第6章:奈落の標本室と、神殺しの首輪
アテナ・ドミナンスの地下廃棄ダクトは、進むほどに息苦しさを増していった。
無菌状態の美しい地上の街とは対極にある、ヘドロと血の匂いがこびりついた暗闇。誘導灯の薄暗いオレンジ色の光だけが、俺たちの足元をぼんやりと照らしている。
「ストップ。角の先に光学センサーが二つあるわ。巡回型の無人警備兵よ」
先頭を進んでいたシャーリーが、暗闇の中でスッと右手を挙げて合図を出した。
俺は壁の影に張り付き、ハンドガンのスライドに手を添える。
だが、俺が動くより早く、背後にいたエレナがデータ端末を開き、セリアのホログラムと無言で頷き合った。
『面倒ね……そのままじっとしていなさい。……システムのバイパスに侵入してあげるわ』
セリアの青白い粒子が端末からダクトの壁面ケーブルへと吸い込まれていく。数秒後、角の先から聞こえていた機械的な駆動音がプツンと途絶えた。
「カメラのループ映像を上書きして、オートマタの駆動系を一時的にスリープさせたわ。……今のうちに抜けるわよ」
エレナが端末を操作しながら、小声で促す。
「……へえ。ただの口うるさいお嬢ちゃんかと思ったら、随分と優秀なハッカーじゃない」
シャーリーが感心したように口笛を吹く真似をした。
「元アレスの技術将校を舐めないで。これでも、論理コードの解析なら新大陸で五本の指に入るつもりよ。……それに、ここのセキュリティの基本構造、私たちがいた研究所の古い規格とよく似てるわ」
エレナの言葉に、俺は微かに眉をひそめた。
「アレスの研究所と似てるだと?」
「ええ。やっぱり、私たちの過去はこの街と深く繋がっている。……着いたわ、この分厚い隔壁の向こうが、地下廃棄ラボの『処理区画』よ」
俺たちは巨大な鋼鉄の扉の前に立ち止まった。
エレナが壁のコンソールパネルのカバーをこじ開け、自分の端末を直結させる。セリアの演算サポートを受けながら、幾重にも掛けられた強固なプロテクトを次々と解除していく。
ガコンッ、と重苦しい音が響き、分厚い隔壁がゆっくりと左右にスライドした。
「……ッ」
扉が開いた瞬間、俺は思わず口元を腕で覆った。
むせ返るような、強烈な腐敗臭と薬品の匂いが肺を焼いたからだ。
広がっていたのは、広大な地下空間だった。
青白い蛍光灯に照らされたその部屋には、無数の巨大な円筒形の培養槽が整然と並んでいた。
培養槽の中は濁った緑色の液体で満たされ、そこに……何十、何百という『人間』が、無数のチューブを全身に繋がれたまま浮かんでいた。
「なに、これ……」
エレナが端末を落としそうになり、顔面を蒼白にさせて立ち尽くす。
ランクを満たせなかった第3階級の市民――『被検体』たちだ。
老人も、女も、そして子供すらも。彼らは生きたままマナを抽出され、あるいは何らかの薬剤を過剰投与されたのか、肉体が異様に肥大化したり、皮膚が黒く変色したりと、もはや人間の原型を留めていない者も多くいた。
「言ったでしょ。白衣の狂人たちが作った、本物の地獄だって」
シャーリーが忌々しげに呟き、ホルスターの銃のグリップを強く握りしめる。
俺の脳裏に、十数年前の記憶がフラッシュバックした。
アレスの研究所。冷たい手術台。無表情で俺の痛覚神経を焼き切っていった白衣の大人たちの目。
この街の狂気は、あの時と何も変わっていない。いや、都市という規模でシステム化されている分、よりタチが悪い。
「……エレナ。吐き気を堪えろ。端末を探して、データを引っこ抜くぞ」
俺は湧き上がるどす黒い怒りを強引に飲み込み、部屋の中央にある巨大なメインコンソールへと歩み寄った。
エレナも震える手で自身の頬を強く叩き、気合を入れ直してコンソールに取り付く。
