第8章:爆炎の別れと、白亜の門
ノワールの漆黒の巨躯が、四脚ドローンの残骸とキメラの肉塊を蹴り飛ばしながら、地下ラボの中央突破を図る。
プラズマの閃光と緑色の体液が乱れ飛ぶ中、俺は左腕のシールドを構え、ノワール・ブラスターの引き金を引きっぱなしにして突き進んだ。
『マスター、右下から小型の肉ダルマが三体! 潰しなさい!』
「分かってるッ!」
セリアのナビゲーションに従い、俺は機体の足裏のスラスターを細かく吹かして踏み込み、纏わりつこうとしたキメラたちを装甲の重みで圧殺する。
「エレナ、後方のドローン群を牽制しろ! シャーリーは俺の死角をカバーだ!」
『言われなくてもやってるわよ! ハウンドのジェネレーター、もうレッドゾーンだわ!』
ホバー移動で俺の後ろにピタリと張り付いたエレナのヴォルフ・ハウンドが、長距離狙撃砲でドローンの砲門を次々と潰していく。
『……ハァッ、ハァッ……! ちょっと野犬くん、ペース速すぎない!?』
最後尾を走るシャーリーの悲鳴に近い声が、オープンチャンネルに響いた。
高機動ブースターを失い、さらに先ほどのワイヤー機動で駆動系に限界が来ていた真紅の機体『ブラッド・ウィドウ』は、右脚の関節部から黒煙を噴き上げ、明らかに速度が落ちている。
それでも彼女は、群がってくるキメラの頭部を二丁拳銃で正確に撃ち抜き、ワイヤーアンカーで四脚ドローンの脚を引っ掛けて転倒させるなど、神業のような操縦で食らいついていた。
「シャーリー! 無理するな、俺が背負う!」
俺がノワールを反転させようとした、その瞬間。
ズガァァァァァンッ!!!
頭上のハッチから新たに降下してきた超大型の四脚ドローンが、ブラッド・ウィドウの頭上へ覆い被さるように着地した。
その暴力的な質量とプラズマの余波を浴びて、シャーリーの機体は完全にバランスを崩し、両膝を突いて床に縫い留められてしまう。装甲がひしゃげ、火花が散る。
『――汚染対象。排除』
四脚ドローンの無機質な声と共に、プラズマ・キャノンの銃口が真下で動けなくなったブラッド・ウィドウへと向けられる。
同時に、周囲を取り囲んでいた数十体のキメラたちが、獲物を見つけた飢えた獣のように、一斉に彼女の機体へと殺到した。
「シャーリー!!」
俺がパイルバンカーを構えて突っ込もうとした時、ブラッド・ウィドウのメインカメラが、ギロリと俺の方を向いた。
『来ないで、ヴァンス!! そのまま走りなさい!!』
「馬鹿野郎、見捨てられるわけねえだろ!」
『計算ができない男ね! あんたがここに戻れば、全員まとめて挽肉よ!』
シャーリーは残った左腕のワイヤーアンカーを四脚ドローンの砲身に打ち込み、強引に射線を逸らした。その隙に、右手の徹甲ハンドガンを自機に取り憑こうとするキメラの口内に突っ込み、ゼロ距離で引き金を引く。
その視線の先には、アテナの中枢『大図書館』へと続く、分厚い防爆扉に守られた巨大なVIP用エレベーターが見えていた。距離にして、あとわずか五十メートル。
だが、その間にもキメラとドローン群の波は、津波のように押し寄せてきている。全員でエレベーターに乗り込む時間など、とうの昔に消え失せていた。
『そこの黒髪のお嬢ちゃん! 早くあの馬鹿犬の首根っこを掴んで、箱の中に叩き込みなさい!』
「……ッ! シャーリー、貴女……!」
エレナの声が震えていた。状況を瞬時に理解したのだ。
『いいから早く! あんたたちには、まだ世界を救うだかのデカい仕事が残ってるんでしょ! なら、こんな泥臭い地下で立ち止まってるんじゃないわよ!』
