幕間:【銀の猟犬と、光の足跡】 第2話:光なき地下の山猫(ミラ視点)
廃カジノの地下コンテナヤードは、淀んだ泥とサビの匂いがした。
分厚いコンクリートに囲まれたこの空間には、星の光も、不気味なネオンの瞬きすらも届かない。完全な暗闇だ。
わたしの乗る『シルバー・リンクス』は、メインスラスターの駆動音を極限まで殺し、コンテナの影にピタリと身を潜めていた。
装甲の表面に施された特殊塗料は、今は光沢を完全に失った艶消しのマットシルバー。周囲の闇と瓦礫の山に、わたしの機体は完全に同化している。
『――ミラ。こちらは配置についた。私のスコープはクリアだ』
ノイズ一つない秘匿回線から、お兄ちゃんの静かな声が響いた。
遥か上空、地上の廃墟ビルの屋上。そこに、お兄ちゃんの『アッシュ・ウォッチャー』がアース・アンカーを打ち込み、巨大な狙撃銃を構えて待機しているはずだ。
「うん、わたしもターゲットの懐に潜り込んだよ。……標的は一人、護衛はアレスの旧式重装魔導鎧が四機。密集陣形で、サーバーが入ったアタッシュケースを守ってる」
メインモニターの光学カメラを暗視モードに切り替えると、暗闇の中を警戒しながら進む巨大な四つの熱源が見えた。
動きは鈍い。だけど、腐ってもアレスの重装甲だ。まともにやり合えば、軽量級のわたしの機体なんて一撃でスクラップにされてしまう。
『私の狙撃で先手を取る。……ツイン・リンク、同期スタンバイ』
「了解。同期、開始するね」
わたしは小さく深呼吸をして、目を閉じた。
操縦桿を握る手に力を込め、心の奥底にある波を、鏡のように平らにしていく。
――ツイン・リンク
わたしのシルバー・リンクスのカメラアイが捉えた近距離の視覚データを、ラグなしでお兄ちゃんの狙撃スコープへと直接上書きする、私たち双子だけの絶対的な連携システム。
だけど、このシステムは諸刃の剣だ。
わたしの心に「恐怖」や「怒り」、あるいは「焦り」といった感情の波が立つと、送られる戦術データに致命的なノイズが混じってしまう。
わたしが乱れれば、お兄ちゃんの視界がブレる。それは、狙撃手であるお兄ちゃんの命を危険に晒すことと同義だ。
(落ち着け、わたし。……心は水のように。ただ、獲物の急所だけを見つめるの)
大きく息を吐き出すと、不思議と、あの日の記憶が頭をよぎった。
バジリスクの酸がコックピットを溶かし、死を覚悟したあの瞬間。
自分の脳神経を焼き切ってでも、ボロボロの鉄塊を操ってわたしを護ってくれた、あの金髪の野犬の背中。
あいつは、あんなに不器用で、痛いって文句ばかり言っていたのに、一歩も引かなかった。
なら、わたしがここで足がすくむわけにはいかない。次にあの野犬に会う時、隣で誇らしく胸を張れる『猟犬』でいなくちゃいけないんだから。
「……リンク、安定。お兄ちゃん、わたしの目、ちゃんと見えてる?」
『ああ。完璧だ。お前の瞳を通して、奴らの装甲の継ぎ目まで痛いほど鮮明に見えている。……私の準備はいい。いつでも仕掛けろ、ミラ』
「了解。――狩りの時間だよ」
わたしは目を見開き、コンソールの特殊コマンドを叩き込んだ。
――能動的ヘイト誘導機構、起動。
その瞬間、暗闇に溶け込んでいたシルバー・リンクスの装甲表面に仕込まれたホログラムプロジェクターが、一斉に暴発的なフラッシュを放った。
艶消しの機体が、文字通り太陽の欠片のように、強烈で暴力的な『白銀の輝度』を撒き散らす。
「なっ!? なんだこの光はッ!」
「敵襲だ! 光の真ん中を撃て!!」
暗闇に慣れきっていたアレスの護衛部隊が、突然現れた白銀の超発光に完全にパニックを起こした。
彼らのカメラセンサーは白飛びし、ただ目の前にある「眩しすぎる的」に向かって、四機が一斉にガトリング砲の引き金を引く。
――それでいい。こっちだけを見なさい。
わたしはフットペダルを踏み込み、全身に増設された多連装サブスラスターをランダムに点火させた。
弾幕が殺到する直前、シルバー・リンクスは物理法則を無視したような真横へのスライド移動を見せ、そのまま空中に舞い上がる。
わたしの機体が宙を舞い、敵の四機が釣られて上空へと銃口を向けたその瞬間――
彼らの分厚い胸部装甲が、伸びきって『無防備な死角』を晒した。
「ここッ! お兄ちゃん!」
わたしのカメラアイが捉えた敵の継ぎ目の座標データが、ゼロ遅延でお兄ちゃんのスコープへと上書きされる。
『――私の眼からは、逃れられない』
ズキュゥゥゥンッ!!