「……やってみるわ。セリア、物理アクセスする。防壁のクラッキングを手伝って!」
『了解しましたわ。……メインサーバーの深層領域へダイブしてあげるわよ』
キーボードを叩くエレナの指先が、目にも留まらぬ速さで踊る。
やがて、コンソールの巨大なモニターに、無数のデータ群と、一つの奇妙な設計図が浮かび上がった。
「これは……『マナ・キャンセラー(位相干渉バリア)』の理論式……!」
エレナが目を見開く。
「見つけたか。で、どういう兵器なんだ。アークメイジのあのデタラメな魔法を、どうやって打ち消す気だ?」
「……酷いわ。こんなの、兵器なんて呼べる代物じゃない!」
エレナは吐き捨てるように叫んだ。
「相手のマナの波長に対して、完全に反転した波長をぶつけて相殺するのがマナ・キャンセラーの基本理論よ。でも、アークメイジのような『極大マナ』を相殺するには、莫大なエネルギーが必要になる。……このアテナの狂人どもは、ジェネレーターの代わりに、『人間の生体電流と命そのもの』を使い捨てのバッテリーとして強制燃焼させるシステムを作ったのよ!」
エレナが指差した先には、あの『白銀のパーツ』の設計図が映し出されていた。
『あら、マスター。驚いた? あの白銀のパーツは、アークメイジの極大マナを制御するための中枢ユニットであると同時に……周囲の人間から強制的にマナと生命力を吸い上げ、バリアに変換するための『神殺しの首輪』よ。ふふっ、随分と残酷な玩具を作ったものね。あの金髪の亡霊を殺すための道具が、人間を何万人も生け贄にするなんて……本当に笑えない冗談だわ』
セリアの冷徹で高飛車な声が、残酷な真実を告げる。
「つまり、これを作った連中は……金髪の亡霊を神輿に担ぐフリをしながら、いざとなればこの街の最下層の人間たちを何万人も生け贄にして、あいつを殺そうとしていたってことか」
俺はギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「狂ってるわ……。こんな実験データ、すべて破棄して……」
エレナがコンソールの削除キーに手を伸ばそうとした、その時。
――ビィィィィィィンッ!!
突如として、地下ラボ全体にけたたましい非常警報のサイレンが鳴り響いた。
青白い照明が、血のような真っ赤なアラートランプへと切り替わる。
「な、なに!? ハッキングは完璧だったはずよ!」
エレナが慌ててモニターを確認する。
『違います、エレナ! ネットワークからの逆探知ではありません! ……この部屋の『生体センサー』ですわ!』
セリアの声が焦りを帯びた。
「生体センサーだと?」
『培養槽の中にいる被検体たちのマナ波長が、突如として異常な数値を記録しています! 何者かが、彼らの肉体を強制的に『起動』させましたわ!』
バコンッ!!
セリアの警告と同時に、部屋の奥にあった巨大な培養槽のガラスが内側から弾け飛んだ。
濁った緑色の液体と共に床へ転がり出たのは、人間の原型を留めていない、肥大化した異形の怪物だった。
「……冗談だろ。失敗作を、番犬代わりに使ってやがるのか」
「ヴァンス! 来るわよ!」
シャーリーが二丁のハンドガンを抜き放ち、俺と背中合わせになるように構えた。
次々と割れるガラスの音。
死の淵を彷徨っていたはずの被検体たちが、瞳孔を開き、自我のない獣のような咆哮を上げながら、俺たちへと襲い掛かってきた。
「エレナ! 必要なデータだけ引っこ抜いて、大図書館へのルートを開け! セリアは全力でエレナをサポートしろ!」
俺は腰のハンドガンを構え、迫り来る異形の群れへと銃口を向けた。
「ここからは、俺と泥棒猫の時間だ」
「フフッ、エスコートよろしくね、野犬くん!」
赤い警報が明滅する地獄の実験室で、生身の決死行が火蓋を切った。