シャーリーの叫びに、エレナは唇を噛み締め、迷わずにハウンドのホバーを全開にした。ノワールの背中を強引に押し込むようにして、エレベーターの防爆扉へと突っ込む。
「エレナ! てめえ、何して……!」
『マスター、抵抗しないで! 彼女の言う通り、ここは論理的に退くべきよ!』
セリアがノワールの操縦系を一時的にロックし、俺の機体はハウンドに押し込まれる形で、巨大なエレベーターの中へと滑り込んだ。
俺が強制ロックを解除してハッチを振り返った時、ブラッド・ウィドウは完全に異形の群れと白亜のドローンに埋め尽くされようとしていた。
それでも、シャーリーは笑っていた。
コンソールパネルを叩き、ブラッド・ウィドウの装甲の隙間から、危険なほどの赤い光を漏れ出させる。メインリアクターの暴走シークエンスだ。
『……私は金にならない仕事はしない主義なの。ここであんたたちと一緒に、仲良く挽肉になる趣味はないわ』
通信越しに響く彼女の声は、死を前にしているとは到底思えないほど、飄々《ひょうひょう》としていた。
『この機体のリアクターを暴走させて、この地下ラボの天井ごと、醜い化け物どもを全部押し潰して逃げる。……でも、それには誰かがここで、奴らを一点に引きつけておく必要があるでしょ?』
「ふざけるな! 生身であの瓦礫を抜けられる保証なんかねえだろうが!」
『――抜けられるわよ。私は、新大陸で一番運の良いバウンティ・ハンターだもの』
シャーリーはウインクをするように、フッと小さく笑った。
『それに……今のあんたの顔。十数年前に私を庇ってくれた時の、あの機械みたいな不気味な顔じゃなかった。ちゃんと「人間」として生きてる、いい男の顔だったわ』
彼女の緑色の瞳が、モニター越しに真っ直ぐに俺を射抜く。
『あんたの首の懸賞金……また今度、必ず私に払わせなさいよ、ヴァンス!』
「シャーリー!!」
ガゴンッ!!!
セリアの制御によってエレベーターの分厚い防爆扉が完全に閉ざされ、俺の絶叫は遮断された。
猛烈なGが機体を押し潰し、エレベーターが超高速で上層へと射出される。
直後、足元の遥か深くから、地盤そのものを揺るがすような凄まじい爆発音が響き渡った。
ブラッド・ウィドウのリアクターが臨界を突破し、地下ラボの天井ごと、白亜のドローンと異形の群れを飲み込んで崩落していく轟音。
「……あの、馬鹿女ッ」
俺は操縦桿から手を離し、血と汗にまみれた拳を、コックピットのコンソールに強く叩きつけた。
「……大丈夫よ、ヴァンス。彼女は死なない」
別回線から、エレナの震える声が聞こえてくる。
モニター越しに見える彼女の黒髪が、エレベーターの振動に合わせて小さく揺れていた。
「あんなに図太くて、ガメつくて、かっこいい女だもの。……絶対に、生きて私からあんたの首の借金を取り立てに来るわ。だから……」
「……ああ、分かってる。違いない」
俺は深く息を吐き出し、ノワール・ブラスターの残弾を確認して、再び操縦桿を強く握り直した。
「俺たちも、こんな所で立ち止まってる暇はねえ。……そうだろ、セリア」
『ええ、マスター。泥棒猫の心意気、無駄にはさせないわ。……間もなく、アテナ・ドミナンス中枢『大図書館』へ到達します』
エレベーターが上昇するにつれ、機体に染み付いた血とヘドロの匂いは、次第に消毒液とオゾンの無機質な匂いへと包み込まれていった。
非常用の赤いランプは消え、完全な無菌状態を保つための青白い光が、エレベーターの隙間から差し込んでくる。
そして、上昇が止まった。
機体を包んでいた重力がスッと抜け、静寂が訪れる。
プシュゥゥゥ……
気圧を調整する心地よい排気音と共に、巨大な白亜の扉が、ゆっくりと左右に開いていった。