ズキュゥゥゥンッ!!
遥か頭上の岩盤を貫通して、二条の極太のマナの閃光が、地下コンテナヤードへと正確に突き刺さった。
お兄ちゃんの極限圧縮された狙撃。
放たれた銃弾は、わたしが見つめた座標――先頭の二機の胸部関節の「一番装甲が薄いミリ単位の隙間」を、完全に撃ち抜いていた。
ガガァァァンッ!!
爆音と共に、重装魔導鎧の二機が内部からジェネレーターを破壊され、火柱を上げて崩れ落ちる。
「ヒィッ!? 狙撃だと!? どこから……!」
「上だ! 上から撃ち抜かれたぞ!!」
残った二機がパニックに陥り、上空の闇へと銃口を向けようとした。
「よそ見しないでって言ったでしょ」
空中にいたわたしは、サブスラスターを逆噴射させて一気に急降下する。
両手のマニピュレーターに握った双発・熱光学ダガーを起動。高周波の振動が刃を赤熱させ、暗闇に二本の赤い軌跡を描く。
着地と同時、一機目の懐へと滑り込む。
分厚い装甲を叩き割る必要なんてない。わたしはダガーを逆手に構えたまま、重装甲の膝の裏――駆動ケーブルが剥き出しになっている部位だけを、流れるように『溶断』した。
「ガ、アァァッ!?」
片脚の機能を失い、巨大な鉄塊がバランスを崩して前のめりに倒れ込む。
その背中を足場にして跳躍し、わたしは最後の一機の頭部センサーへ、クロスさせた二本のダガーを深々と突き立てた。
ジジジジジッ!!
高熱の刃が電子頭脳を焼き切り、最後の一機が痙攣するようにして沈黙した。
戦闘開始から、わずか十数秒。
白銀の光芒が収まり、再び地下ヤードが薄暗い静寂に包まれた時、そこには四つのくすぶる鉄屑と、泥の上に腰を抜かして震える一人の情報屋だけが残されていた。
わたしはシルバー・リンクスを情報屋の眼の前に立たせ、熱光学ダガーの刃先を、彼の鼻先へと突きつける。
「……動かないで。少しでも妙な真似をしたら、このままお肉を焼くことになるから」
「ひっ……! ま、待ってくれ! 殺さないでくれ! アレスからの依頼で運んでただけなんだ! 頼む、命だけは……ッ!」
男はアタッシュケースを放り出し、両手を上げて命乞いを始めた。声が裏返り、全身が小刻みに震えている。
『……見事だ、ミラ。こちらのスコープも完全にクリアだった』
通信機から、安堵をにじませつつも、いつもの冷静さを崩さないお兄ちゃんの声が響く。
「えへへ、お兄ちゃんの腕がいいからだよ」
わたしはコックピットの中で小さく息を吐き出し、こわばっていた肩の力を抜いた。
完璧な狩り。
私たち『銀の猟犬』の牙は、少しも錆び付いてなんかいない。
「お兄ちゃん、アタッシュケースを回収したよ。……さあ、あの金髪のバケモノの足跡を、暴いてやろう」
わたしは機体のマニピュレーターでケースを拾い上げ、暗闇の中、上空の兄へ向けて力強く頷いた。




