。
「急ごう、お兄ちゃん。このデータをあいつに届けるの。……今度は私が、あの野犬の背中を守る盾になるんだから!」
二人は頷き合い、データ端末を引き抜いた。
だがその時、廃墟の周囲にけたたましい駆動音が鳴り響き、幾重もの包囲網が敷かれる気配がした。奪われたデータを奪還すべく、アレスの追撃部隊が到着したのだ。
「……チッ、ジャミング粒子か。リンクの有効距離が削られるぞ」
ライオスが、窓の外の闇に潜む愛機『アッシュ・ウォッチャー』を見上げる。
「大丈夫。私がヘイトを全部もらう。……お兄ちゃんは、一発で射抜いて!」
闇を駆ける銀の山猫と、灰の監視者。
真実に触れた二人の、苛烈な脱出戦が幕を開けようとしていた。




