幕間:【銀の猟犬と、光の足跡】 第1話:没落の双牙と、錆びた街の追跡者
――視界のすべてが、紅蓮の業火に染まっていた。
鼓膜を劈くのは、崩れ落ちる白亜の建築物と、民たちの絶望的な悲鳴。
ここは新大陸の辺境にありながら、クロノスの支配を拒み、豊かなマナの恩恵と独自の技術で独立を保っていた小規模都市国家。
だが、その誇り高き街は今、たった一人の「バケモノ」の手によって、灰燼に帰そうとしていた。
「ライオス……ミラの手を離すな。絶対に、声を出してはいけないよ」
炎の照り返しの中、崩れた大理石の柱の陰で、父が血を吐きながら俺の肩を力強く抱き寄せた。
隣では母が、幼いミラの耳を塞ぎ、声を殺して泣き崩れている。
都市の代表を務めていた両親の、絹のように滑らかな純白の礼服は、今や赤黒い血と煤で無残に汚れていた。
「お父さま……」
震える声で呼びかけた私の視線の先、燃え盛る広場の中央に『それ』は浮遊していた。
金色の長髪。
炎すら霞ませる、圧倒的で暴虐なマナの極光。
純白の法衣を纏ったその男は、自らが放った極大の魔法で都市が焼け落ちていく様を、まるで美しい花火でも眺めるような無邪気で残酷な笑みを浮かべて見下ろしていた。
アークメイジ。
それが、一人の人間が持つマナの限界を遥かに超えた、あの金髪の亡霊の呼び名だった。
もっともその呼び名を知るのは、ずっと後の事……1人の泥臭い傭兵によって知らされる事になる。
奴は少し退屈そうに指先を振るうと、空中に数十の光の槍を現出させた。
そして、逃げ惑う罪のない市民たち――両親が愛し、護ろうとした民たちへ向けて、慈悲の欠片もなくそれを降り注がせた。
「――ッ!!」
父が私とミラの頭を床に押し付け、自らの背中で私たちを覆い隠した。
直後、肉を貫き、骨を砕く鈍い音が、すぐ頭上で二度、三度と響いた。
「お父さま……!? お母さまッ!!」
熱い血が、私の頬にポタポタと滴り落ちる。
光の槍に貫かれた両親は、それでも最後の最期まで、私たち兄妹を庇うように腕を解こうとはしなかった。
やがて、炎の向こうで悪魔の笑い声が遠ざかり、世界からすべての音が消え失せた。
残されたのは、血の海の中で両親の骸の下敷きになった、幼い私とミラの、声にならない絶叫だけだった。
* * *
「……っ」
ライオス・ロイドは、薄暗い廃墟の一室で目を覚ました。
こめかみに冷や汗が伝う。何度見ても慣れることのない、両親の命と故郷を奪われたあの夜のフラッシュバックだ。
「お兄ちゃん、また……あの夢?」
傍らから、心配そうな声が掛かる。
銀色の髪をサイドテールにまとめた妹、ミラだった。彼女は水筒のキャップを開け、静かにライオスの口元へと運んでくれる。
「ああ……すまない。少し、昔を思い出しただけだ」
ライオスは冷たい水を喉に流し込み、大きく息を吐き出して呼吸を整えた。
セリアから提供された抗体のおかげで、進行性の肺疾患による死の恐怖と血を吐くような発作は完全に消え去っている。だが、身体に染み付いた長年の癖と、魂に刻まれたトラウマだけは、そう簡単に拭い去れるものではなかった。
「汗、拭くね」
ミラが上質なハンカチを取り出し、兄の額を丁寧に拭う。普段の明るさは抑え気味だが、その仕草には確かな優しさがあった。
中立地帯の裏社会、埃と硝煙が舞う廃カジノ街の隠れ家にあって、彼ら兄妹の身なりは異質だった。
ライオスの着るマットグレーのロングコートも、ミラが纏う機能的なバトルスーツも、生地の裁断や仕立ての良さが隠しきれていない。荒野の傭兵たちが着るようなツギハギの軍落ち品ではなく、かつての小規模都市の代表であった両親から受け継いだ「美意識」と「誇り」が、その洗練された佇まいに現れている。
彼らはスラムに這いつくばる野犬ではない。
故郷を奪われ、誇り高き血を泥に塗れさせながらも、決してその気高さを失わなかった『銀の猟犬』。
「……標的の動きはどうだ、ミラ」
ライオスはコートの襟を正し、鋭い眼光を取り戻して妹に尋ねた。
「今のところ予定通り。この廃カジノ街の地下コンテナヤードに、アレスの闇商人が潜伏してる。護衛は旧式の重装魔導鎧が四機。……でも」
ミラの緑色の瞳が、冷徹な暗殺者のそれへとスッと細まる。
「奴が持ってるデータサーバーの中には、あの金髪の化け物――『アークメイジ』の最近の足跡と、クロノス内部の極秘情報が入ってるって噂だよ。絶対に、逃がすわけにはいかない」
「当然だ。私たちはこの日のために、泥水を啜ってS級ハンターにまで上り詰めたんだからな」
ライオスは傍らに立てかけてあった長砲身のスナイパーライフルを手に取り、立ち上がった。
病の枷から解き放たれた彼の身体には、かつてないほどの力が満ちている。今なら、どんな厚い装甲の奥にある「急所」でも、ミリ単位の狂いなく射抜ける確信があった。
「あの地下の底で、私たちを庇ってくれた不器用な野犬――ヴァンスのためにも。私たちなりのやり方で、あの亡霊の尻尾を掴み出してやる」
ライオスの言葉に、ミラは力強く頷いた。
その脳裏には、バジリスクの巨体から自分を身を挺して守ってくれた、金髪で無精髭の男の姿が焼き付いている。
「……行くよ、お兄ちゃん。私たちの猟犬の誇りに賭けて」
二人は音もなく廃墟の窓から身を翻し、それぞれの愛機『アッシュ・ウォッチャー』と『シルバー・リンクス』が潜む闇の中へと、滑るように姿を消した。
今回の幕間は少し長くなります。
ロイド兄妹編です。




